見出し画像

勝共連合の渡辺芳雄副会長にぶっちゃけ聞いてみた(10,000字インタビュー)

国際勝共連合の渡辺芳雄副会長との対談動画(6月21日にYouTubeに公開)の字幕を全文公開いたします。


ゲン 皆さん、こんにちは。勝共連合のゲンさんです。お元気ですか?
今回はなんと、国際勝共連合の渡辺副会長に、色々ぶっちゃけ聞いてみたいと思います。今回は「ほぼ5分」ではなく、時間を大幅に延長してお届けしたいと思います。それでは渡辺副会長、よろしくお願いします。

渡辺 皆さん、こんにちは。渡辺でございます。副会長という立場で、街頭に立ったり、様々な集会で私共の主張を訴えております。今日は、この素晴らしい番組と言いましょうか、YouTubeチャンネルに参加させてもらって本当にありがとうございます。毎回見ております。感激しております。ありがとうございます。

ゲン 渡辺副会長もご覧になってくださってるんですか!? 大変恐縮です。

渡辺 「一会員の立場で」ということではございますが、このように私共の共有できる部分に関して、様々な方法・手段を用いながら積極的にメッセージを発してもらう。心から感謝しております。これからもぜひ頑張ってください!

ゲン 渡辺副会長、どうもありがとうございます。副会長からもこう言っていただきましたので、これからもどんどんガンガン発信していきたいと思います。それでは、そろそろ本題に入りたいと思いますが、今回は勝共連合の一会員であるゲンさんが、国際勝共連合の渡辺副会長に、勝共会員や一般の方が聞きたいような質問を代わりにぶっちゃけ聞いてみたという、そんな対談になればと思います。よろしいでしょうか?

渡辺 よろしくお願いします。

渡辺副会長が勝共連合(運動)に関わるようになった経緯

ゲン それでは早速ですが、渡辺副会長はどうして勝共連合や勝共運動に関わるようになったのでしょうか? 

渡辺 緊張してしまいます。過去のことを思い出すというのは、だいぶ苦しい時もありますので、それらを含めながら簡単に話をしてみようと思います。

人生の問題に本当に悩んだのが高校2年生の頃でありました。何のために生きるのかわからないと。学校も休みがちで、ある時ふらっと街に出て、本屋に入りましたら、1冊の本が目にとまりました。『歴史と人間』という本なのでありますが、柳田謙十郎という人が書いた本で、日本の歴史を、いわゆる「唯物史観」に沿った形で説明しておりました。

「歴史とはこのように動くのか」と思って、「なんだ、だったら悩む必要はないじゃないか」と。社会主義、共産主義に歴史が向かっているのであれば、自分もそのように生きるのがよく生きる、何のために生きるかという回答だと思って、そこから実は、共産主義思想、共産主義の活動に対して関心を持ち、ある程度の関わりを持っていったのであります。

そして、それは大学1年生に入って夏頃まで続きました。大学に入ってからは、「民主青年同盟」の人たちと一緒にある程度活動いたしました。安全保障の問題、あるいは沖縄問題等々を一緒に少しやったのであります。

しかし、実は、1968年がその時なのですが、共産主義・社会主義の国々も、ちょっと自分が理想としていたものと違うなというようなものが出始めました。

それは、例えば、レーニンは「民族自決権」というものを非常に強調しておりましたが、チェコスロバキアの国がありました。そこで、「プラハの春」という民主化運動が起こった時に、ソ連のブレジネフ、当時の指導者ですが、「制限主権論」という話を持ち出しまして、社会主義の国同士の連帯のほうを優先しなければいけないということで、力づくで「プラハの春」を抑え込んだわけであります。

「これはレーニンが言ってることと違うじゃないか、社会主義の理想と違うじゃないか」と思いました。

そして翌年、1969年のことですが、「社会主義の国同士は戦争しない」と言っていたのですが、ソ連と中華人民共和国・中国との間で、「中ソ紛争」が起こりました。「これもおかしいな」と思いました。

