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ボイトレ・歌の意味に迫る(メモリー)

先日、今月最初のボイトレに行ってきた。
ちょっとした理由から、また「メモリー」を歌ってみることに。

いつも通りに発声練習から。
2、3年前に体重が急に3キロほど落ちて、同時に声が涸れるようになって
気になったので、ボイスクリニックでみてもらったところ、声帯が痩せて声が出にくくなっていたと知らされ、ヒアルロン酸ではない、再生医療に使う新薬(認可が下りたばかり)を声帯に注射したことは、何度も書いてきたが、やはり完全に以前の状態には戻ってない。
なので、ボイトレがある日は、午前中から2時間ほど、発声練習や課題曲を歌ってから、レッスンに臨むようにしている。

この日も、もちろん2時間くらい練習していった。
練習していけば、それなりの声が出るのだが、それとは別に、最近になって実感しているのは、地声に近い声、裏声が自然に出るようになったことだった。

地声で歌うレッスンを長く続けてきたせいか、一曲通して歌うときに、地声で歌うことを意識しなくなっても出るようになったことは、とても嬉しいことと同時に、自分の身体が変わったという感覚もあって、こんなふうに声というものは変化していくのだなと、身体そのものが変わっていくんだなと、不思議な感覚を覚えている。
もし、今のトレーナーさんに出会えなければ、たぶん裏声で歌っていることを知らないで、そのまま歌って満足していたことだろう。実際、今のトレーナーさんに出会うまで、二人のトレーナーさんのレッスンを受けたが(スクールだったので)私の歌う声については、何も言われず歌っていた。ブレスの仕方や、ロングトーンにするための練習、姿勢などを教えてもらったり、指摘されながら、好きな歌をただ歌っていた。という感じだった。

それが、今のトレーナーさんに変わって、地声で歌うことを、教えてくれた。今、振り返っても、結構、大変だった。
思うように声が出なくて、汚い声でもいいですと言われるけれど、歌を歌うのに、掠れているどころか、汚い声、声らしい声がでないのは辛かった。
それが、何曲か歌っていくうちに、(それも1曲、数ヶ月もかかるというていたらく)徐々に声が出るようになってきて、最近、急に、安定し始めたのだった。

声帯は筋肉と言われる。だから使わなければ萎えるし、細くなってしまう。掠れたり、声が出なくなったり…最初は本当に驚いた。
なので、いかに今の声をキープするか、声帯を鍛えてもっといい声が出るようになるかは、すべて自分にかかっている。

発声練習をしていると、自分の癖や、弱点、短所といったところがはっきりする。今回のレッスンでは、メモリーを歌うときの「お願い私に触って、私を抱いて光とともに」のフレーズの、私(わたし)の「し」がなかなか綺麗に出すことができないのを指摘され、練習した。
たった1音だけれど、その1音がちゃんと出せないと、次の音がうまく出せない、出てこない。もちろん1音の、前の1音も同様。
つまりは、1音がうまく出せないと、そのフレーズ全体がグズグズになってしまうということ。結局、これは私の課題として持ち帰ることになった。

次に、メモリーをフルで歌ってみることに。
練習していったせいもあってか、声の調子についてはいいと言われた。地声が強く出過ぎないで、ちょうどいいと言ってもらえた。
そこで、メモリーの中で一番のサビ部分「お願い私に触って、私を抱いて光とともに、わかるわ幸せの姿が、ほら見て明日が」という歌詞の意味を聞かれた。

先日も、星野源さんの「喜劇」を歌ったときに、歌詞の意味から、感じたことを声にしてみましょうと言われ、この歌詞はこういう背景があってのこと、この歌詞はこういうシチュエーションと、イメージを膨らませながら歌った。

今回は、それを言葉にしてトレーナーさんとディスカッションしていったのだが、今まで自分が感じていたものと、トレーナーさんが話してくれたこととでは、結構な違うがあることに気付かされた。
それは、「お願い私に触って」というフレーズ

Catsという作品を初めて観たのは、まだ札幌に住んでいたときで、劇団四季が、初めてJR札幌駅の構内の空いた敷地にテントを張って公演を行った、最初の演目がこれだった。
それまでは、たまに全国巡演や、演劇観賞会で観る機会がある程度で、長期間、同じ演目が上演されたことはなかった。
地元メディアにも大きく取り上げられ、結構、長い期間上演されたと記憶している。
さらに、このときの成功がきっかけで、常設劇場ができて、オペラ座の怪人や美女と野獣、ユタと不思議な仲間たちなど、劇団四季を代表する作品が上演された。

ミュージカルだけでなく、ストレートプレイもあって、演劇好きの私にとっては、最高に幸せな数年間だった。
その後、テントが解体されたり、色々あって、札幌で劇団四季の作品が観られなくなってから、時々、飛行機で上京し、劇団四季の劇場で、ストレートプレイ、ミュージカルを観劇したものだった。

