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記憶あそび

【ブルーチーズは本当に苦手だったのか】

 それにしても肉と豆の煮込み《ファバダ》のパワーはすごかった。夜になっても一向にお腹が空く気配がない。
 普通なら、このまま夜は食べなかったり、軽くフルーツやヨーグルトで済ませればいいのだけれど、今回は、せっかくの機会を逃しては勿体ない。せめて、味見だけでもと、すっかり膨張した胃袋を労りつつ出掛ける支度をする。

 こうまでも探求心をそそられるのは、「この地に来たからには食べずに帰るのは犯罪だ」とさっきの店で言われた名物チーズを探しに出かけるためだ。海に向かって移動する予定を変更してもう一日、オビエドの町に滞在することにした。

 若者たちが時折大声を上げる大都市に比べると、ずっと落ち着いた雰囲気のある地元の人たちが集まるオビエドのバール街。その中に一軒だけ、客がハエのように群がるバールがあった。

 小柄だということは、こういう時には都合がいい。扉口に群がる客の脇の下を潜り抜け、カウンターの隙間からスルリと潜り込む。もちろん、《カブラレス》チーズを食べてみるため。

 ところが、どこを見ても「カブラレス」というメニューが見当たらない。そこで店のカマレロに聞いてみるも、何やら疑いの念を感じる返事が返ってきた。

「セグロ?(本当かい?)」

「シー!(Yes)」と当然のように即答したのだが、わざわざ確認された意味が、次の瞬間、身を持ってわかることになった。

 目の前に出されたのは、強烈な匂いのブルーチーズ《カブラレス》。その匂いの凄さといったら半波ではない。申し訳ないけれど、腐っているとしか思えない。臭い。

 問題は、この目の前の怪獣みたいなチーズをどうするか……。
 物珍しさに暴走してしまう気持ちは分からないでもないが、何が出てくるか分からない時には、そう簡単に「シー!(Yes)」なんて言うもんじゃない、と後悔しても後の祭りである。


*** 

 

 アストゥリア地方に位置する山岳地帯ピコス・デ・エウロパを産地とする《カブラレス》チーズは、カブラ(山羊)と名が付くぐらいだから、山羊の乳で出来ているのだろうと思ったら、そうではない。牛の乳、または、牛、山羊、羊などの混合乳から作られている。

 ロックフォール・チーズと同様に青カビのチーズではあるけれど、ロックフォールチーズやゴルゴンゾーラチーズは青カビを注入して造るのに対し、カブラレスチーズは青カビを人工的に注入せずに洞窟の中で青カビを自然発生させるという伝統的な製法で作られている。

 1981年に原産地呼称を受けて以来、その伝統を守り続け、今や、スペイン各地に根強いファンを持ち、ラス・アレナス(Las Arenas)村ではその美味しさを競うカブラレスチーズのコンクールが毎年8月に開催されている。

 とはいえ、あのツンと鼻をつく青カビの香りときたらたまらない。今まで自分が本物のブルーチーズを食べたことがなかったのだと反省してしまうくらい強烈なインパクトなのだ。

 しかし、バールの観衆の視線は、今からカブラレスに初挑戦する日本人に釘付けとなっている。ここで食べないわけにはいかない。彼らにとって、この地が世界的に誇るブルーチーズ。何か月もかけて、何度も何度も手を入れながら熟成させていく工程を知ったら、匂いが強烈だとかいう理由だけで「食べられません」なんて言えない。

 意を決してガブリと食いついてみる。駄目だ。飲み込む勇気が無い。舌の上で立ち往生している行き場のないチーズが、だんだんと舌を刺してくる。ピリピリとする刺激が青カビの仕業かと思うと余計にうろたえてしまう。さらには、それに輪をかけて大量の唾液まで必要ないのに出てくるのだから、全くいい加減にしてほしい。

 これはもうワインで流し込むしかないと、赤ワインを口に含んでみる。しかし、喉元を通過するのは液体だけ。
(どうする、飲み込めない!!)