そして、階級――支配階級、非支配階級という、「階級のない社会」と言いましたが、次のような言葉も目に、あるいは耳に飛び込んできました。「ノーメンクラツーラ」、「新しい階級」と訳されることがありますが、「ノーメンクラツーラ」そのものは、「名簿」のことを指しているらしいのですが、だんだん、社会主義・共産主義にも、もっと深刻な問題があるということが分かってきまして、活動からちょっと身を引いた時がありました。

その時、「共産主義は間違っている!」と言う人たちが出てきたわけであります。大学の中で、あるいは街頭でです。ある程度活動から身を引いていた時でもありますから、その人たちの声も聞いてみようと思いました。が、とても初期は入ろうとは思いませんでした。というのは、まだまだ共産主義の物の見方・考え方に、自分の考え方は、ある程度一致していた部分があったからです。随分時間が掛かりました。

でも、「自由で平等な共同体を創る」というこの理想、これはマルクスの理想でもあったわけですが、それは「共産主義は間違っている!」と叫んでいるこの人たちの中にあるんじゃないか、この(勝共連合の)人たちが実現できるんじゃないかという思いが、だんだん強くなってきまして、随分時間は掛かりましたけれども、その人たちの活動が勝共運動、勝共連合の人たちであったわけですが、その人たちとの連携をだんだん取るようになっていったというのが経緯です。ちょっと長くなってしまいました。

勝共連合のこれまでの主な活動は?

ゲン それでは次に、勝共連合は昨年(2023年)、創立55周年を迎えましたが、勝共連合はこれまでに主にどんな活動をしてきたのでしょうか?

渡辺 これも、本当に振り返ると長い内容になります。(国際勝共連合は)1968年に発足しましたが、その時から「共産主義は間違っている!」という、「勝共理論」と呼んだわけですが、『新しい共産主義批判』という本をベースにしながら、勝共理論の街頭講義、それから街頭での演説、今もやっておりますが、マイクロバスの上に立って訴えるというようなことを始めました。

さらには、日本共産党との公開理論戦に挑むいうことも70年代に入ってすぐ始めたわけです。

そして1970年は、「世界反共大会」を国際勝共連合が主催する、そこに全力を投入しました。

そして、今日の中華人民共和国の脅威と関わってくるのですが、1971年、国際連合に、中華民国が常任理事国として加盟していたわけですが、「中華民国ではなく、中華人民共和国が入るべきじゃないか、交代すべきである」という議論が世界的に巻き起こってきました。私たちはこれを「国連の中共承認」と呼び、それに反対するという運動を日本国内あるいは国際連合の前でも行ったのであります。

そして、当然のことながら、「日中友好条約締結反対」、これが70年代の初めから78年、日中友好条約が結ばれるまで続いたのです。これは、中華人民共和国が、台湾、いわゆる中華民国に代わって国連に入って、中華民国が追い出されるということになった場合、「いずれアジアに大動乱が起こる、そして世界が大混乱になる」いうことを訴えました。これが1点です。

それから2点目ですが、日本は特に、中華民国の蒋介石総統に非常に強い恩義があると。蒋介石総統は「怨みに報いるに、徳を似てす」ということで、200万人強いた、中国大陸にいた日本人が帰国することを助けてくれましたし、ソ連に対して「北方領土に、北海道に、絶対軍事侵攻してはいけない」という釘を刺してくれました。この恩義に報いなければいけないということが、この運動をやった経緯でありますし、今もその精神は変わっていません。

それから、70年代の後半、1978年は京都知事選挙、28年続いた共産府政、蜷川府政が新しい後継者を立てる段階に入った時に、私共はそれと戦い、共産府政をそこでストップをかけました。このことが日本共産党にとっては大変な恨みであるようで、「絶対仕返しをする、そして決着をつける」(と)。

あの悲惨な事件だった、2022年7月8日の、安倍先生が亡くなった直後のことでしたが、私共の友好団体である家庭連合(旧統一教会)、そして私共も批判されたわけですけれども、志位(当時)日本共産党委員長が「今度こそ決着をつける」「思い返せばあの京都知事選挙における…」ということで、京都知事選挙で敗北したことを挙げたわけです。このような戦い、これは「民主連合政府構想」というのがあったわけですが、それをそこでストップをかける。そして「革新自治体」がどんどん広がっていったわけですが、それにストップをかけるという、重要な転換点となりました。

