病を諦め受け容れる
もう治ることはない病(死)の宣告をされても必死で抵抗して闘っている人に、いったいどんな言葉をかけたらいいのだろう…そんなことを考えたことはありますか?
私は2回あります。でもそれは難しすぎて私の浅い知恵や拙い体験から出てくる言葉はなく、目に見えない存在たちから言葉を頂いてお伝えしました。
その言葉をお伝えした時に起こったことが『諦める』ということでした。
それは投げやりになってもうどうでもいいや…という諦めではなく、現実を明らかに見定めてそのまま(病と死)を受け容れるという『諦観』です。
「いつお迎えが来てもいい、素直にお任せしよう。あぁ、今日を生かされた、有難い。わざわざ来てもらって会えて嬉しい、ありがとう。」
と、一番辛いはずのご本人が愛と感謝だけを体現する在り方は、逆に周りの皆の心を揺さぶりました。
『諦観』は決して容易いことではないと思います。誰だって死にたくない…
それでも、様々な葛藤の末にとうとう受容して覚悟を決めた先に、周りにどう生きるかの教えと励ましを遺してくれて、出来る時にしたいことを精一杯悔いなくすることの大切さ、それらを知らしめようとしてくれたのだろうか…と思うことがあるのです。
きっと、誰の、どんな死にも、大切な学びと愛がある と 私は思います。
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