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世の中への恩返し~資本主義の弊害を超えて~

みなさん、こんにちは。柳本です。

突然ですが、皆さんには熱狂しているものはあるでしょうか?

漫画、アニメ、アイドルの推し、スポーツ、ゲーム、読書、ビジネス。いろいろな熱狂する要素がありますね。一方で自分に興味が無い何かに熱狂している人を見ると、どんなふうに皆さんの目に写るでしょうか?

熱狂している人が気づいていない面が見えたり、なぜそこまでハマっているんだろうという気持ちになるのではないでしょうか?一方でより多くの人が熱狂しているものでその輪の中に既に自分も組み込まれていると、その熱狂の構造や仕組みについて考える機会を失いがちになります。

図らずも多くの人が熱狂している枠組みとは何か?それは資本主義です。日本で生きるということは資本主義の枠組みに自動的に組み込まれ生きるということ。且つその中で多くの人が熱狂している状況です。では何に熱狂するのか?資本主義はお金を稼ぐ、増やすというゲームだと私は解釈しています。そのゲームにコミットすればするほどお金を集め増やすという熱狂の渦に飲み込まれています。

しかし、ふとした時にこの資本主義というゲームの中で生きることの息苦しさを感じませんか?この息苦しさはどこから来るのでしょうか?それを解決するためには、無意識的に参加しているこのゲームの実態を少し離れた視点で把握し、何が問題でどのように対処していくべきかを考える必要があります。

資本主義の弊害に悩む人への処方箋になるよう考察していきます。

資本主義の始まり

我々が普通に生活していると、資本主義経済に組み込まれているということをなかなか意識しなくなります。しかし、労働をしてその対価としてお金をもらい、そのお金を物やサービス、情報などに消費する、誰かや何かに投資する。これはまさしく資本主義の中での生活です。物事を客観視するならばその起こりや構造を知る必要があります。まずは熱狂の輪の外側に出てみましょう。

資本主義経済が発展する前にも貨幣経済はありました。しかし徹底的に違うのは富の蓄積欲望を駆り立てる装置の有無です。

先ず富の蓄積について見ていきましょう。これはマックスウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という著書の中で語っています。内容をめちゃくちゃ俗っぽい言い方で要約すると、キリスト教のプロテスタント一派が教えを守って禁欲的に一生懸命働くからお金が貯まって資本主義が広まる土台になったよ、という話しです。なんだか怪しい方向になってきましたねw

救いを求めるほどお金が貯まる?

深掘りすればいくらでも難しい話に出来るのですが、論点はそこではないのでなるべく簡単に説明しますね。17世紀のヨーロッパで信仰されていた当時のキリスト教は教会の腐敗など禁欲とはほど遠く、目も当てられない状況でした。宗教という組織は権威を持ちやすく腐敗はどこにでも起こりえるから仕方ない側面はありますね。

当時のキリスト教の教会は祈れば救われますよ、そのためには教会に尽くしてね~と言ってたんですね。免罪符なんてものも作ったり。でもある時そこに疑いを持つ人が出てきます。その人がカルバンです。え?この話どうやって資本主義につながるのって?大丈夫です、焦らず聞いてください。

真面目なカルバンはこう考えるんですね。教会が言ってることって本当なのと?結局それって腐敗じゃないのと。祈りで救済されるの?と。そして彼は、実は救済される人はあらかじめ決まっているという予定説を唱えました。祈りによって救われないとするとどうやって救いの確信を得るか?その答えが天職(職務労働)だったのです。神から与えられた天職(労働)を禁欲的に続けていけば救済を確信できると。

このカルバンの教義は教会の腐敗に辟易していた多くの民に広まっていき、救いを求めてカルバン一派はものすごい禁欲的に労働します。どんどん物を作ったり、何かを売っていきます。沢山仕事をするために合理的に改善もしていきます。でも禁欲的なのでお金は使わずに貯まっていく一方。これまでの貨幣経済ではそこまで大きく蓄積されなかった富がどんどん増えて貯まっていくんですね。禁欲的に合理的に働く⇒お金貯まる⇒更に働くということで救済を求めてどんどん富が蓄積していきました。富が蓄積する、財が貯まることが労働の成果=信仰心にも見えて富を蓄積することへの毛嫌いも薄れます。この活動を繰り返す内に投資をするための原資も生まれ、さらに新たな労働をするためにお金を投資してどんどん労働を広げていきました。