そして、日本共産党との言論裁判、これは私共が勝ちました、事実上。そして、日教組、日本教職員組合批判、それから教科書問題をはじめとする「教育正常化運動」、これをやってきましたし、そして70年代の後半から80年代にかけまして、今日も続けていますが、「スパイ防止法制定運動」を展開してきました。そして「北方領土返還運動」、あるいはまた「自主憲法制定運動」や、建国記念の行事に積極的に参加すると。もっとたくさんありますけれども、これだけでも、随分説明が長くなってしまいましたが、今日までやってきた主な内容です。

勝共連合は「政界工作」を担当してきたのか?

ゲン これまでの55年の歴史にわたって、勝共連合が様々な活動してきたことを改めて確認できました。
先ほど渡辺副会長のお話にもありましたが、2022年7月の安倍元首相暗殺事件以降、勝共連合の友好団体である家庭連合・旧統一教会へのバッシングと合わせて、勝共連合も様々な批判にさらされてきました。そのうちの1つに、「勝共連合はこれまで、政界工作を担当してきた」といった批判があります。実際、勝共連合は政界工作を担当してきたのでしょうか?

渡辺 この「政界工作の担当」というような表現そのものが、非常に謀略的で欺瞞に満ちたものであります。まず、そのことを最初に指摘しておきたいと思います。

自由民主党と確かに連携を深めてきました。理由は、簡単に言えば、日本を共産革命から守るためです。

自由民主党の立党の精神は、細かくはいくつかあると思いますが、大きくは2つで、「自主憲法制定」、それからもう1つは「反共」です。すなわち、日本を共産革命から守るということです。この点におきまして、私たちの目的・目標が完全に一致いたします。

ですから、連携を取るのは当然のことでありまして、これを「工作」と表現をして貶めるというのは、共産主義者の策動以外の何ものでもない、ということが言えるわけであります。

共産革命は「私有財産制度を廃止する」、最終的にはやります。そしてそのためには、宗教を完全に廃絶しなきゃいけない。この流れにつきましては、また説明すれば長くなりますのでここで留めておきますけれども、こういうとんでもない革命から日本をなんとしても守らなければいけない、これが私たちの活動であり、連携したのが自由民主党だったということであります。

勝共連合は「反日団体」なのか?

ゲン 先ほどの質問に加えて、勝共連合の友好団体である家庭連合が、韓国発の宗教団体であることなどから、「勝共連合も反日団体だ」といった批判があります。ズバリ聞きますが、勝共連合は反日団体なのでしょうか?

渡辺 それは全く違います。私たちは、日本における政治団体として、選挙管理委員会に対して、毎年収支報告を(提出)しているのですが、当然、日本の法律、日本のあり方というものを土台にした、日本に絶対共産革命を起こしてはならないということを目的とする政治団体です。

創設者は確かに文鮮明総裁でありますけれども、それは、日本におけるその活動、日本から共産革命を絶対阻止するという活動を展開してきましたので、これまで日本における国際勝共連合が、歴史認識の問題や領土問題において、反日的な発言をしたことや、また機関紙のそれを載せたことは一度もないはずです。それは確認してもらえばよくわかるところです。日本のために、日本を守るために、日本の国土と国民を守るために私たちは活動してきました

勝共連合は北朝鮮をどう見ているのか?

ゲン 勝共連合の創設者でもある文鮮明総裁は、1991年に訪朝されましたが、勝共連合は北朝鮮をどう見ているのでしょうか?

