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学歴神話に決別促す

要約

最終学歴が就職や出世に影響する「学歴信仰」は日本社会に今も根付いている。
だが教育が進むDXがその「学歴信仰」に決別を促すかもしれない。

代表としてデジタルバッジ(履修証)がある。
デジタルバッジとは身につけた知識やスキルを電子的に証明するものだ。
改ざんが原理的に不可能とされている。
国際標準のひとつであるオープンバッジは、技術標準規格に沿って発行されるデジタル証明・認証だ。
長崎大学が2020年に導入を始めて以降、日本では80校以上が採用している。
企業ではリスキリングの修了者に発行するなどして使用されている。

オープンバッジの導入を支援する(一社)オープンバッチ・ネットワークは学歴より学習歴が問われる時代になるいう。
社会に必須の知識やスキルは「どこで学んだか」ではなく「何を学んだか」が重要になる。
生涯通じた学習歴が「見える化」され、学習者は学びの動機づけになる効果が期待される。

米欧では普及が著しい。
テック企業では「大卒」を採用要件としていない。
大学では提供する教育プログラムを修了したものに単位と認めるところも増えている。
こうした動きをマイクロクレデンシャル(小さな資格)という。
学位と並行してコースや単元ごとの履修証を発行し、その積み重ねで知識やスキルを認定しようとする動きだ。
米国ではそれらを管理・活用を担うプラットフォームが教育産業の一角を担うようになったが、日本はまだまだだ。
日本で大学の入試や企業の人事採用で活かされている例はほとんどない。

普及するには課題も残る。
それは名ばかりのバッジとならないよう「バッジの質」を保証する仕組みができていないことだ。
それには行政の後押しも必要で、米国では「全学生成功法」と定めマイクロクレデンシャルの普及を支援している。
この行政の動きは日本にはまだない。

学んだ「時間」で認められている仕組みから得た知識やスキルを使いこなす能力が重要となり、それを可視化するにはITの活用は欠かせない。
今の仕組みが変わるかは未知数だが、デジタルバッジが教育に一石を投じることは間違いない。
有名大学も看板に頼ってはいられなくなり、教育の質の向上が迫られる。

感想

何ができるか。
これが日本でも最重要視される日が近い将来に来ると記事を読んで感じた。
私だけだろうか、「学生時代に学んだことが社会で活かせない」という声をよく耳にするのは。
それは教育をする側が社会で実践した経験が薄いから仕方のないことだろうと思っていた。
この認証する仕組みはどうだろうか。
確かに現在の認証(単位)は時間に応じてもらえた。
しかしデジタルバッジでは使う能力が問われるという。
結局は誰が判断するかがこのバッジの質の優劣を左右するように思う。
でもこれは現在の課題と同じではないか。
誰が教えるか→単位  誰が認めるか→バッジ
ということではないだろうか。
そうなると共通して言えることは、教える人も認める人も数は必要なくなってくるのではと思う。
学問や知識の学びは優秀な講師や先生がオンラインで教えればよくなってくる。

学校は小さい社会を学ぶ場と大切だ。
道徳や集団生活を学び、学問やオンラインで学ぶ。
少子高齢化が進む中、このように「学校の在り方」なんてものも変わってくるかもしれない。

少し話がそれてしまったが、日本でも学歴信仰が無くなるともっと社会は良い方向に行くと思う。
有名大学卒の看板は社会からのプレッシャーにもなり本人の自尊心を傷つける可能性もあるからだ。
そのヘンテコなプレッシャーはこの世から排除されればいいなと思う。


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