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アートが教えてくれる理想の結婚と夫婦のかたち

「やめるときも、すこやかなるときも……」

この結婚の誓いの言葉のもと、私はどれほどの新郎新婦を祝福とともに送り出したのだろうか。数えてみたところ約8万組であった。

私は現在アート関係の仕事をしているが、それ以前は20年超、結婚式場で働いていたのだ。

結婚式というと砂糖菓子のように甘美なイメージが先行する方が多いかもしれない。そのベールを一枚はがすと、中身は完成されたビジネスモデルが存在している。顧客満足と利益追求の上に成り立つ企業が経営しているのだから当然だといえる。

さらにもう一枚はがすと、喜びの表情の裏で不安を感じるご家族の心情が見えてくる。環境や価値観が異なる両家がこの日を境に親戚関係となるのだから。新郎新婦にとっても、身内の方々にとっても結婚式は、神経をフルに使わなければならない場といってもよく、些細なことが発端となってトラブルや破談に至るケースもあった。

そのような新郎新婦の相談を受けながら結婚式をプロデュースするウエディングプランナーは人気の職種だが、実はとても難易度が高い仕事だ。細やかな気遣いが必要だし、多岐に渡る知識を身に着けるだけでも大変なのだ。

というのは結婚式の特徴は、いろいろなアイテムが複雑に組み合わさってできていることだ。挙式の牧師や聖歌隊、料理・飲み物、新郎新婦と列席者の衣装、美容、ブーケ、卓上花、司会、写真、映像、印刷物、引き出物、演出、会場など、どれも特別な一日にふさわしい選び抜いた高質なものが提供される。

今の仕事に通じるアートの審美眼を磨く場としては、これ以上にない最高の環境であったことは間違いない。

挙式・披露宴には、平均的な60名が参列し、一組あたり500~600万円となるのが相場であった。

費用の支払いには参列者からのご祝儀があてられ、不足したものを新郎新婦が支払うかたちとなる。式場側としては申し込みをいただくことができれば、破談などでキャンセルがない限り、売り上げをたてることができる。

その点で、婚礼ビジネスは普通とちょっと違う。洗練された表面とその裏のシビアな収益構造というギャップが存在するのだ。

私はギャップに萌えるタイプである。例えば、フィギュアスケーターの羽生結弦選手の見せる芸術的な演技とそれを支える情熱、根性と戦略、一点のくもりもないような印象派の絵画の裏で起きた画家とモデルの愛憎劇など、相反する二つの要素が一体化しているものに強く惹きつけられる。

いつの間にか、この婚礼の仕事を夢中でこなしているうちに婚期を逃してしまった。とは言え、特に不便を感じるわけでもなく長年過ごしてきた。

幸いにも世の中で「多様性」という言葉がブームになり、非婚者だからと奇異な目で見られたり、「結婚すべきである」という同調圧力をかけられることが減り、個々の考え方を尊重してくれるようになったのはありがたい限りだ。

そんな婚礼業界であるが、昨今では式場間の競争が激化している。

婚姻組数が減っているのだ。2010年までは70万組を超えていたが、2021年には50万組へと減少した(厚生労働省の人口動態調査)。

さらに婚姻したカップルのなかで結婚式を行わない派が増えている。彼らの間では結婚式の代わりに「フォトウエディング」が人気を集めている。婚礼衣装を着た二人を、いろいろなロケーションのなかでプロのカメラマンが撮影する商品だ。

今も昔も花嫁たちにとって最も強いのは「ウエディングドレスを着た幸せな自分を残したい」という思いだ。結婚式のアイテムのなかでも新婦の写真へのこだわりは強く、カメラマンに雑誌の切り抜きを見せて、「この角度で撮ってください」「映画のメイキングのようにメイクからお願いします」という具体的なリクエストも多かった。そう考えると、結婚式を構成するさまざまなアイテムは映画のようにワンシーンを彩るための小道具の役割を果たしているに過ぎないと言えるかもしれない。

そういった背景により、挙式・披露宴を盛大に開くのではなく、出費、関係者、労力を最小限に抑え、最大限に希望を叶えるフォトウエディングを選ぶカップルの増加はうなづける。重要なのは、幸せな姿を写真に撮って、家族や友人に見てもらったり、あとから何度も眺められることなのだ。