富を増やす為の動機づけ、貯めるための構造、そしてそれを原資に更に富を増やせそうな物に投資をするという構造の変化が起きたのです。

断っておきますが、このプロテスタンティズムの禁欲的な働き方という観点での富の蓄積は現代にはもう残ってはいません。ただ、お金を稼ぐ、増やす、儲かりそうな物に投資をするという今我々が組み込まれている資本主義の枠組みは今も生きています。この構造を知ることは”熱狂”から距離を置く意味で重要です。

資本主義の完成

では次に資本主義のもう1つの特徴である、欲望を駆り立てるとはどういうことなのか?

プロテスタンティズムを起源とする資本主義では合理性を追求し大量の物をどんどん作って売っていきました。しかしそこで需要の創出に限界が来るんですね。同じ商品を沢山作っていくと物としてはもう溢れてしまいます。同じものは2つも3つも欲しくありませんよね。

具体的な事例を言うと、機能化し規格化し、画一化する大量生産方式により生み出されるT型フォードがまさにこの旧来の資本主義の結晶でした。しかしそこにGMが新しい自動車販売/生産戦略、デザインと広告を柱とする「消費者の感情と動機と欲望に敏感な」システムを作り出し、フォードを生産停止まで追い込みます。この出来事は情報による消費の創出が当たり前になるきっかけとなりました。

言い換えれば、フォードが築いた容量の限られた需要の世界を「自動車は外見で売れる」というGMの政策が、潜在的に無限に要領を持つ市場に創り替えた瞬間だったということです。その時にデザインを追求して同じ自動車という商品にもっと欲しいと思わせるモノに転換した、そしてデザインと連動した広告により消費者の欲望を駆り立てることに成功したのです。本来の移動に必要という用途だけで言えば、同じ見た目の自動車意外を作る必要はなかったのです。そこに人と違う、カッコイイと思わせるデザインを加え、このクルマを使っている人はカッコイイという広告で刺激して新たな需要を創造したのです。

ここで資本主義は一段階進化して、必要な需要に対して効率的に物やサービスを作って供給するというステージから、自ら消費者の欲望を駆り立て需要を創造するというステージに移ったのでした。このステージこそが純粋な資本主義といえるのです。

ここまで来るとだいぶ皆さんの感覚に合ってくるのではないでしょうか?そう、今も続いていますよね。モノを作ることに限らず、知識、音楽、娯楽など情報そのものを対象とし消費者の欲望を無限に掻き立て続けることで資本主義は自己増殖し続けています。その欲望を駆り立てる手段としてテレビや新聞などのメディア、今ではSNSが広告として活用されています。我々は常に欲望を駆り立てられ続けて生きているのです。

資本主義の弊害

しかし現代に生きる我々はこの資本主義の仕組みの弊害や矛盾にも気付いています。どのような弊害があるかを見ていきましょう。

【儲かる場所に富が蓄積する一方で格差がどんどん拡大する】儲かる所にお金が集まり、そうでない所には富が蓄積しません。つまり一部に富が集中し貧困が拡大することを意味します。そして儲からないものには社会の中で問題があっても投資がされず問題が残り続ける状況になっています。残念ながらこの富の集中に対して再配分が正しくなされているとは言いがたい状況です。また、世の中の儲けにつながりにくい領域で発生する問題は解決されていないものが多いのです。

【情報により欲望を無限に駆り立て不毛なビジネスと争いを生みだす】ネズミ講やネットワークビジネスがそうですね。これらは本質的には同じ形をしながらもその時々の時代に合わせ巧妙に表情を変え生き延びています。SNSというメディアが発達した現代においても莫大な情報量に身を潜ませ、誰かを狙います。人々のお金を集めたいという欲望を駆り立てるためにお金で釣る、お金が主体の成功体験を見せびらかす、実は何も価値を生み出していないのに、という実態が悲しくも実在します。こうしたビジネスの行き着く先は破滅です。

【資本主義経済圏の「豊かさ」の定義を資本主義ではなかった国に押しつける】資本主義の枠組みに与していなかった国を資本主義圏に組み込んだ時、その国では本来自分たちが食べたり消費したりするための物が資本主義圏の消費を満たすために使われ、その国の内部に流通しないようになります。資本主義経済圏の生活が便利・楽になるためにそうした国々の本来の生活を奪っていることにも繋がります。

