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母の月命日に寄せて

月命日には、逢えないまま亡くなった生母を想い、好きだった料理を作って食べたり話しかけたりします。義母のことで悶々としていた時、何かしてほしいことはありますか?と訊ねた時に

「(新しい母が)少しでも気にかけてくれてるなと感じると嬉しいでしょう?でも(彼女は)色々と気にかけていることが多いだけだから、そんなに気に病まないで。多くの時を一緒に過ごせて羨ましかったよ。あなたはあっという間に思い込んで、私から離れてしまったから…。

人生、生きている間は難しいわね。こんな意味に違いない!って決めつけてしまうから。でも、身体から出てわかるの。残念なことにもう遅いけれど、こんなに愛されたかったし、愛していたんだっていうことに。

だからどうかあなたは、死んでからでは間に合わないから、気にかけて、想って、それを素直な気持ちで相手に伝えてね。諦めちゃダメ。返事が来ても来なくても、自分の想いに誠実に生きて。」

そう言われてから、昔から何をあげても「ありがとう」という言葉だけでなく、つい正直な『考え』の方も聞かされる反応…を恐れていましたが、自分の想いを尊重するようにしました。

私からのプレゼントが嬉しいかどうかもその後も全てお任せして、私は自分の気持ちに誠実に生きようと思って。

すると逆にとても嬉しい!と心から喜ばれるようになった気がします。不思議ですが、そんなものなのですね。

愛されたいと願って決めたことは空回りし、自分の想いに誠実に決めたことは純粋に相手を想ってのことだから的を得ていて伝わり、喜ばれる、ということなのでしょうか。

目に見えない存在と共に



      

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