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普通はこうだ
みんなこうしてる
こうに決まってる

私の中ではとっくに葬ってしまったつもりの言葉たち。

子供の頃は頭が固い常識人でこんなことばかり言っていました。

それでも喘息をきっかけにメンタルの学びをしたり、気がつけばそばにいた、ジェンダーフリー、年齢不詳、人種もさまざま、職業ばらばら・・・の友人やユニークな歌の仲間に囲まれて過ごすうちに、どんどん思い込みは減っていきました。

今は自由なブラジル人の夫と過ごし、更にポロポロと今までの当たり前が剥がれていっています。

それでもまだまだ、何かに囚われてるのかも、と思う時はあるし、思い込んでいることもあると思います。

だから気がついたらいつも疑いをかけていきたい。

普通はこうだ
→普通ってなんだ?

みんなこうしてる
→みんなって誰だ?

こうに決まってる
→こうってどうだ?

「思い込む」というのは疑問を持たないことではないのかな。

「なぜこうなんだ」
「どうしてこうしてるんだ」
「他の人はできないのか」
「AはこうならBはどういってるのか」

生活が豊かになり便利になって情報も増えるほど、人は物事に対して疑問を持たなくなり、垂れ流される慣習と玉石混合の情報の波に溺れてしまうのではないかと。

処理するのが大変なんだと思う。

そこに抗うのはやっぱりちょっと面倒くさかったり、不安になることも多いです。それでもいつもひとつずつ、疑問を問いかけていきたい。

この数年で外れた思い込みですぐ思いつくのは「家族は一緒にご飯を食べるのが大事!」というもの。

いや、確かにご飯は一人より二人で食べた方が美味しいし楽しい。

でもうちは夫が家では好きな時間に勝手に食べる傾向にあって(笑)最初はめっちゃイライラしました。

週末の朝、私がシャワーから出たらもう先に用意していたものを食べていたことも。「だってお腹すいた」だそうです(笑)

私の場合、5人兄妹で育ち家族も仲良かったし、「家にいるなら一緒に食べなさい、家族団欒大事」って認識で育ちました。昭和の多くの家族もそんな感じでしょうか。

でも夫は早くに両親を失くし、15歳くらいからお姉さん夫婦の家で過ごしつつ好きに自由に生きて来たみたいです。お腹がすいた時に食べるというスタンスが続いていたのかな。(まあそれで全然いいんだけど)

そのことを理解し、またその自由の良さも十分わかっているので、少しずつ慣れていきました。今も相変わらず、二人が同時に家にいても一緒にご飯食べないことの方が多いけど、へっちゃら。それでもうちは超仲良しです。

一緒に食べたい気分の時もあるので、そういう時はあらかじめ言っておきます。でもお腹空いたら夫は食べちゃうのですが、「これは練習!あとで一緒に食べる!」と言ってくれます(笑)

思い込みを外していく話はまたどんどん書いていこうと思います!


ー 今日のポルトガル語勉強4 ー 
duro 硬い 固い
Antes eu tinha a cabeça dura.
以前私は頭が硬かった

あってるかなー。
またね!Tcha, até mais!

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