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生きている気がしない

先月、検査入院をする前から、なぜかピアノを弾く気が起きなくて、ずっと弾かずにいた。
もしかしたら、このまま弾かなくなるのかなと思いながら、それならそれでいいかもしれない、そんなことまで思っていた。

そして年を越して、数日前、ふとピアノが弾きたくなって弾いてみた。
数ヶ月ぶりに弾いてみると、案の定、思った以上に指が動かない。確実に腕が落ちていた。当たり前だ、練習していなかったんだから。そう思いながら、それでも、まぁまぁ弾けてるんじゃないの、と自分を慰める言葉も聞こえてきて、やめる決心はつかないまま今日に至ってる。

そして先ほど、今日のルーティンをこなそうかという気になり、ピアノの前に腰掛けてみた。自然にピアノの蓋を開けて、電源を入れる。(電子ピアノ)ポッチと赤い灯りがついて、スタンバイ完了。

さて、今日は何を弾こうか。
何を弾こうかと言っても、たいして弾けない。
ピアノを習ったわけではなく、小一の時に一年間、オルガンを習っただけで、あとは母に手解きを受けた程度。(母は小学校の教員だった)
なので、弾けるのは数曲。その割には、楽譜本が何冊もある。
楽譜の見方だけは、20年弾いてなかった割には覚えていて、それはよかったと思っている。

私がずっと好きで集めていたのは、服部克久さんの「音楽畑」
服部さんは、NHKの教育テレビ、今で言うEテレで、ピアノを指南する番組を、何年も続けていた。
羽田健太郎さんと一緒の時もあった。
羽田健太郎さんといえば、ピアノの名手、アレンジャーとしても活躍していた方だった。(早くに病気で亡くなられたが)

そんな方々が素人でピアノに触れたこともない人たち、好きだけどうまく弾けない人たちを生徒にして、教えてくれる。
今、考えると、とっても贅沢な番組だった。

私が、服部さんの番組を観て、弾けるようになった曲は、「すべてをあなたに」「追憶」「オウン・・・」今でも、大好きだ。簡単ではないけれど、他の曲よりは弾きやすかったのか、メロディに惹かれて練習したからかはわからないけれど、ピアノを再開したとき、メルカリやヤフオクで、当時の本が売られていないかを探してみた。
これが私にとって、一番のピアノ教本だと思ったからだ。幸い数冊とも見つけることができて、即、購入。
数日のうちに届いたときには、表紙を見ただけで当時のことが一瞬にして蘇ってきた。

あのときは、電子ピアノではなく、本当のアップライトピアノだった。電子ピアノもそれなりの音色だけど、ボイトレでたまに本物のピアノで、伴奏をしてくれると、明らかに違う。やっぱり音色、響きとも数段、本物のピアノの方がいいなと思う。それでも、電子ピアノは手軽だし、何より調律が必要ないのがいいところ。それぞれによさがある。(性能がいいものは、音色も限りなく本物に近い。価格もそれなりに…)

で、ピアノを弾きながら思った。
ピアノを弾くということは、私にとって生きているという感触、感覚を与えてくれるものなんだなと。逆に言えば、ピアノを弾く気がしないとき、弾けないとき、それは生きてる気がしていないと同じなんだなぁ。
それは、歌も同じで、ボイトレをしているとき、ボイトレの練習をしているときの自分は、活き活きしている。そう実感できる。
やりたくない、できないとき喉はパタンと蓋をしたように閉じてしまって、小さな声を出す気にさえならない。

こうしてみると、ピアノも歌も、自分の心や身体の状態を測る、バロメーターになっているんだな。
そして私にとっては、ただ音楽が必要なだけでなく(聴く)、ピアノを弾く、歌を歌うという行為が、生きていることを実感できる、一番のものだということに気がついた。

ただ、そこに気づいたからといって、無理はしようとは思わない。
けれど、ピアノや歌が元気をくれることは間違いない。
ピアノも歌も、楽することを望まず、適度に負荷をかけながら、それを楽しみながら、これからも続けていこうと思う。

1月も下旬に入った。
蓮年と同じく、あっという間に時間は過ぎていく。
今年はどれくらい進めるかな…
そういえば4月には、ボイトレの初の発表会が予定されているという話だった。
ゆったりとした感覚を持ちながら、進めていきたい。
それが今年の抱負、かも。






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