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クリスマスプレゼントは突然に

「今年のクリスマス、こっちに残ることにするよ」


オランダにいる娘とそんな話をしたのが11月の末。

寂しいけれど、こんなご時世だから仕方がない。町でのクリスマスイベントもほとんどが中止。たとえ開催されていても、どうしても行く必要があるのかを考えると、結局は感染が心配で足が遠のいてしまう。

例年のよう友達や親戚が集まってお祝いする予定もなくなってしまったものだから、まだクリスマスツリーすら飾っていない。出かけないからプレゼントも買っていない。とはいえ、何もナシにというわけにもいかないし、どうしたものかと考えているうちにどんどんと時間だけが経っていく。

マズイ。非常にマズイ。


彼女がウチにやって来る

それはそうと、今週末に次男の彼女が晩ご飯を食べに来るらしい。息子が21才で彼女が20才。付き合い初めてもう2年。

「ごはん、何でもいいよね」
「何でもいいよ」

そんな会話をしたかどうかも忘れてしまうくらい彼女がウチに来るのもイツモノコトになっている。特別な準備は何もしない。同じ釜の飯を食べ、準備も片付けも手伝ってもらう。

日本的に考えると「家族公認」「結婚前提」となるのかもしれないけれど、先のことは誰にもわからない。なるようにしかならないのだから。

何があっても親は親。過去も未来もちゃんと見守ってあげたい。友達でも気になる人でもどんどん連れておいでといつも言っている。

ただ、彼女とはいえ、家族ではないのだから、現在、コロナ禍の影響で交際範囲が限られているものの、実際にどこまでを「良し」とするのかは難しいとろころだけれど。

そうだ、料理だ。何があったかな……。マグロとアボガドはタルタルにしよう。マッシュルームは丸ごと鉄板焼きに。ちょうど玉ねぎのオイル煮が残っていたっけ。ちゃちゃっとトルティージャにして食べてしまおう……。

ぼんやりとメニューを考えていたら、クリスマスの事をまたすっかり忘れてしまっていた。いつもこんな調子だからイケナイ。


週末のある夜に

金曜日夜9時。そろそろみんな帰ってくる頃。

マグロのタルタルは既に完成。スモークサーモンとルッコラ、山羊乳チーズのサラダも作ろうと思ったら冷蔵庫にルッコラのストックがない。

帰りにルッコラを一袋お願いします

スマホで次男に送信。すぐに親指アイコンが戻ってきた。便利になったものだ。これでお代は結構ですということなら天国だろうけど。きっとまた手数料込みで請求が来る。

マッシュルームと生ハムのアヒージョはサッと作れて重宝している。アツアツのオイルを一滴も残らずパンに浸して食べるのが醍醐味。そう、その前に玉ねぎトルティージャを作ってしまおう。

卵を1つ、2つと割っていく。すると夫が突然やる気モードになって、卵15個の巨大トルティージャを作り始めてしまった。

……台所を占領された。
どうする?

迷うことなくジントニックと共に高みの見物。お気に入りのオレンジピール入りジントニック。レモン汁たっぷりの絶品。


間もなく巨大トルティージャ完成。

キッチンが卵が焼けた甘い匂いに包まれると、急にお腹が空いてきて、再びスマホを手に取る。

まだ、かかりそう?晩ごはん、もうできるけど
今、買い物中。あと10分!!

そうか。ルッコラを頼んだんだっけ。10分なら仕方ない。ゆっくりとフライパンを火にかけて、アヒージョ用に芯をポキンと折ったマッシュルームを下向きに並べた。



15分経過。テーブルは準備万端、後は食べるのみ。出来立てのマッシュルームは一口サイズ。中に溜まったソースを零さないように丸ごと口の中に放り込むためだ。

舌を焼くくらいに熱くてホヒッ、ホヒッと言いながら口の中の温度に馴染ませる。マッシュルームの淡泊で優しい味わいに、生ハムから出るキュッと締まった塩味、パセリの爽やかさ、ニンニクの香ばしさがオリーブオイルと絶妙に絡み合う。やがて全部の味わいがミックスされて……。

あぁぁぁぁぁ!!
脳内マッシュルーム!!

脳内センサーが作動したのは私だけではなかった。夫の時限爆弾のスイッチが入った。

「大体、9時半にテーブルに揃っていないとはどういうことだ。もう、待たない。食べるぞ」

いかん。これは危険信号。斜めになった夫のご機嫌がこのまま転倒すると食事どころではなくなってしまう。何でもないジョークですら爆発の点火スイッチとなりかねない。阻止せねば。

「ま、とりあえず飲み始めようか。その辺まで戻って来てるんじゃないの?」

やんわりと宥めてみる。時間稼ぎにオリーブの実とアーモンドも出しておいた。これであと5分は楽勝だ。


親の独り善がり

9時45分。やっと玄関で車の音がする。どうやら長男も一緒らしい。やれやれとすっかり冷めたトルティージャを切り分ける。

ところが、今日に限って、一向にドアを開けて入ってくる気配がない。

これだけ待たしたのだから、遅くなってごめんねとか言いながら、飛び込んで来るもんじゃないのか、普通は!

何だか、私まで無性に腹が立ってきた。

帰宅時間に合わせて食事を用意し、いつもより遅いからと確認したのにその時間にも戻って来ない。トルティージャだって、マッシュルームだって、美味しく食べられるタイミングをすっかり逃し、スッキリと冷えていたワインだって生温くなってしまって悲しい。その上、これだけ待っていても「お腹空いてないし」「食べてきたから」ということだって在り得る。きっとそうだ。その証拠に、車の音がしてから随分経つのにまだ外にいる。

いい加減にしろ!!


