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Buenos Aires 2022 ~旅のつれづれ~その⑥

こんにちは🌞バヨリニストの外薗美穂です🎻
このブエノス・アイレス旅のつれづれシリーズもズラズラと、その⑥にまでなってしまいました☺️

どこまで続くかは謎ですが、記憶が鮮やかなうちに色々なことを書き留めておこうと思っております✨
気長にお付き合いくださいね❤️

原点回帰でBoedo(ボエド)へ

さて、私のタンゴ人生はBoedoから始まった❣️と言っても過言3歩手前くらいにはなるかなと思えるので、3歩手前だったら過言じゃないよねー‼️と言い切っておくことに致します。

Boedo(ボエド)、それは、ブエノス・アイレスの地下に走っているSubte(スブテ)と呼ばれる地下鉄のLínea E(E線)で行け、お金持ちエリアのサンテルモの辺りや、同じく富裕層の居住区のレコレータとは全然違った下町情緒溢れる町の名前です✨

〜Googleによると、"労働者階級が多く暮らすボエドは、タンゴの発展と深い関わりがあるエリア。サンファン通りとボエド通りの交差点は、詩人のオメロ マンシが 1948 年に作詞したタンゴ「スール」で一躍有名になった場所。この周辺にはボヘミアンな雰囲気を漂わせた老舗のバーやカフェが立ち並び、その多くで夜遅くまでタンゴショーを楽しめる。マリアーノ ボエド広場には、円形劇場、子供の遊び場、見た目が特徴的な金属製のパーゴラがあり、昼間にくつろげるスポットとして人気"とあります。 

タンゴに縁のある地区という事で、ボエドの地区の章(シンボルマーク)はバンドネオンの絵が描かれ、絵画のパレットでアーティスティックな場所である事を表しています✨
素敵💕

バリオ(地区)章

2008年の初めてのブエノス・アイレス滞在の時は、このBoedoにあるCasa de Renata(レナータの家)にお世話になりました。
レナータさんはアルゼンチン人には珍しく英語もちゃんと話せる人で、ご自分のお家を旅行者のために部屋貸しするという今で言う民泊のようなビジネスをされていました。大変世話好きな明るい方で、キチッとした厳しい部分もありましたが乙女のように純粋な心も見え隠れする素敵なマダムでした💕

マエストロ、カルロス・パソさんとレナータさん

奥さんに先立たれ沈んでいたバンドネオンのマエストロ、カルロス・パソさんと彼女は、タンゴ修行のためにCasa de Renata に宿泊していた日本人バンドネオン奏者を介して電撃的な出会いをし(彼女は2人の成人した息子の母でしたが離婚され独り身でした)瞬く間にCasa de Renataで同居生活をスタートされたのでした。当時レナータさんは65歳くらい、マエストロは70代半ばくらいだったかなと思います。
彼女はマエストロのマネージャーとしての仕事もこなしながら民泊ビジネスの切り盛りをし、愛に満ちたお2人のやりとりを家の中で見かける度に、人生の喜びとはこういう事なのかな?とか、amorってこうなんだな、という事をアルゼンチン🇦🇷の文化的な事も含めて感じたのを覚えています。
しかし、当時の私は、自分では立派な大人だと思っていましたが、まだまだ何もしらないネンネさんだったので、本当の深い愛とはどういうものなのかをちっとも理解できておらず、お2人のラブラブぶりを、ただ可愛いなぁ💕と見ているだけでした。
こうして今、ある程度の人生経験を積んでからこのお2人の事を考えると、人生の終盤に差し掛かった時に素敵な相手に出会ってしまったと言えど、その相手と一緒に暮らす決断をすること、老いの心配や不安を共有しながら未来を見つめてポジティブに生きること(2人の愛が深いとは言え、子どもを作るとかそういった人生の創造活動はもう出来ないので、どこに共通の喜びを見出して行くのかを一緒に探していくこと)、長年の習慣の違いによる共同生活の摩擦の解消をどうするのか、など、様々な問題をただこの人が好き❣️という単純な気持ちだけでは乗り越えていけないだろうと想像するにつれ(生活はやはり現実ですから)、しかしそれを成し得た彼らのパワーに、今ただただ胸が熱くなるのでした。

