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分かれ道

学生のピアノレッスンの話である。
保育系の大学なので、1年生はピアノが必修だ。

初心者が多い。
音符が読めないことも多い。

ところで、私は初心者のレッスンも好きだ。
伸び率がすごいからだ。

授業では最初の時間に、楽譜を読めるか、楽器経験があるか、
音楽を聴く習慣があるか、など自己紹介の7つぐらいのお題の中で話してもらう。
最後のお題は私への質問で、
これに答えることで大方私の自己紹介は済んだりする。

そして、楽譜についてのレクチャーをし、
今日から「数えましょうキャンペーン」が始まることを話し、
参加してもらう。

「数えましょうキャンペーン」とは、
拍を口で数えながら、ピアノを演奏するキャンペーンである。
これ、けっこう、難しい。

ト音記号を読み、ヘ音記号を読み、両手別々なことを弾き、
さんハイ!と号令をかけ、歌詞を見て歌い、
こどもたちの反応を見て速さや表現を調整し、伴奏をする。
大雑把に書いて、同時に、少なくともこれだけのことができるようになりたい。

音符を読んで弾いて歌うだけで精一杯なのに、
数えるんですか?

そう。

ここが、分かれ道。

全くの初心者は、こうは言わなかったりする。

逆に訊きたい。
数えずに弾けるんですか?

実は、数えることが難しすぎて、
途中でギブアップする学生がいる。
学年が上がると、
最初から、キャンペーンには参加しない宣言をする学生もいる。

参加するかどうかは、
選んで良いことにしてあるけれど。

思うに音楽の場合、
正しく数えて演奏できれば、
それでインターナショナルレベルなのだ。
100メートルを9秒とかで走らなくても。

正しく数えている演奏ならば、
同じ楽譜なら、世界のどこでも同じ音楽になってるはずである。
で、これができてから、表現へというStepなのだ。
ここからが、個性を発揮できるところだ。

ここより前の個性は、シンプルにローカルレベルになってしまう。

ここで1つ大きな壁がある。
ピアノを習った経験があったり、
高校時代保育系のクラスにいた場合で、
数えず練習してきている現実が結構ある。
おそらく、数えて弾くことを要求すると、
ピアノが嫌いになっちゃうのではないか?
と考え、まずは弾ける曲を増やそう、
など、優しい先生方のご配慮が想像できる。

何を隠そう、実は私もバイエル終了程度までは数えず弾いていた。
面倒だったのだ。
「だって、弾けるもん・・・」と思っていたものだ。
しかし、あるとき頭打ちになる。
ここが私の分かれ道その1。
さあ、ここから拍を感じて練習し直すのは、本当に大変だった。
大変な遠回りをした、とも言える。

でも、お陰で今、
「数えましょうキャンペーン」を丁寧にレッスンできるのだ。

こどもたちに、数えないで弾いた伴奏は音痴を創る可能性がある。
(ずれたとき、こどもたちは自分が間違っていると思うものである。)
運動会の練習で、1拍目を感じた行進を指導できるか?
(拍を感じず歩けば足の左右が揃わず、
みんなで何度もツッツツンしなくてはならなくないか?)
ダンス指導で、「私は数えたら踊れないから見て覚えてね」と言うのか?
前奏を弾いて、さんハイ!が言えるのか?
音楽では「せーの」をなぜ使わせたくないのか。


現場にもし、そんな先生がいたら「私が変わりましょうか」
と、言える先生になって欲しい。

ある日、
数える大切さや、むしろ練習コスパが良いことを、
どうしたら、いつ、わかってもらえるだろう?と
気になっていた学生が、
「最初から教えて欲しい」と言ってきた。
そして「メンタル的に無理なので、簡単にして欲しい」
と震える手でレッスンを受けていた学生が言ってきた。

分かれ道。

二人ともピアノ経験者。
二人とも、4月から本当に頑張って練習してきた。

でも、待って。
まだ1年生。
少し先へ行けば、道が交わるかもしれない。

「数えながら弾くと両手がごちゃごちゃになるので、
まず手だけ練習してみてから、数えて弾いたらうまくいった」
と自分なりの新しい練習方法を発見した学生もいた。
おめでとう!うれしいね。


すごい日だった。

空を鏡に映して分かれ道なんて、ステキな写真をありがとうございます。

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