渡辺 1991年の訪朝、文鮮明総裁ご夫妻の訪朝に関連して、「反共」ということで、共に戦ってきた人たちのごく一部からでしたけれども、「裏切られた」というような表現を聞いたこともありました。その内容と関係しますので、少し説明をしてみようと思います。

さて、朝鮮半島・韓半島の平和的統一、これは絶対成し遂げなければいけないものであると考え、それはアジアと世界の平和のためです。国際勝共連合は世界平和のため、アジアと世界平和のために存在していますので、その一つの重要な柱として、日本においては共産革命から日本を何としても守ることであります。

さて、朝鮮半島の平和統一は、アジアと世界の平和の実現のために必須欠かしてはならない要件であると考えております。

なぜならば、朝鮮半島が今分断されている、分断しているという現状を踏まえて、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国を、うまく利用しながら、背景にある中華人民共和国、あるいはソ連、現在のロシアですが、北朝鮮を利用しながら、アメリカあるいはヨーロッパ、日本も含む、自由民主主義の世界に対して挑戦して新たな国際秩序を作ろうとしています。この分断状況がこのように利用されている限り、アジア、世界の平和は絶対実現できないと考えております。

しかしながら、この朝鮮半島の分断の背景にある、体制間の競争、あるいは体制の違い、背景にある思想の違い、経済の仕組みの違い、これは非常に深刻なものであります。

北朝鮮は「主体思想」の国です。「主体思想」は、マルクス、レーニン、そして金日成の考え方をベースにしながら構築されました。最近は共産主義という言葉を使わなくなっていますけれども、基本的考え方は同じであります。

そして、大韓民国のほうは、もちろん自由と民主主義の国であります。このように体制が全く違うと言っても過言ではありません。

さて、これが統一される場合、主体思想を背景とした武力による統一、これを大韓民国は絶対認めませんし、アジアも世界も認めません。すなわち、武力統一は絶対阻止します。だからといって、大韓民国側の自由と民主主義、この自由と豊かさでもって北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国を吸収統一する、これは北朝鮮が絶対認めません。

ですから、こういう状況では絶対一つになる、統一する、統一されるというのは無理なのです。そこで、文鮮明総裁は、91年11月ですが、北朝鮮を訪問し、このことを訴えました。

簡単に言えば、「今の北朝鮮の主体思想を中心とする体制では、統一は絶対無理なのだ」と。「どうやって主体思想でもって統一にもっていくのか」ということを、机を叩いて歓迎してくれた人たちに訴えたわけであります。

「だから、これ(主体思想で)は無理なんだということを認識する必要がある」。すなわち、「現状を否定しなければいけない」。「否定」と言っても、全部なくせということではありません。これを超えなければいけないと考えるべきだ。

じゃあ、大韓民国に対しても、「大韓民国の自由と豊かさで吸収統一なんかできるのか、これも絶対無理なんだ」と。ですから、「今の自由と民主主義、あるいは今の豊かさだけでは統一は絶対無理なんだ」と。

この内容を踏まえながらも、これを超えた統一が必要だということで、文鮮明総裁が強調していますのは、「神を中心として、兄弟姉妹の心情で相向かい合うようにならなければ統一は無理なんだ」ということを提言したわけです。

このような意味で、北朝鮮を訪問し、そして統一を訴えました。決して勝共、「共産主義は間違っている」という考え方を捨てたわけでは全くない、ということをご理解いただけたと思います。勝共の考え方を貫く形で、統一に向かうというのは、これ以外にしかなかったということなのです。

さて、今、北朝鮮は非常に厳しい現状の中にあり、残念ながらロシアや中国に頼らざるを得ないような状況になっております。どんどん北朝鮮は自国が難しい状況の中に追いやられていると言ってもいいでしょう。

多くの人たちがこう指摘しているのですが、もしトランプ氏が再選されたならば、新たな北朝鮮の体制の補償とともに、新しい南北統一の道が、言葉は良くないかもしれませんが、「新たな取引」という形で動き出すのではないか、北朝鮮もそのことを願っていると信じていますし、そのような声が大きいわけです。

そのような状況を踏まえながら、あの91年の訪朝、それをぜひご理解いただければ、こう思っております。

令和の日本でいまだに共産主義の問題や脅威があるのか?