歳の差から言って、レナータさんの方が若かったので、全面的にマエストロのお世話は私がします❣️❣️といった母の愛にも似た深くて強い愛で成り立っていた関係だったかもしれませんし、マエストロも大変穏やかで冗談の好きな優しい方でしたから、レナータさんを喜ばせ、想いを循環させる事が出来る素晴らしい相性だったのかもしれません。

そんなお2人が暮らしていたBoedoのCasa de Renata。
今は、お2人とも他界されもう会えないのは分かっていましたが、もし生きておられたら1番に会って、ミホは今こんな風になったよ❣️を報告したい人でしたから、思い出を訪ねて心の再会をしてみたいと、Boedoに足を運んでみました✨✨✨✨

懐かしいCasa de Renataの近所の風景

15年ぶりのBoedoは、あの頃と変わりなく懐かしい空気が✨✨

マエストロの作った曲をイメージしてお家の外壁に描かれた絵✨

ただ、あの頃描きたてホヤホヤで美しかった壁画が、15年間の時を経て雨風に晒され褪色し、ところどころ剥げ落ちたりもし、過ぎ去った月日の長さが胸に刺さりました😭😭😭😭

出来たてホヤホヤの頃の壁画

ここに素晴らしいマエストロが居るんだって事を皆んなに知らせるために、彼の曲をモチーフにしたこんな素敵な壁画を描いてもらったのよ、Hermoso Lindooo❣️と嬉しそうに紹介してくれていたレナータさんの姿を思い出します。

バンドネオンを弾いているのはマエストロ。壁画中にある文字、"Caricias de nácar" (螺鈿の貝で出来ている)バンドネオンのボタンの部分を愛撫する、という意味から、バンドネオンを弾く、愛しむ、といった意味の言葉は、マエストロが作曲した曲のタイトルです。
ちなみにこんな曲👇

他にもマエストロはCasa de Renataという曲を書いていますし、マエストロにとってレナータさんはインスピレーションを連れてくる女神のような存在で、レナータさんもそんなマエストロの事を全力でバックアップしたのだろうな、と2人の絆の深さを今更知るにつれ胸が熱くなります。

在りし日のCasa de Renata

薔薇の花咲くCasa de Renata

お庭のお花を手入れしたりと、この家を本当に愛していた彼女でした✨✨

芝生も青々と
共同で使っていたお台所。マエストロのためによくコーヒーを淹れてあげたことを思い出します。

初めての滞在はタンゴ修行のための渡亜であった事もあって、一般的な観光もそこそこに、3日おきに受けていたレッスンの課題をこなすために部屋に篭ってゴシゴシ練習する日々でしたが、ドアの前で耳を澄まして聴いていたマエストロが、あそこの部分はピチカートにしても良いよね、と後からアドバイスくださったり、あなたのバイオリンは素晴らしいわ‼️是非CDを作るべきよ👍👍👍とレナータさんに鼓舞して頂いたりで、タンゴを学び始めた私にとって、このCasa de Renta で過した日々は刺激的でいながら暖かく、心のふるさとのような場所でした✨

パンデミアもあったので、今現在まだ民泊ビジネスを続けておられるかは不明でしたが、この日の訪問時にはお家の2階の窓が開いていたこともあり、もしかしたらダンスの先生をやっておられた長男さんがこの場所に住んでおられるのかなぁと思いました。

Boedoの静かな町並み
マンションタイプのお家よりも一戸建ての家が沢山建っているエリアでした。
カエル🐸さんが屋上で日向ぼっこ中😆

次の渡亜までにどうして15年もかかってしまったのか、リアルな再会が叶わなかった事が本当に悔やまれます😢😢😢
しかし、頂いた御恩と素敵な思い出と、今改めて知るお2人の深い愛の在り方から人生の学びを得れた事、15年という年月を経たからこそわかる事、色々な事に感謝でいっぱいになったBoedo訪問でした🥰🥰🥰
この胸にジワジワとくる💓想いが、私のタンゴとなって深まりますように✨

お2人とも、どうか安らかに✨✨✨
そしてこれからも見守っていてくださいね〜❤️

旅のつれづれその⑥は原点回帰Boedoを訪ねたお話でした。
長々と読んで頂きありがとうございます😊

次回は、ガラッと様子を変えて、やっぱりスーパーって面白いよね❣️

という事でスーパーマーケットで売っていた物などについて書いてみたいと思います😆

良かったらまた読んでくださいね❤️❤️❤️❤️

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Muchas gracias!!!!!!

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