僕が僕であるために、ぼくと言う。
尾崎豊さんの歌みたいなタイトルですね。えぇ、インスピレーションは受けてます。ぼくね、文字の場合「ぼく(ひらがな表記)」にしてるんです。前までは「僕」だったんですが、変えたのはここ最近の話です。
理由は、やわらかくしたいから。
なんとなくですけど漢字表記ってしっかりしてる、堅めなイメージありません?堅いとか真面目すぎと言われてしまうことが多いので、まずは変えられるところから変えてみようかと思いましてね。普段触れている言葉、使っている言葉から変えていかないとなかなか変わんないんじゃないかなって。
真面目であるのはいいことなんですけど、多分真面目と言う言葉を使って「堅い、面白みにかける、融通が効かない」などを言われている。考えすぎではなくおそらくこの辺の意味合い。
ご飯してるときにも真面目な話ばっかりじゃ楽しくないですからね。だからといってわざとふざけたり、変わったことをするんじゃないですよ。自分でありながらも徐々に堅さをなくしていく。
やっぱりどこか、表向きな自分だった気がするんです。仕事はこれでいいんですけど、自分として付き合いたい人の前では背筋を伸ばすんじゃなく、猫背なぼくでいたい。でも、やっぱり背筋を伸ばしちゃうんだよね。むしろ、それがぼくなのかな?それも真面目に考えちゃう。猫背のままでいようとするぼくはぼくじゃないから。
あ、もしかしたら理想があるのかな?こういうぼくで居たいっていう。こういうぼくを見てほしい!みたいな。でもそれじゃーぼくじゃなくなる。あれ。禅問答みたいになってきたぞ。このままいくと「ぼく‥とは?」ってなっちゃう(笑)迷走するまえにやめよう。
ともかく作らないぼくでいる。まずは作らないぼくでいることに、ぼく自身が向き合わなくっちゃね。
こんな気持ちを感じられる機会って少ないんです。みんなの前では等しく背筋を伸ばしていようって思う。だって、それで問題ないんだもん。だけど疲れちゃう。それに問題が(ってほど深刻なことではないんだけど)でてきた。作ってる“有野優樹”でいることに。ぼく自身も変わるぼくに慣れるのに時間がかかる。変わるには時間が必要ですからね。
作らないぼくでいるための一歩、それが“ぼく”でいることだから。
ナレーター
有野優樹(ありのひろき)
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