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今の時代を生き抜くための資質とは?~渋沢栄一から学ぶ志~

時代の変化が激しく、また価値観の変遷も今ほど揺れ動いていた時代があっただろうか?

今の時代はAIや自動運転、脳科学にロボティクスなど技術の進歩も目覚ましい。またグローバリゼーションからの米国や英国のような自国内向きの政策の変遷。GAFAと呼ばれる巨大企業によるプラットフォームと情報の独占など、一つ一つを取り上げても語り切れない変化の大きさ、うねりがある。

先の見えにくい時代を生きる術はあるのか?

我々はこの時代にどのような志を持って生きていくべきなのか?その具体的な指針が揺らいでいるようにも感じる。

戦後から続いた経済成長の衰退に伴い、いい大学を出て、いい会社に入っていれば安泰という時代は残念ながら終わりを迎えつつある。いい会社に入ったとしても不景気によるリストラで家計は苦しく、またそもそも就職氷河期で企業に入ることすら困難な時代が続いた。

企業は終身雇用や年功序列型の仕組みの見直しを声高に宣言し始め、もはや一生安泰などという場所は存在しない。公務員こそ組織をクビになることはないが、その給料は下がる一方である。

大企業またはベンチャー等の不祥事も相次ぐ。脱税、商品の品質問題、スペックの不正、ハラスメントの横行、長時間残業による過労死等、問題は次から次へと発生している。

日本人はどのように生きるべきなのか、誰もが明確な答えを持ち合わせていないようにも思える。

一方で日本の過去を振り返れば今の時代と同等かそれ以上のインパクトがあった時代はなかったのだろうか?あるとすればそこに今を生き抜くヒントがあるはずだ。


今以上の変化の激しい時代は日本に存在したのか?

筆者なりの見解でいえば今に匹敵する、やえもするとそれ以上の変化は江戸末期から明治初期にかけての頃だろう。

黒船の襲来、外国による開国の要求、日本国内での大掛かりな内戦、大政奉還に開国、四民平等の開始。そしてその時の日本人が目にした大国との差と近代資本主義の力。

歴史の教科書で学んだことではあるが、その当時の変化をリアリティをもって想像できている人がどれくらいいるだろうか。

人々が目の当たりにした変化や技術の革新は今と引けを取らないと言ってもいいのではないだろうか?そんな変化が激しい時代の中で日本の近代化ひいては資本主義化に大きく貢献した人物がいる。もうお分かりだろうか?


それは、渋沢栄一だ。

渋沢栄一といえば、昨今新紙幣の新しい顔として名前を耳にした読者の方も少なくないと思う。日本資本主義の父とも呼ばれる彼の功績は計り知れない。また彼の非常に有名な著書として「論語と算盤(そろばん)」がある。



彼の生き方がこの時代を生き抜く上での大きな指針となると考えている。


彼の歩みや学びの道を辿ることがでこの変化が激しい時代を生き抜く人材へのヒントにつなげたいとの思いで筆を進めたい。


渋沢が生きた激動の時代

渋沢栄一は幕末から明治・大正・昭和までを生き抜いた起業家だ。彼の人生はどこを切り取ってもそれだけで1冊の本になるような凄まじい経験の持ち主だ。

彼の一生は、大きく5つの時代に分けて捉えることができる。郷里の村落で過ごした江戸後期の幼少時代、尊王攘夷運動に加わっていた幕府転覆を図った幕末の青年時代。その幕府転覆とは真逆で今度は徳川家に随行し渡仏して大政奉還に直面した時代、さらに大蔵官僚時代。そして最後に実業家時代。

この一文だけでも彼がどれだけ大きな変化に直面してきたかをお分かりいただけると思う。すべての時代を取り上げるととてもこのnoteに収まりきらないので特に今回特筆すべきポイントに絞って話を進めたい。