ゲン そもそも勝共連合は、「共産主義に勝つこと」を目指した政治団体だと思いますが、令和の日本において、いまだに共産主義による問題や脅威があるものなのでしょうか?

渡辺 共産主義、いわゆるマルクス主義としての共産主義ですが、共産主義という言葉そのものは、マルクスよりもっと前にありました。今私たちが問題にするのは、マルクス主義としての共産主義であります。

マルクス主義は、一体どういう革命をやろうとしているのかということにつきましては、様々なマルクスが語った言葉があり、残したものはありますけれども、『共産党宣言』の中に最も端的に示されていると考えます。

1つは、逆接的な表現をしているのでありますが、「ブルジョア的家族の廃止」です。すなわち、今ある伝統的な家族観、あるいは既存の家族、これを全面的に否定しなければいけないんだ。いわゆる「家庭の否定」ブルジョア的、既存の家族を否定する、家庭崩壊の考え方があります。それがなければ革命は無理なんだということであります。

もう1つは、プロレタリアート(労働者階級)が団結して、今の社会秩序を暴力的に転覆しなければいけないという内容であります。今、プロレタリアートが団結して、暴力的な転覆というような可能性は随分低くはなっています。しかし状況次第では、可能性はまだ残っています。

今一番深刻なのは、社会の共同体の基本的単位である家庭が、マルクスの物の見え方・考え方でもって、どんどん崩されているということであります。

「LGBT理解増進法」の問題同性婚の問題同性カップルの問題等々、活動家の背景にはそのような考え方があるということを、ぜひご理解いただければと思います。これがまず、日本国内における内憂でございます。

もう1つはやはり、このアジアと世界の最大の脅威となっております、中華人民共和国の問題です。この覇権主義に、日本は今直面している状況ですので、「台湾有事は日本有事である」という観点に立って、それを直視しなきゃいけないということが言えます。

ですから、共産主義の問題は、令和の時代において、もっと深刻な段階に入ってしまっているとご理解いただければと思っております。

勝共連合は現在、共産主義に対して主にどんな活動をしているのか?

ゲン そんな勝共連合は現在、共産主義による混乱や脅威に対して、主にどんな活動をしているのでしょうか?

渡辺 現在は、ご存知のように、2年前の安倍先生の事件以来、友好団体である家庭連合、そして国際勝共連合、非常に厳しい状況に置かれております。しかしながら、私たちは一貫して、これまでやってきた活動を貫くということで、街頭での演説、あるいはまた集会、共産主義勢力を批判する様々なビラの配布等々、これを徹底して今続けているわけであります。今後もそのことを継続しながら、私たちの本当の姿をお示ししていき、同時に、日本を脅威から守っていく活動を継続していきたいと考えています。

そもそも、勝共連合は何を目指してるのか? 日本をどんな国にしたいのか?

ゲン そもそもの話ですが、勝共連合って何を目指してるのでしょうか? この日本をどんな国にしたいと考えているのでしょうか?

渡辺 国際勝共連合の創設の目的、それはこれまでも述べてきた内容と重なるところはありますが、基本的に政治の目的と言ってもいいかもしれません、世界平和です。平和があって初めて、経済の発展も成長もありますし、あらゆるものが満たされることになります。

平和を乱す、平和を実現するという道において、一番困難な状況を作っているのは、共産主義だということをまず明確にご理解いただきたいと思います。

日本における共産主義勢力、日本共産党や、あるいはまた一部のリベラルな政党の人たちもそうでありますが、簡単に言うと、「強い日本」を認めようとしません。すなわち、「抑止力を高める」ことを認めようとしません

共産主義は、特に日本は、マルクス・レーニン主義、そのレーニンの考え方に基づいて日本共産党は創設されましたし、そして日本の左翼勢力もその影響を強く受けているわけでありますが、レーニンは、国内において共産主義者は何をすべきかというと、もし戦いになった時には、敗北するように国内で活動しなさい。負けた、すなわち敗戦の状況こそ、革命を起こす絶好のチャンスだと捉えて、それを指導してきました。その影響は、今もしっかりと日本国内に残っています。これを克服しなければなりません。