 観客たちが優しく背中を押す。

「どうだ?美味しいだろう!!ははは」

 「ははは」の意味を考えながら、無言で首だけ動かして誤魔化す。四苦八苦したのち、ようやく使い捨て紙ナプキンにこっそり包み捨てるという不甲斐ないことをしてしまった……。
 スペインで飲み込めなかった食材は、今まで、この時だけである。

 後になって知ったのだが、なんでも、アストゥリア名物《カブラレス》は同じく地元名産《シドラ》に浸けるととてもまろやかで食べやすくなるらしい。先に知っておくべきだった。


***


 カブラレスチーズと、このチーズを愛する人たちの名誉のために書き添えると、カブラレスチーズは確かに個性的で誰にでも好まれるチーズではないのかもしれない。けれど、最初に食べた時から数年後にリベンジしたら、嘘のように美味しかった。

 これはきっと、長年の食生活の中で、五感から得られる情報以上に、記憶が大きく影響したのだろうと思っている。
 今となっては、カブラレスチーズを食べる前からあんなに警戒することはないし、青カビの匂いもこんなものだと思える。
 そうすると、不思議なことにピリピリ刺す刺激もチーズの個性に過ぎず、それを楽しみながら舌で転がして味わえるようになる。

 

 この地方が発祥の地となり、スペイン全土の家庭のデザートとして広まったデザートがある。《アロス・コン・レチェ》という、米をレモンの皮・シナモンで風味付けた牛乳で煮込み冷やしたデザートで、スーパーの冷蔵コーナーに、プリンやヨーグルトと一緒に並んでいる。

 このデザートは、バスク地方が発祥の地とも言われているが、実際には、遠い昔、フランスのナポレオン3世の元に、この地アストゥリアから嫁いだエウへニア姫がお嫁入り道具と共に隣国へ持ち来んだデザートが《アロス・コン・レチェ》らしい。

 さらに、このデザートはフランスに渡ったのち、卵が加えられるなど多少の変化をとげながらも現在でも「リ・ア・エンぺラトリス」。つまり、フランス語で「お姫様のお米デザート」といった名で残っているそうである。

 日本人からすれば、お米を甘く煮たデザートだなんてと思ってしまう異文化デザート。記憶の中にある甘い冷やし粥がなかなかスペインのデザートに結びつかない。現に私もそうだった。

 

 五感が働かせながら食べる。味覚、聴覚、視覚、嗅覚、聴覚。
 けれど、これらの感覚を通じて発信される情報が脳に到着し、「美味しい」と感じる要の部分というのは、記憶の中にある。

 ということは、そうした記憶を作っていく毎日の食を丁寧に味わい、その時ごとに五感からの情報をしっかりと描き止めていくほどに、未来の「美味しい」が増えていくということなんだろう。

 視覚から送られてくる色の情報一つにしても、青が藍であり、蒼であり、碧であるように、一色の絵の具で塗れるものではない。

 凝り固まった情報ではなく、いろんな目線からみた情報をもっと複雑な因子として受け入れられるようになったら、食に限らず、沢山のものをニュートラルに受け入れられるようになるのだろうと思うのだ。

 


《次の目的地 ⇒ サンティアゴ・デ・コンポステーラ》
※いよいよ「サンティアゴ巡礼路」の最終地を通過します

 

今回は、食と記憶について書いてみましたが、子どもの頃は美味しくないと思っていたのに、大人になったら美味しくてやめられない。あることをきっかけに急に好きになったという経験はありませんか?

そこで次回のお題はこちらです。

嫌いだったものが食べられるようになった体験談

嫌いだけど食べているうちに慣れてしまった
というのもあるかもしれませんね。

あなたの思い出に残っている「アレは無理だったよ」について教えてください。

お題の回答はいつものようにコメント欄、もしくはTwitterで、 #食べて生きる人たち のハッシュタグをつけて投稿してくださいね。

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