実は、婚礼写真のみの商品はずっと存在していた。しかし、時代は年功序列社会であり、新郎新婦の親たちは年代的に高度経済成長期の世代だったため、結婚式はできるだけ盛大に行うべきというのが通念であった。だから、ある種の際物扱いをされていたのだ。

しかし、時代を中世にさかのぼると、結婚する新郎新婦の姿をビジュアルで記録するスタイルは人気を集めていた。

この習わしが盛んだったのは、1600年代のオランダだ。もちろん、写真がない時代だったからカメラマンは存在しない。二人の姿を肖像画として残す役目を担ったのは、画家たちである。

そのなかで史上最も高額な新郎新婦の肖像画をご存じだろうか?

画家・レンブラントによって1634年に描かれた「マールテン・ソールマンスとオーペン・コーピットの肖像」という二枚組の絵画(カバー写真参照)で、その価値は1億6000万ユーロ(約200億円)になる。世界で最も高額で売買された絵画としてもトップ10に入る作品である。

レンブラントは、美術の教科書に必ず登場するくらい有名な画家だ。

映画を見るとよくヨーロッパの古い城に歴代の城主の絵がズラリと飾っているシーンを見ることがあるのではないだろうか。レンブラントをはじめとする当時の画家の主な仕事は、貴族から注文されてこのような肖像画を描くことであった。

しかし、当時のオランダは時代の変わり目にあり、東インド会社の設立などで貿易によって商人たちが力を持つにつれ、彼らからの肖像画の注文のほうが増えるようになった。

この絵に描かれたマールテンとオーペンが結婚したのは、1634年のこと。当時28歳だったレンブラントは、オランダで最も有能な画家の一人として評価され、数々の制作に追われていた。

そのレンブラントに注文できるくらいなのだから、二人がかなり裕福な階級であることは間違いない。実際に首元に贅沢に施された繊細なレースや揃いの衣装から見てもそのことがうかがえる。

当時のオランダで描かれた婚礼肖像画は、一枚の絵のなかに新郎新婦がポーズをとって収まっているのが普通であった。しかし、レンブラントは、この二人をそれぞれ等身大に近いサイズ(208×132cm)で描き、二枚で一対とした。他に類を見ない婚礼肖像画だ。

画家は、この二枚の絵が何かのきっかけで離れ離れになるリスクを想定しなかったのだろうか? 二枚一組で描かれた絵画が別々に売買されて所有されることはよくあるケースなのだ。

この絵は幸いにも数百年間、所有者が何人も変わりはしたが、常に隣同士に飾られてきた。

しかし、2015年に初めて別離の危機が訪れた。

この絵を所有していたフランスのロスチャイルド家が二枚を売却しようとしたところ、ルーブル美術館とアムステルダム国立美術館が名乗りを上げた。当初美術館同士のかけひきだったものが発展して、国外への流出を止めたいフランスと里帰りをさせたいオランダという二国の問題へと発展してしまった。

その時に、この絵を一対のまま存在させるのか、別々に売却するのかという議論がなされたのだ。

結局、それぞれの美術館が1億6000万ユーロを折半して支払い、二枚一対のまま両者の共同所蔵となった。 半期はパリのルーブル美術館で展示、その後アムステルダムの国立美術館と交互で展示されるかたちとなった。

二枚はバラバラにならずにすんだのだ!

「結婚の日から、400年ちかくたつのね。あなたは変わらずいつもハンサムね」

「君だって! 一流のレンブラントさんに描いてもらったおかげで、当時のことが今もありありとよみがえるよね」

「私、そろそろフランスへ移りたいわ。あっちのほうが合っているのよ」

「僕はアムステルダムがいつも恋しいよ。思い出が詰まった町だから。でも交互の展示がルールだから仕方ないね」

二人は夜な夜なそんな会話を交わしてるのかもしれない。

実は、アート作品として結婚自体が主題として扱われることは少なく、数えられるほどである。そのなかでも最も有名なエピソードに「聖カタリナの神秘の結婚」がある。

カタリナは4世紀はじめに殉教したとされるキリスト教の聖女。エジプトのアレクサンドリアの王家出身で、トップレベルの教育を受けた美女だ。

ある日、カタリナは隠者から聖母子の聖画像を授けられた。すると絵の中の幼いキリストは彼女の信仰心の高まりとともに彼女の方を向き、カタリナの指に指輪をはめたという。神との深い内的な結びつきを象徴するこのシーンを「聖カタリナの神秘の結婚」と呼ぶのだ。