もう1つは、日本は終戦後の7年間の占領政策の影響も残っており、また日本国憲法の問題もありますが、独立国としての内的外的、その用件を整えておりません。日本は独立国としてしっかりした内外の状況を整え、これ憲法改正が絶対不可欠であります。強い国になって、そして世界平和のために積極的に関わることができる国になること。これは安倍晋三先生が語ってきたことと完全に重なりますが、「積極的平和主義」これを貫くことができるような国になることが、私たちが日本において、この勝共運動を政治運動としてやっていくその目標となっています。

国民の皆様へのメッセージ

ゲン それでは、この動画を視聴している勝共連合の会員ではない国民の皆様に、何かメッセージがあればお願いいたします。

渡辺 日本が今置かれている危機、内的な危機、外的な危機についてご説明させてもらいました。そこから目を背けるのではなく、直視してもらいたいと思います。

そのためには、私共が、その面に絞った様々な情報を発信していますので、ぜひそれを受け止めていただければと思っております。私たちの発信力ももっと強化していきたいと思いますし、勝共のゲンさんのメッセージも、もっともっと多くの人たちから、見ていただけるようになれば、その目的達成の一助になるのではないかと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

勝共連合の会員に激励のメッセージ

ゲン ゲンさんも頑張ります! では次に、この動画を視聴している、勝共連合の会員の皆様に激励のメッセージをお願いいたします。

渡辺 勝共連合は政治団体です。政治活動をやるという、その立場に立っている人は、何よりも重要なのは「情報力」、そしてもう1つが「情熱」であります。情報力と情熱、これはもう分けることができません。しっかりした情報を得ることによって、何が問題なのか、どうすべきかがわかってきますので、当然情熱は備わってくることになります。情報と情熱がなければ、政治的な目的を達成するための活動はできませんので、ぜひこの2つを持つことができるような、そういう「実践会員」となっていただければと思っております。

若者へのメッセージ

ゲン それでは、最後になりますが、これからの日本を背負って立つ若者にも何かメッセージをお願いいたします。

渡辺 私もこのような年齢になり、そして若い人たちに何か伝えたいことがあればと聞かれれば、今はゲンさんから聞かれましたけれども、いつも例えとして出しておりますのは、やはり吉田松陰を中心とする、わずか数年間の松下村塾のことであり、そして、松下村塾での経験を経た、そういう人たち、山縣有朋とか伊藤博文だとか、その様々な評価はあろうかと思いますけれども、維新後の日本を作ってきました。

吉田松陰は30歳に至る前に亡くなりましたけれども、そして、松下村塾で教えたのは、主に孟子の内容がほとんどだったようなのでありますが、今の山口県萩市、あの一部に優秀な人たちが集まっていたんじゃないと思うんです。あの地域に優秀な人たちがたくさんいたわけじゃないんだと思うんです。何が違ったのかというと志です。日本の国のために、自分の全てを懸けるという志であります。時には自分の命を犠牲にしてもいいという覚悟です。それを吉田松陰という人物が持っていた、その感化を受けた人たちが、それまでにないその気持ち、一つの日本の国のために自分は全存在を懸けようという志、覚悟を固めることができたと思います。これが訴えたいことです。

そしてこれは、よく昔からの言葉で、「男子、三日会わざれば」、ある一人の人と3日会わなければ、「刮目して見るべし」と。すなわち、人間が覚悟を固めることができるチャンスというのはいつもあるんだと。3日間もしその人と会わなかったならば、その人は別人だと思って会わなければいけない。ちょっと正確な言葉ではなかったかもしれませんが、それぐらい覚悟というものが必要であろうと思います。

若い人たちにと、何か上から目線で申し訳ないんですが、国と世界のために明確な志を持ち、覚悟を持って生きていけるような、そういう人になっていただければということを願いたいと思います。

ゲン 渡辺副会長、今日は長時間、本当にどうもありがとうございました! それでは、今日も明日も元気に! ゲンさんと渡辺副会長の対談でした。チャンネル登録と高評価もよろしくお願いいたします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?