幼くして論語を学び、商才を発揮した幼少期

まず江戸後期の幼少期時代。彼は地元でも有力な農家に生まれ、幼い頃から「武士が学ぶ論語をはじめとした人格形成の勉学」を学んだきた。渋沢の父が彼がまだ小さい頃から論語を学ばせていたのだ。当時の武士にとっては論語は教科書のような存在であり、多くの武士に読まれていた。しかしそれを渋沢は幼少期から読み込むというのがまた驚くべき点である。

論語は、ご存知の方も多いだろうが、孔子が語った道徳観を弟子たちがまとめたものだ。渋沢はこの論語を後々実業を行う上での規範とした。論語に裏打ちされた商業道徳を用い、公や他者を優先することで、豊かな社会を築くために。いわば実業家として持つべき規範といったところか。彼の思想はこの幼少期の経験に由来する。

一方で渋沢はこの幼少期に商売の何たるかを学んでもいる。渋沢家は藍玉(染料の一種)の製造販売と養蚕を兼業しつつ米や野菜、麦などを販売などの生産も手掛けていた。渋沢は幼い頃から父の藍葉(藍玉の原料)の仕入れに随行し父の背中を見て育った。そうしてそのうち単身で藍葉の仕入れに行かせてくれと父に懇願し、めきめきと商才を発揮していった。彼は父の姿を見ながらどのように仕入れ先と交渉すべきか、また仕入れ先での生産がうまくいくためのアドバイスを行い、若輩ながら信頼を得て利益の拡大に貢献した。

補足だが、江戸時代の農家のイメージといえば飢饉や年貢にあえぎ苦しんでいたというイメージを持つ人も多いかも知れない。しかしこの時代実はかなり資本主義の萌芽が存在していた。豪農はより利益の高い作物の生産を手掛け、販売をしていたのだ。

この時の渋沢の経験が後々の600社近くの起業に関与し、実業の側から日本の近代化に貢献する素地となっている。


パリへの渡航で異文化と日本近代化の礎を築く

次に徳川家に随行し、渡仏して大政奉還に直面した時代について触れたい。

渋沢は当時使えていた主君である一橋慶喜が思いもよらず将軍となり、幕府側の人間として世界を知るためにフランスのパリで開催される万国博覧会に参加することとなる。

ここでは彼は幕臣としてフランス政府から招かれて上海経由で海路をゆきフランスに到達するのだが、新しい文化や環境を受け入れ理解するという能力を発揮した。例えば船上のレストランでは洋食がふるまわれたのでが、当時の日本人が食すことがなかったバターを彼は好んで食べた。バターが日本で消費されたころはバタ臭いといってその独特の匂いを好まない人が多かった。彼はこのバターを愛し、また食後のコーヒーを堪能するという当時の日本人の感覚ではすぐに受け入れられないものにも順応した。

また幕府からの下命で万博に参加し費用は賄われていたとはいえ、滞在しているホテルの費用が高すぎるということで、ホテルをでてパリでアパートを探し契約をしてしまう行動力を持ち合わせていた。現在の日本人でも外国の家探しには一苦労すのにそれをこの時代にやってのける行動力と順応力には舌を巻かざるを得ない。

そして渋沢はこの渡航を通じて日本の近代化のカギとなる銀行の仕組みや合本組織という商売を行うために必要な仕組みについても学び取ってくるのである。彼のこうした嗅覚の鋭さは、幼少期の商いの天才としての経験と論語の理解による世の中の俯瞰的な捉え方の賜物だと筆者は推測する。合本組織とは不特定多数の人々から資金を集め、これを取りまとめて資本とし、事業を展開する今でいう株式会社のことである。彼はこの組織を活用し、大きな事業を行うことで社会に貢献するとともに利益を捻出するその仕組みを実践し、根付かせたいという思いを強く持つようになった。

