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できることとできないこと自分の限界を知る

小さい時から、なんでもやりたがりの子どもだった。
女の子らしい人形遊びなどもしてたけど、なぜか子供が抱えるくらい大きな消防車のおもちゃ持ってたり、工作みたいなものも好きで、木片を見ると、グギと金槌を持って、ヨット、船みたいなものを作ってた記憶がある。それを思い出すと、一緒に出てくるのが、木片を切ろうとして、なぜかノコギリじゃなく斧で(たぶんその辺にあったのだと思う)割ろうとして、親指を切ったこと。そんなに大きな傷にはならなかったけど、親に見つかると叱られるので、出血したのを隠してこっそり輪ゴムで血止めして、薬塗って、ティッシュで包んで、絆創膏をぐるぐる巻きにしたこと。もう半世紀以上経つのに、あの時の風景や、ドキドキ感は鮮明に出てくる。
きっと怖かったんだろうなぁ。

あげたらキリがないくらい、いろんなことをした。
小一の時に、母に習って、初めて棒針で手袋を編んだのが、手芸的なことを手がけた最初だったかもしれない。
それからは、新聞に入ってくるチラシの頒布会で紙の引き出しとか、紙で作るアクセサリー、ソープバスケットという、石鹸にリボンを巻いて、可愛いかごを作ることに一時期、凝ったこともあった。

棒針編みの後は、かぎ針編みを教えてもらい、最初はモチーフ編みから、小さなモチーフをいくつも作って、それを繋げて座布団カバーや、テーブルセンター、サマーヤーンで夏物のオーバーブラウス、半袖セーターなども編んだ。その後、いろんな編み方を教えてもらいながら(長編み、細編みetc)
ベスト、セーター、カーディガンなどを編んでは着ていて、今もその作品は残っているだけでなく着ている。
編み物は、あまり流行に左右されないので、オーソドックスなデザインで大事に着れば、2、30年は普通に着られるので重宝。

人形作りもした。私がしていたのは米山京子さんという方の、メルヘン人形。本を買って、先生のところからそこでしか買えない材料を買い、生地屋さんでパッチワーク用の可愛い柄の生地を選んでは、
シンプルなドレス姿の人形で作り方を覚えたあとで、ウエディングドレス、着物姿、魔女、etc ,小さいものは数センチから、大きくなると50センチを超えるものまで、結構な数を作っ多野ではないだろうかそのほとんどは、こちらに引っ越して来るときに、近所の人にもらってもらったけれど、場所を取らない大きささの人形は、まだ2、3体私の部屋に飾ってある。


偶然、別垢フォロワーさんの何人かが話してたけど、好きな人や好きなこと複数あるけどすべてを把握できない。 私も同じ現象が起きて、時間がなくてゆっくり音楽を聴く余裕もなくなってた。 今回、思い切っていくつか離れることにした。 離れて数日経つけど平気 中毒まではいってなかったみたい

以前アプリゲームにハマったことがあった。
自分に似た雰囲気の女の子を登場させ、家の中を整えたり、畑で作物を作ったり、それを別のものに交換したりするアプリなのだけれど、一日の中で、結構な時間をそれに費やすようになって、ノルマにしていたことができなくなるなど、支障をきたすようになってきて、これはまずい、どうにかしないとと思うようになって、ある時、思い切って、そのアプリゲームを、すべて削除することにした。
貯めたものはもちろん、家の中や畑の作物など、一切合切残さず削除していった。それにも結構、時間を費やしてしまった。自分では気付かないうちに、相当ハマっていたんだなと、削除し終えて実感した。

ハマるのは簡単だけど、それをやめたり抜け出すのは大変とよく聞くけれど、私の場合は意外とそんなに苦労はしないで辞められるタイプなのかもしれない。
没頭するときは没頭するけれど、冷めたと感じると、一気に冷める。それは遊びに限らない。
趣味や関心ごともそうだ。
一つのことに集中したり、没頭するとすごいけれど、新たに何か興味が湧くと、それまでのものや、ことから、新たなものへと完全にシフトする癖がある。

一つ思い当たるのは、それらはほとんど、三日坊主で飽きた、向いていない、好きじゃないとシフトするのではなく、アプリのように、これ以上やったら支障が起こるとか、ここまでやったらもういいだろうと、やり切った感を感じたりとか、もうこれ以上やっても無理と、自分に限界を感じてしまった時に、シフトしてきた。
無闇矢鱈に途中で投げ出すというよりも、どこかで一区切りつけて終わるを、自分に課してきたのだ。それは、自分の気質というよりは、母から強いられ、いつの間にか自分のものとして習慣づけられたものかもしれない。

30年以上も続けてきた書道にしても、ずっと自分には向いてないと思いながら、長くやりすぎたことでの未練と、人間関係のしがらみから、簡単にはやめられない事情があった。しかし、もう限界だと感じた時に、母に言われたのは、仮名文字の師範の資格を取ったら(漢字はすでに師範になっていた)やめていいと言われ、それから師範を取るまで何年か続け、やっとやめる条件が整った。実際、筆を折ったのは、それから数年後、こちらに移り住んでからだったが…

こちらに来てからは、本当に好きなことだけをしてきた。
考えてみれば、一度もしたくないことをしないで済んでいる。
戯曲を書いたときは、自分には才能がないのだとやれるだけやって諦めたけれど、楽しかった。
その時知り合った友人とは、今もいい関係が続いている。

次にしたことも、ずっとやりたかったこと。
もちろんピアノも、ボイトレもずっと好きで、したかったことだ。
こうしてみると、この20年あまり、私は好きなことだけしてこれたんだな、幸せな時間を過ごせてきたんだなと、つくづく思う。

これからも、無理をせず、好きなことやっていきたい。





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