声楽家とAI歌手
この2種はある意味ライバル関係かも知れない?
パソコンで音楽を作るプロの方が、
AI歌手について話していた。
彼女は、
音程を外さず、
リズムも外さず、
好みの声質で、
その声質のまま全ての音域を歌い、
その音域はほぼ無限で、
呼吸を取る隙間時間がいらない。
完璧である。
・・・と。
確かに。
私たち声楽家は、
大学受験勉強として、
音程を外さず、
リズムを外さないトレーニングを開始し、
涙目でヒンデミットなる本で練習を重ねる大学1年生であった。
それだけトレーニングし、
試験を受けてきても、
若干のズレは生じてしまう。
これは、カラオケでも採点されるところだ。
100点取ることが大変なのは、よくわかるかと思う。
好みの声質については、
自分の声質が思っていた声質と違う場合もあり、
歌いたい歌のキャラクターともかけ離れていることもあり、
哀しいような、悔しいような切ないような気持ちを味わい、
うまくなりつつ、自分の声に納得するところもある。
全ての音域を同じ声質で歌えることこそ、
西洋音楽での望みな訳で、
ベルカント唱法などを学び、
日々、年々変わってゆく自分の楽器=からだと向き合っていくことになる。
私たちの練習は、トレーニングとも言えるし、
職人的に技を磨き続けること、とも言えるだろう。
音域は、生まれ持ったものがあり、もちろん無限ではない。
声帯は、身体の中でも一番遅く大人になると言われている。
声変わりが終わっても、
29歳頃までは、新車のならし運転のような時期である。
(あ、これも一般常識になって欲しいことの1つだ。
一般的に、この年齢には大学生時代を過ごしている訳なのだ。)
良い発声をしていない限り、
持って生まれたもの全てを使っているかどうかすら、
怪しい場合もある。
呼吸に至っては、歌う以前の問題だ。死んじゃうんだから。
と言うか、クラシックの作曲家たちは、
なんと呼吸の時間すら組み込んで音楽を書いていた。
これは、作曲家の力量だ。
モーツアルトなんて、自分は歌わないのに、
なんでこんなにわかるんだろう?とホントに驚かされる。
そして、それが特に楽譜に印としては書かれていないことも多く、
それは歌い手が歌詞や曲の内容からアイデアを出すことになる。
と言うことで、
AI歌手が全て難なくこなすことであり、
その作り手が完璧という所こそ、
私たちの楽しみや目標や、醍醐味があるのだ。
それを芸とすることに美しさと感動と、面白さがある。
失敗すら、自分の楽器=からだの目盛りになるのだ。
自分のからだと声で音楽を攻略するゲームでもある。
まあ、AI歌手はその歌声も他の音のように加工された音として、
考えられているのかも知れない。
役割がちょっっと違うのだろう。
ね、声楽家って言ってみたくなっちゃうでしょう?
・・・写真は、大阪でのスナップぷぷぷ。