大いに刺激を受けた、Catsのメモリー。
あの頃感じた、メモリーの歌詞はどういったものだったろう…、当時を思い出しながら、トレーナーさんと話をしてみると、グリザベラに対して悲観的なイメージを抱いていたことが浮かび上がってきた。
「老いさらばえた猫が、若い頃の光り輝いていた自分を懐かしみながら、悲観の涙を流す」といった感じで、そこには希望など見えない。そんなイメージだったように思う。

なぜ、そこまでグリザベラに対して、悲惨な姿をイメージしていたか…
実は、それには理由があって、中学1年生のときにいじめにあったことが関係している。当時、クラスの男子全員からいじめにあった私は、女子からいじめにこそ合わなかったが、庇ってもらったり、守ってもらったことはなく、常に孤立していた。

ひとりでいるということには、一人っ子で小さい時から慣れていたが、大勢の中で孤独を感じる体験は、その時が初めてだった。
数ヶ月経って親が異変に気づき、隠しきれなくなって話をして、親が担任に状況を説明。改善を求めたけれど、結局、最後までいじめはなくなることはなかった。
二年に上がってクラス替えがあり、それを機にいじめは無くなったが、私の方に深い心の傷が残り、中学を卒業するまで、クラス全員と一定の距離を保つ関係が続いた。

そんな記憶と、グリザベラが歌うメモリーが、ぴったり重なって、メモリーを歌う場面の「お願い私に触って」というフレーズになると、決まって涙が溢れたことを思い出す。

しかし、今回、トレーナーさんが話してくれた、メモリーの歌詞の捉え方、
メモリーを歌うグリザベラの心情、歌詞から伝わってくる繊細な心の変化、
さらには、後半、白い子猫がグリザベラのそばに近づき歌い始める「木漏れ日は輝き光が溢れる」と、その後、二人で一緒に歌う「花のように朝が開く思い出は去る」のフレーズが、「お願い私に触って」にどう続いていくかまで、話を聞いていくうちに、グリザベラに対するイメージが変わってきた。

ミュージカルの場面では、グリザベラの周りには、たくさんの猫が集まっている。「そのたくさんの猫たちに聴かせていることを考えると、メモリーという曲は、100%伝える歌なんです」と言ったトレーナーさんの一言に「なるほど〜」と強く頷いてしまったほど、納得。
グリザベラのイメージは、必ずしも、悲惨とか悲劇だけではないんだなということがわかってきたところで、「もう一度歌ってみましょう」と言ってもらい、歌ってみることに。

明らかに、最初に歌ったのとは、違っていた。
伝えたいと言う気持ち、折れそうな心からの立ち直り、最後のフレーズの心情etcを意識して歌ってみると、自分の中に湧き起こる感情が、こんなにも違うんだなということと同時に、こんなふうに歌いながら感情って湧くものなんだなと気がついて、これはちょっとした驚きだった。

歌い終わって、トレーナーさんから、最初より、強く声が出ていると言ってもらうことができて、ちょっとほっとした。
これからは、ここをもっと強く歌えるように頑張ろう。

喜劇の場合もそうだったが、今回、改めて歌詞をどう解釈するかが、とても重要なことに気がついた。
今まで歌が好きと言いながら、結局は、ただ声を出して歌うだけだったんだなと、歌を聴いて、涙を流すこと一つにしても、ただ音の響きから伝わってくる、波動にこめられた感情に反応していただけだったんだなと気づかされた。
その歌を自分が歌うとして、どうすれば伝えたいことを表現できるのかを考えたとき、曲の歌詞にこめられた背景、主人公が置かれた環境、生育歴、歌で伝えたいことは何なのかまで、イメージする必要があることを、トレーナーさんに、丁寧に解説、教えてもらったことで、何か少し変われた気がする。

「歌を専門にするひとは、こういったことを、当然のようにしているんですね」と話すと、トレーナーさんは「そうですね。曲によっては、歌い手が勝手に解釈、イメージする場合もありますが、やはりそこのところは必須ですね」と答えてくれた。

正しいか、正しくないかということより、歌い手が、その歌詞をどう解釈しているか、どう伝えようとしているかなんだな、それによって伝わったり、伝わらなかったりするんだなと強く思った。

ボイトレを始めたときは、こんなことまで教えてもらったり、知ったりできるとは思わなかった。
ただ、声を出して、好きな歌を歌える、そんなイメージだった。
でも、今、こうして何年か続けてみて、正直、歌を歌うって難しいんだなと痛感している。
それもこれも、私がトレーナーさんと出会って、話をしたときに望んだこと。
頑張るぞぉー



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