見出し画像

「ヤングケアラーの現実➖第3話 疲弊する親とヤングケアラー:非公式な支援の重要性ー小さな手で握るおにぎりの物語」

第2話からの続きです。
全て経験したことを書いています。

離婚に伴い子どもがヤングケアラーにならざるを得なかった話しです。

15年以上も前の話しですが、どこに、助けを求めていたのか、当時のことを書いています。

私たち親子と同じように苦しんでいる方、支援する方々の参考になれば幸いです。


「おねえちゃん、もう出ていかないでね。」

これは、次女が家に帰ってきた長女に書いた手紙です。

長女は、次女の世話や家事を約2年間してくれました。

長女が限界になり、私の元から飛び出して、事実上の家出状態になりました。
長女は、一人で私の実家へ行ってしまいました。

私は実家の父親に離婚を反対され、絶縁されていました。

これは、私の最も悲しくて辛い時期でした。

3人なら乗り越えられると思っていたけれど、子どもにはかり知れない重荷と、子どもらしさを奪っていたのです。

「おじいちゃんのところへ行けば楽しいと思って行ったけれど、楽しくなかった。」

と言い、長女は二度と家を出ることはありませんでした。


▪️非公式な社会資源

生協助け合いの会、家政婦、日曜学校、実家の親、叔母

これは、私が叩いた門。非公式な社会資源です。

非公式な社会資源に求めたのは、子どもが子どもでいる時間、そして、他の大人との触れ合いや見守りでした。

そして、これも重要なことで、「離婚調停で親権を取るために必要」な子育てを見守り助けてくれる存在があるということのためでした。

その後親権を勝ち取ることができました。

⚫️日曜学校

私が幼い頃、同じピアノ教室で友達がいました。その子はプロテスタントの教会に住んでいました。引っ越してしまいましたが、大好きな友達でした。

その子はどうしてるのだろう。今もその教会と繋がっているのか。藁にもすがる思いで教会を訪ねました。

その子のことを良く知る牧師さんと話しをしました。
私の家庭に教会から1人、ボランティアで家事手伝いや子育ての手伝いをしてくれることになりました。

また、ボランティアさんは、日曜学校に子ども2人を連れて行ってくれて、幼稚園や学校の友達とそこで遊んだり、お昼を食べてくるような小さなコミュニティがありました。

信仰は持ちませんが、このような支援を受けることができました。


⚫️生協助け合いの会

これは、会員になっていれば、また、近所に助け合いの会員がいれば使えるものでした。
2名の近所の会員で主婦の方が来てくれることになりました。
毎週3回、1時間600円です。家政婦よりずっと格安でお願いすることができました。
会員のひとりは、偶然にも教会のボランティアさんでした。

お願いした家事

①食器洗い、お風呂掃除、掃除機、洗濯等

②幼稚園の送り迎え等

③家事をしながら子どもの話し相手

約3年間、時には私の代わりに保育参観にも行ってくれました。

ただ、長年来てくれた会員の方から、
「普通の子どもたちは、もっと、わがままを言ったり、好き勝手に大人を困らせたりするけど、この子たちは、そんなこともしない。かわいそう。」
と家事を終えた帰りに言われました。

とても傷つきましたが、何も言えなくなりました。

そして、この家事支援があっても、長女は家を出てしまうのでした。

♦︎次女のジャンパーのポケットから出てきたもの


次女と2人暮らしになって約2年間。
それは、本当に辛く悲しいものでした。

私は年1回の職場の忘年会だけ外出しました。忘年会に行ってても、次女から電話がかかってきます。家に着くと、次女が玄関まで走ってきます。

私の体調は相変わらず悪いままで、次女と2人きりの生活。仕事と家の往復だけの生活。

そのうち、家事手伝いの人も介護をすることになり来れなくなりました。

そして、次女も家事をしてくれるようになりました。

そんな時、次女のポケットから出てきた2cmくらいの正方形の紙。

そこには「おまもり」と次女の字で書いてありました。
さらに開いてみると「がんばれ。〇〇ちゃん」と自分に向けて書いてありました。

私はこれを見て、もう無理かと思いました。もう諦めることを考えました。

子どもたちと幸せな生活を願っているのに、長女とも暮らせない。次女はこんなに苦しんでいる。

でも、どこに助けを求めるのか、もう何も思いつきませんでした。

そんななか、次女が「学校へ来てません。」と先生から電話が来るようになりました。

それからは、最後の砦のスクールソーシャルワーカーは、私と子どもの絶対的な味方で居続けてくれました。

次回【第4話】に続きます。


第1話、第2話、離婚についてはこちらに書いています。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

私が目指しているのは、孤立のない共生社会の実現です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?