…………。

ふと考えてみる。

頼また訳でもないのに勝手にやっておいて腹を立てるってどういうことだ。もう20才を超えた大人なんだ。親のご機嫌ばかりを取りながら生きて欲しくはない。彼らには彼らのすべき事がある。いやいや、それでも、少しくらい気遣いはすべきだろう。

ごちゃごちゃ考えていると、お腹の前に頭の中がいっぱいになってくる。

今度は、腹が立つのを通り越して、子ども達が大きくなって嬉しいような、子離れできない自分が放ってけぼりにされて寂しいような複雑な気持ちになってしまった。

「もう、食べるからね」

気持ちの置き場所が見当たらなくて、堰を切ったように食べ始めると、カリカリしていたはずの夫も一緒に食べ始めた。

子ども達のためにと思ってやっているのは親ばかりで、子ども達は気付いていないことというのはたくさんある。かつての自分達がそうだったように、彼らは彼らの世界で彼らで生活軸を中心に生きている。

親の気持ちは親になって初めて分かる。そして今、しっかりと育ててくれた親に対しては感謝しかない。「順番やから」という母の口癖が聞こえたような気がした。

夫も同じ様なことを考えていたのかもしれない。仕方ないなという顔つきで温くなったワインのグラスを二人で傾ける。チッという短くて密度の濃い音がした。


子の企み

手にしたグラスをテーブルに置こうとしたところへようやくドアが開く。

「メリークリスマス!」

大きなポインセチアの鉢植えが抱えた次男が入ってくる。そして、その後に彼女の姿。それがなぜか頭からすっぽりプレゼント用の包装紙を被っていて、よく見るとシルバーの飾りリボンまで付いている。

?????

ポカンと見ていたら、彼女がビリビリと中から包装紙を破り始めた。

「メリークリスマス!!」

何が起こったのかよく分からない。夫が歓声を上げながら椅子をガタンと大きく鳴らして立ち上がる。

「ライアだよ、ママ!! ライアが帰ってきたんだ!!」

やっと我に返った。目の前にいるのは次男の彼女ではなく、1900キロ離れた別国にいるはずの娘だった。

急いで立ち上がって娘の側に走り寄る。ギュッと抱き締めたら懐かしい感触が現実となって手の中に戻ってくる。彼女の弾力のある肌、甘い匂い、綺麗にカールした巻き毛、私の血、私の肉、私の一部。

何度も何度も抱き締めた。娘がいた。そこにライアがいた。

この時、大きなチョコレートの箱を抱えていたのも気づかず、知ったのはずっと後だった。


その様子を微笑みながら見守っていた次男と、始終、ビデオに撮影していた長男。この素敵なプレゼントは3人の策略だった。晩ご飯の時間に間に合わなかったのは飛行機が遅延した上、到着してからゲート外に出るまで時間がかかったらしい。

親のためにと思ってやってくれているのに、親のほうが気付いていないことだってたくさんあるのだ。そうやって、すれ違いを繰り返しながら、お互いの気持ちを擦り合わせて、少しずつ家族が作られていく。

家族に限らず、別の個性を持った人と人が繋がっていけるのは、そういう過程を何度も経たうえで、相手との違いを受け入れ、自分自身の弱さや欠点を受け入れたことに対する贈り物なのかもしれない。

長男がいつの間にか冷やしておいてくれたカヴァ。久しぶりの家族5人での乾杯。ビデオ電話で頻繁に話をしていても、体温の実際に伝わる会話には敵わない。笑い声が起こるたびに隔たった時間が縮まっていく。昨日は冷戦中だったはずの長男と次男も笑っている。私よりもすっかり背丈も大きくなった彼らを一人ひとり抱きしめた。

ありがとう。
本当に、本当に嬉しい。

長男が撮影したビデオを見せてもらった。玄関前で包装紙に包まれている娘、お祭り騒ぎは好きではないのにずっと笑顔で準備している次男。状況を把握できないでアタフタする犬、そして、家の中では、綿菓子が溶けるような柔らかい笑顔で娘を迎えている夫と、正反対に氷砂糖のようにガチガチに固まっている私の姿が映っていた。

立ち上がり、娘を抱きしめる私。娘の頬を両手で包み込む私。「おかえり」とまた娘を抱き締める私。ただ、そこに大切な人がいてくれることだけを感謝し、子どものように全身で喜びを表現する私。

そこには私の母がいた。

すっかり白髪が増え、身体つきも丸くなった母。スペインから帰国した時に、おはぎを持って空港まで迎えに来てくれた母。以前と同じように「おかえり」と言ってくれた母がいた。


クリスマスの意味

クリスマスって何だろうと改めて思う。私はクリスチャンではないから聖書の中にことにも詳しくない。けれど、クリスマスに意味があるとしたら、クリスマスツリーでも高価なプレゼントでもないし、豪勢なパーティーでもない。こうして、自分を「おかえり」と迎えてくれる場所、本当に心の拠り所となる大切な人を想って真っ直ぐに心を繋ぎ、それぞれの幸せを願うことだと思う。



もしかしたら今までに何千回もダイヤルしたかもしれない番号を一つ一つ押していく。発信音が4回目になったところで受話器が外れる。

「もしもし?」

電話の向こうから懐かしい母の「おかえり」の声がした。



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メリークリスマス
皆さま、素敵なクリスマスを……。

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