【欲望を自己増殖的にどんどん増やし、地球の資源を使い込み、環境を破壊する】本来作る必要が無いものまで作り、捨て、環境を壊していくのです。環境破壊による影響は海洋でのゴミの問題、森林破壊、生態系の破壊、資源の枯渇、温暖化と皆さんもよくご存知な問題ばかりですね。

こうした資本主義の弊害に薄々気付きながらも、欲望を駆り立てられ続け、仕事をしてお金を稼ぎ、蓄積して欲しい物を買うというループを続けることに疑問が湧いている人も多いのではないかと感じます。この生活って本当に豊かなんだろうか?何か大切な物を失っているのではないか、と資本主義の熱狂の中に飲み込まれることの漠然とした不安を感じながら。それでも私たちは自分たちが生きていくために資本主義の枠組みの中で戦っているのです。

自分が得た恩恵を世の中に恩返しする

このモヤモヤした感情は大きくなります。こうした資本主義の弊害や矛盾点に対して何もしなくていいのか?自分自身はたまたま恩恵を受ける側だったけれど(もちろん自分の努力はあるけれど)、今困難にある人に手を差し伸べなくて良いのかと。未来に向かって手を打たなくて良いのかと。我々は資本主義の恩恵を多く受けやすい環境にいるという幸運に恵まれました(そもそも日本に生まれているという点で)。そしてその環境の中で努力したり行動する事で成功したり安定した暮らしを得ています。

そう考えたときに今の自分が受けてきた恩恵を恩返しという形で社会に還元し、世の中を良くすることに貢献するというのが1つの解になりませんか?こうした弊害を正しく認知し行動することで、資本主義の熱狂の中でモヤついた心を晴らすことにもつながると私は考えています。

では何から実行したら良いのか?これは悩みますね。

先ず私が提言したいのはいわゆる社会貢献活動や恩返しの活動のハードルを下げようということです。何かものすごく特別なことをいきなりしなくても良いのです。自分が問題だと思うことは何か、その解決に自分が出来る範囲で小さなことから始めればよいと思うんですね。それがあなた自身のモヤモヤを解き、心を安定させることにも役立ちます。

具体的に出来ることは沢山ありますが、大きく2つの観点を挙げますね。資本主義でかき立てられた欲望を別の形に昇華させること、この問題を発生させる構造を変えるために未来に向けた活動をすること。それぞれ見ていきましょう。

欲望を昇華し利己から利他へ

欲望は基本的に自分の内側に向かう活動です。自分のために何かが欲しい、こうしたい。その利己のエネルギーを利他(誰かのため)に転換するのです。全てを利己から利他にする必要はありません。自分の中に余る利己の感情があるならば、それを利他に向けてみませんか?誰かのための活動は自分にとっても実はとても心地よい物でもあります。いくつか事例を見ていきましょう。

貧困は特に女性や子どもが大きく影響を受ける傾向にあります。貧困に対しての対処として個人で出来ることは今貧困で困っている人(日本国内でも海外でも)への寄付が挙げられます。ユニセフなどの寄付が代表的ですね。セーブ・ザ・チルドレンという団体も世界で活動されています。

使わなくなった古着を寄付することで子どもたちのワクチンに変わるという取り組みもあります。

本を売却する事でそれが寄付になる仕組みもあります。夢を貧困なつぶさせない、大切なこと取り組みですね。

女性に向けた支援は元厚労相の事務次官の村木厚子さんらが実施されている若草プロジェクトなどがあります。

利他を地球全体、あるいは後世の世代と考えると環境保護に関する活動も含まれてきますね。環境保護の観点は個人で出来ることも多いんです。レジ袋有料の流れもありますがマイバッグの持参、地域の清掃、電気の節約、再生利用が可能な商品をなるべく選ぶ・使う等です。製品が作られる過程でどれだけエコなものなのかという観点を持ち商品を選ぶのも大切ですね。

そして我々が住む地域に還元していくというのも利他の観点で大切です。仕事をしてばかりで朝から晩まで会社に缶詰だと、地域に何かを返すという観点が抜けがちになります。地域への貢献活動も様々な物がありますね。

私がヒアリングをした事例だと、地域の子どものためのスポーツのコーチ、近所のお子さんとの自然体験教室、町内のお祭りへの寄付、使わなくなった物をバザーとして販売し自治体に寄付、地域の情報発信(住みやすさ、歴史ある建物、その土地の特産等)などなど。探せばいくらでもありそうですね。情報発信はこの時代個人でも出来ることですね。

まずはこうした取組みに参加したり、日々の行動をちょっと変えるだけでも欲望の昇華に繋がります。

未来に向けた活動にどう貢献する?

