「大きな声を出すと喉がいたくなるよ」

と、ふとテレビから聞こえてきた。
その通りだ。
なんだか、びっくりうれしだった。

一方では未だに、「大きな声ではっきりと」を要求されていることがある。
普通にドラマの中で聞けるなんて、大変化ではなかろうか。

「大きく声を響かせよう」が私のスローガンだ。
正確には、大きくではないけれど。
ビックよりワイド、な感じだ。

例えば、壁をコンコンしてみると音がする。
響くと空っぽ感があり、響かなくこもった感じであれば詰まり感を感じるだろう。

声も同じ。
からだが筋肉という壁に包まれていると考えてみると、わかりやすいのではないか。
筋肉(アウターマッスル)の力が抜けていれば空っぽ感で響き、筋肉に力が入っていれば詰まった感じで響かない。

楽器を分厚い布で包んでは演奏しない。

ただ私たちは音源が身体の中にあるので、ちょっとだけ勝手が違うことはある。
そこを勘違いすることが、大きな声を要求しているように思える。

ヨーロッパでは、「声楽の上達には耳が4個いる」とも言われている。
自分の耳が2個。
そして、外側から聞いてくれる2個。
どちらも、上質を識った良い耳であればあるほど声を美しく創ることができる。

そして、「自分の耳に良く聞こえる声ほど注意しろ」と続く。

自分の耳は、内側と外側からの2種類の音を同時に聴いているからだ。
これは、録音の声が想像していた声と違うことが1つの証拠になると思う。

歌う場所によって響きは違う。
特に日本の多目的ホールでは、全く違うことが多い。
日本の建物づくりの習慣や、響きへの感覚の違いもあるかと思う。
良いか悪いかではなく、違うのだ。

この中で、自分の耳で声を判断してリハーサルし、
自分に聞こえないからと力んで歌い、本番には声が無くなる。。。
なんてことは、クラシックの若い声楽家は結構経験があるだろう。

だから、からだの感覚で覚えることが大事なのだ。
これは、忘れない。
緊張してもいつもそのようにからだが動くようにしてさえあれば、
本番での出来不出来に差が少なくなってくる。

スケーターとかダンサーとか、イチローさんとか、棒高跳び選手とか、と似ているではないか。
ここはもう、まるでアスリートなのだ。

歌うことは数字では競わないけれど、こんな楽しいゲームが他にあるだろうか?

そしてこのゲームは、プロもアマチュアも変わらず楽しめる。
生きていれば、必ず使うものが楽器役なのだから。

姿勢を整えるのは呼吸のため。
姿勢も呼吸も、整えつつ生活するだけで、究極のながらトレーニングになる。

2023年。
自分自身をそんな風に楽しんでみませんか?



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