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「大きな声ではっきりと」は、両立するのか問題について

この写真は、「叫ぶ」で検索したら出てきた。
確かに。。。
味わい深い写真をありがとうございます。

さて、「大きな声」。
私が思うに、大きな声って
出るか出ないか、
ではなく持っているか持っていないか、
なのではなかろうか。

「私の目は一重です」
とか
「私の手は小さめです」
とかのように、持って生まれたものだと思うのだ。

大きく響かせることは、誰でもできる。
できるようになれる。
それと「大きな声」は、違う。

普通、大きな声を出すとはっきりは発音できない。
怒鳴るか、叫ぶからだと思う。

応援団が、誰かの名前を叫ぶとき、
知らない人ならば、その名を聞き取れなくないか。

なのに、子供たちなどに対して
「大きな声ではっきりと」は、結構使ってしまっていないか。

「私は幼稚園の時、大きな声ではっきりとと言われ、
それから声がハスキーです」と言う学生もいた。

弾き歌いを練習していて、
先生がもっと大きな声で歌いなさい、と言う。
でも、その時、
どうすればそれができるかは
アドバイスしてくれなかったりする。

弾き歌いの時の歌は、
本当にいろんなことを同時にしているので、
大きな声では歌えない、と私は考える。
また、叫び声や怒鳴り声は
音楽として芸術的ではない。

考え方を変えてみよう。
「通る声で」
もしくは、
「響く声で」
ならば、「はっきりと」との両立も可能である。
その上、「美しい」も手に入る。
いや、表現できる。

「大きな声ではっきりと」は、
言うには簡単で、使いやすい言葉なのだろう。
でも、弊害が起きやすい言い方だ。
誤解、と言っても良いかもしれない。

「腹式呼吸」と言う言葉と、
似たような危うさがあると思っている。

どうか、あまり簡単に使わないで欲しい。
言いたいことはわかるように思うのだけれど、
あなたがそれをできるなら、言って良いと思うのだ。
もちろん、やり方を添えることをお忘れなく。

声帯も心も、傷付けてしまっているかもしれないのだ。
慎重になりたい。










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