しかしもう少し踏み込んで考えないといけないのは、この資本主義の構造が生み出す弊害の根本をどうやって変えていくかです。それを変えるための行動までは自分ではなかなかできませんね。その場合でも、弊害を是正しようと活動する人たちを応援することが未来に向けて我々ができることです。

既にご存じの方も多いかもしれませんが、ここで私が紹介したいのはソーシャルビジネス(ユヌス・ソーシャルビジネス)を世界中で普及されている、ムハマド・ユヌスさんの活動です。彼はバングラディシュの農村部の貧困層の自立を支援するために、無担保少額融資(マイクロクレジット)を行うグラミン銀行を創設しました。同国の貧困撲滅と平和構築に貢献した功績が称えられ、2006年にグラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞しました。彼の活動はバングラディッシュに留まらず世界に広がっています。

ビジネスを通して社会課題を解決する「ソーシャル・ビジネス」を提唱し、3つのゼロの世界(貧困ゼロ・失業ゼロ・CO2排出ゼロ)実現に向け、世界中でソーシャル・ビジネスを実践し続けておられます。

ユヌスさんが提唱するソーシャルビジネスには7つの原則があります。

1.ユヌス・ソーシャル・ビジネスの目的は、利益の最大化ではなく、貧困、教育、環境等の社会問題を解決すること。

2.経済的な持続可能性を実現すること。

3.投資家は投資額までは回収し、それを上回る配当は受けないこと。

4.投資の元本回収以降に生じた利益は、社員の福利厚生の充実やさらなるソーシャル・ビジネス、自社に再投資されること。

5.ジェンダーと環境へ配慮すること。

6.雇用する社員にとってよい労働環境を保つこと

7.楽しみながら。

私は特に、このビジネスの目的は利益の最大化ではないこと、投資家は投資の回収のみ、投資回収以降に生じた利益は他のソーシャルビジネスや自社に再投資されることが素晴らしい仕組みだと感じました。

また日本の中でソーシャルビジネスを実践/普及されている企業としてボーダレスジャパンさんがあります。

「ソーシャルビジネス」で非効率とされて置き去りにされた人や場所を含めて、ビジネスで社会をリデザインすることを掲げられています。既に13か国で35社のソーシャルビジネスが、 貧困、差別・偏見、環境問題など社会問題の解決に挑んでおられます。

私たちができることとしては、これらのソーシャルビジネスを実施している企業に投資をしたり、寄付をしたり、その製品やサービスを使うということで世の中への恩返しに貢献が出来ます。製品を使うという観点ではハチドリ電力などがその良い事例と感じます。環境に優しい電力を自分たちで選ぶことが出来、そこで支払うお金が次のソーシャルビジネスへの投資にもなる素晴らしい仕組みです。

これらの活動は資本主義の儲かるから投資する、富の蓄積と集約をする、欲望に駆り立てられ人間関係や環境を破壊するといった弊害を変えていくための重要な取組みになると私は確信しています。もし何かの欲望を満たすために使うお金や時間があり、そのことに疑問を少しでも感じているなら、こうした取組みにお金を費やしてみるというのも1つの選択肢だと思います。

これらの内容を見て自分にも出来ることがいろいろありそうだな、と感じていただけたなら幸いです。

欲望を制し、未来に向けて少しずつ動きだそう

資本主義という大きな枠組みから個人の力だけで脱却することは大変に難しいと思います。しかしその中でも資本主義が重要視してこなかったことに我々1人1人が注意を向け、力を集結して1人1人ができる活動をすることで日本は世界はもっと良くなると思います。

自分が変わったって世界は良くならないと思わないで、みんなで少しずつ出来るところから変えて、未来の子どもたちが生きやすい世界にしていきましょう。

後の世に負の遺産でなく善意と持続的に成長できる未来を残すために。

私たちに出来ることを一歩ずつ。

【参考文献】




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