その初めの一歩として渋沢は静岡藩を巻き込み官民合同の出資を募り「商法会所」を設立する。これは日本初の株式会社となる。


志高く幾多の事業を起こした実業家時代

有望な渋沢を見込んで、官界へ引き入れたのは大隈重信だった。だが渋沢は、予算編成を巡り対立を起こし、大蔵省を退官する。この時渋沢は、豊かな国をつくるために自ら率先して起業し、産業を興そうと決心したのである。

ちなみにここで特筆すべきエピソードがある。大蔵省時代、渋沢の同僚に玉乃世履(たまのよふみ)という人物がいた。

渋沢と彼は親しい交流があり、互いに将来の希望を抱いて邁進していた。玉乃は、渋沢が官職を辞して商人になると聞いた時にそれを惜しみ引き留めたというのだ。彼は「卑しむべき金銭に目がくらみ、官僚をやめて商人になるとは見損なった!」という言葉を渋沢に投げかけたという。

今でこそ起業家や実業家は社会から尊敬される人間も多いが、当時の実業界への冷めた眼差しから価値観の違いに驚かされる。われわれ日本人は古来から、どうも金儲けということに対して嫌悪感があるのかもしれない。
この時、渋沢は論語の一説を引用し、「私は論語で一生を貫いてみせる。なぜ金銭を扱う仕事が卑しいのか。君のように金銭を卑しむ様では、国家は成り立たない」と反論したという。

渋沢は大蔵省を退官後、官僚時代に設立していた第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の頭取に就任し、以後実業界に身を置く。

その後も渋沢の挑戦は続き、東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、東京証券取引所、サッポロビールなど、当時日本人の生活を豊かにし、国を逞しくするための公益性の高い事業を次々と立ち上げていった。

渋沢は商業や工業の目的は地域社会、国民、そして国に貢献する中で利益を増やすことだと捉えていた。「私利を追わず公益を図る」という彼の言葉に表れている。しかし、自分さえよければ他はどうでもよいという考えで利益を追い求めることには大いに反対した。

本当の利殖、つまり利益を増やすということは、仁義や道徳に基づいていなければ決して長続きしないということを彼は理解していた。持続的なビジネスをするためには適正な利益を確保する必要がある。しかし本末転倒で守銭奴になってはいけない、ここのバランス感覚が重要なのだ。
利益を追求することと、仁義や道徳を重んじることは、均衡がとれて初めて健全に機能する。

晩年渋沢は彼の家族にこう語った。「私が自分自身の儲けを優先していたなら、今の渋沢家はもっと裕福だった。しかし私がそうしなかったのは公益を優先したからだ」。彼の実業家としてのスタンスには本当に頭が下がる思いだ。

渋沢は論語を、実業を行う上での規範とし続けた。出世や金儲け一辺倒になりがちな資本主義の世の中を、論語に裏打ちされた商業道徳で律する。そして公や他者を優先することで、公益性の高いビジネスを展開し、豊かな社会を築くことに尽力し続けてきた。

彼の思いを、我々は継げているだろうか?


今の時代に求められる資質とは?

渋沢栄一の一生の経験を端的にまとめるのは難しい。

しかし彼が行動し証明し続けてきたことは現代人の我々にも十二分に活かせるのではないだろうか?

これまでの内容を要約し、この時代を生き抜く企業人としての資質について提案したい。

一、新しい変化や環境を受け入れ、その変化を楽しむこと

一、時代に求められるビジネスのカギとなるものを見出す嗅覚を磨くこと

一、仁義や道徳を学び得を高め、社会や人のために利他の精神で尽くすこと

一、金儲け一遍主義を律し、公益性の高いビジネスの展開あるいはそのビジネスに従事すること

大企業の経営者であれ、起業家であれ、会社員であれ、副業であれ、この点を心に刻んでそれぞれのビジネスに邁進していくことで今の日本の状況を好転させることができる。

日本をより良くするためには、徳を高めることが求められている。


一つでも公益性の高いビジネスを増やすことができれば、この国は少しづつ精神的にも物質的にも豊かになる。筆者はそれを信じている。


私たちに出来ることを一歩ずつ。



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