ローマ皇帝マクセンティウスはカタリナを花嫁に迎えようと試みるが、すでに「キリストの花嫁」であると言って拒絶する。

皇帝は50人の哲学者をカタリナのもとに送り込み、議論によってキリスト教の教えを棄てさせようとするが、彼らはカタリナの学識によって論破され、逆に洗礼を受けてキリスト教徒になる。激怒した皇帝は迫害に転じ、聖女は最後には斬首されて殉教した。

多くの画家がこのエピソードを愛し同じ主題で描いた。「聖カタリナの神秘の結婚」というタイトルの絵は世界中の美術館で見ることができる。

特におすすめなのは東京・上野の国立西洋美術館に常設展示されている「聖カタリナの神秘の結婚」。イタリアのルネサンスの画家として高名なヴェロネーゼによる作品だ。

実はこれは、1547年のイタリア貴族の結婚を記念する絵画なのだ。左上をよく見てほしい。絵画の隅に両家の紋章が組み合わされているのだ。

高貴な血筋に生まれ高い教養をあわせもち、キリストへの信仰を貫いたカタリナは、結婚後のルネッサンス女性のあるべき理想像として扱われたのであろう。

当時の人たちが結婚に求めた価値観があらわれた一枚だ。

アート作品としては、結婚そのものというより夫婦という二人のかたちや関係性についてシンボリックに表現されることが多いと思う。

そういった意味で、私が理想とする「二人」の概念が表現されているアート作品は、熱海にあるMOA美術館のヘンリー・ムーアの「王と王妃」である。相模湾を望む高台のガーデンに配置されている、椅子に腰かける男女のブロンズ像だ。

数年前に初めてこの彫像を見たときに、若かりし父と母がそこにいるように感じた。私が生まれる前に海辺で撮られた二人の白黒写真を昔、アルバムで見たことがあった。それが心いっぱいによみがえってきたのだ。

一昨年に父が亡くなったあと、またこのブロンズ像を見たくなって私は美術館へ足を運んだ。母を連れてきたかったが、病床に伏しているためかなわかった。

その日は曇りだったが、以前と変わらず二人は椅子に座って相模湾を穏やかに眺めていた。朝も夜も、どんな天候だろうと、季節が移ろうと、何が起きようと変わらない二人の姿。それは、生々しい現実の問題をいくつも乗り越えることで培ってきた父と母の夫婦という信頼関係を形にしたものように思えた。

主張がなく無我ともいえる、二人が空気に溶け込んでしまうような境地、おそらくそれが理想の結婚であろうと私は感じた。

「健やかなる時も 病める時も
喜びの時も 悲しみの時も
富める時も 貧しい時も
これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい、誓います」

心から誓いあった二人の関係をかたちにすると、こうなるのではないだろうか。

彫像から父と母の会話が聞こえてくるようだ。

「ねえ、あなたあの子これからも結婚しないのかしら?」

「どうだろうな」

「結婚式場に長く勤めすぎたんじゃないの? 人間ドラマもいろいろ見ちゃったみたいだから」

「本人が、この海のようにおだやかに生きることができればいいんじゃないの。結婚も非婚もかたちは関係ないよ」

「そうね」

「そうだよ」

父も母も私に結婚をすすめることは一度もなかった。いつも「お前が生きたいように生きたらいい」と言ってくれた。その実、二人きりになると心配しているような気配を感じいつもそれが気がかりだった。

しかし、この日、その気持ちが晴れた。

私にとっていろいろな問題を乗り越えながら長年添い遂げた父と母が理想の夫婦像であることは間違いないが、そのあとを追わなければならないのではという思いがいつも心の片隅にあった。だから両親の言葉通りに自分らしく思い切って生きるということはなかなかできなかったのだ。

(ありがとう。また会いに来るね)

私はつぶやいて、二人の彫像をあとにした。新しい気持ちで自分の生き方とは何かを考えながら。

《終わり》
写真出典:New York Times


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