「ヤングケアラーの現実➖第4話:スクールソーシャルワーカーとの協働で乗り越えた試練ー小さな手で握るおにぎりの物語」
第3話からの続きです。
全て経験したことを書いています。
離婚に伴い子どもが二人ともヤングケアラーにならざるを得なかった話しです。15年以上も前の話しですが、どこに、助けを求めていたのか、当時のことを書いています。私たち親子と同じように苦しんでいる方、支援する方々の参考になれば幸いです。
私たち親子が生き延びることができたのは、たった1人とつながることができた、味方でいてくれたスクールソーシャルワーカーがいたことです。
長女がいない間、次女と2人きりの生活。
次女は、使ったスプーンをそのまま食器棚にしまってしまいます。
1回の食事に1時間30分かかります。
私は相変わらず体調が悪く、家事支援の人が来れなくなり、そんな状態の次女が家事をしてくれるようになりました。
その状況下、私が朝職場に到着すると学校から直ぐに電話がかかってきました。
次女が学校に来ていないと先生からの連絡でした。
私は真っ先に家に電話をすると、次女が電話に出ました。
職場からそのまま家に逆戻り、私が学校まで車で送っていくと、次女は学校に行くことができました。
そんなことが何度も続きました。
スクールソーシャルワーカーとは、長女が小学5年生の時から月に1~2回相談をしていました。
次女にこのようなことがあり、学校の先生に引き続き相談したい旨お願いしました。
私の仕事終わりの夕方に、学校で月に1~2回程度スクールソーシャルワーカーとの相談を継続しました。
スクールソーシャルワーカーは、
教育委員会から委託されており、学校には常駐しないものの、急に相談が必要な時には学校を介して連絡してくれ学校から回答をくれました。
私たち親子と学校の中間的役割を持っていました。
次女の発達面、学校、家庭の状況等の情報共有等、学校の全面的バックアップと見守り、理解と協力を得ることができました。
学校と家庭生活を学校の担当のコーディネーターの先生、スクールソーシャルワーカーと共有しました。
小さな出来事や相談も、小さなうちにコーディネーターの先生がすぐに相談に乗ってくれ対応してくれました。
スクールソーシャルワーカーを介して、学校担任の先生から実家の親元にいる長女、実家の親とのやり取りも続きました。
また、スクールソーシャルワーカーは、問題が複合的にこじれた時には、児童相談所、市役所、小学校、実家の両親と、交渉(ネゴシエーション)、ネットワーキング、コーディネーションしてくれ、こじれた問題が解決しました。
私たち親子が希望する生活を続けるため、いつも学校の先生の見守り体制がありました。
運動会に離婚した相手方が勝手に見に来た時に退場してもらうよう学校内で共有してくれました。
保護者を名乗る別人には引き継がない等の協力をしてくれました。
また、夜間でも市役所の緊急連絡先につながるようにしてくれました。
次女の発達面の心配も成長するにつれ改善し、心配がないことも分かりました。
長女も家に帰り、三人の生活を続けることができました。
私の体調も徐々に回復し、家事を三人で手分けできるようになりました。
その後も、継続して学校とスクールソーシャルワーカーは、どんなに小さなことも、一つひとつ状況に応じて話を聞いてアドバイスや対応をしてくれました。仕事や生活に関する話も相談に応じてくれました。
発達面等の心配は、家の中で子どもとどのように関わりを持つか、いつもその時々に応じてアドバイスしてくれました。
スクールソーシャルワーカーのつないでくれたネットワークで、子どもは不登校にならずに安心して学校に行くことができました。
次女が中学を卒業する頃にはほとんどの心配がなくなるまでになりました。
スクールソーシャルワーカーは、いつも、どんな時も私を信じてくれて、絶対的な味方でいてくれました。
あの死にたいくらい辛い時期に、寄り添ってくれたことが、私たち親子が生き延びてこれた大きな理由の一つです。
ただ、スクールソーシャルワーカーは、教育委員会の委託事業だったので、社会資源はどうしても学校関係に偏っていました。
その当時私の必要としていたものとは少し違っていました。
けれど、親子三人ともにこうやってここまで生きてこれました。
子どもは二人とも大学に行き、それぞれ希望する資格取得等に励み、子ども達が自立するための進学は順調に進みました。
現在長女は社会人として自立し、次女も元気に大学に通っています。
あの時、その時あった制度にあてはめられていたら、この生活はなかったと思います。
スクールソーシャルワーカーと私たち親子の8年間の協働で困難な状況を乗り越えた。
スクールソーシャルワーカーは、困っている私と子どもを「重要な社会資源(人的資源)」として最も力を発揮できるように協働してくれました。
限りある当時の社会資源の中で、私たち親子はスクールソーシャルワーカーとつながったことで、協働しエンパワメント(持つ力を引き出す)することができました。
このように、困っている人は弱くて支援が必要だから制度にあてはめるのではなく、困難な状況でも生き抜いていけるよう伴走し、困っている当事者だからこそ力を発揮して困難を乗り越えられると信じ、その都度訪れる困った出来事を一つひとつ共に考えてくれました。
必要な機関等にネゴシエーション(交渉)やコーディネーションをしてくれました。
問題を大きくせずに解決できる道筋を作り、親子が希望する生活が継続できるようにしてくれました。
そのつながりが、離婚する前の当たり前の生活を続けられるようにしてくれたと思っています。
この経験から、ヤングケアラーに必要な、ヤングケアラーにならないための予防的社会資源を考えて、まとめることができました。
それが、当事者としての責任と使命だと思い、実現できるようこれからもチャレンジしていきます。
それらをまとめた【結論】は次回に続きます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
私が目指しているのは、孤立のない共生社会です。