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何もないのに全部ある

 カンタブリア地方の小さな海辺の町サンタンデール。ここからスペイン・イギリス間を結ぶフェリーが運航しているせいか、町のあちこちに英語で表記された看板があるうえ、お隣のバスク地方とも異なるヨーロピアンな造りをしている建物がいくつもある。それなのに、ちゃんと主張する昔ながらの漁村の田舎臭さがたまらなく心地良い。

 北スペインの旅といえば、必ず覗いてしまうのがお菓子屋さん。どうしてお菓子屋さんなのかというと、イスラム文化の影響が強いスペインでは、多くのお菓子が素朴で茶色っぽく、ケーキのデコレーションも、申し訳ないけれど洗練されているとは言い難い。もちろん、それはそれで趣があるし、味わいがあって良いのだけれど、「洋菓子」と名のつく丁寧に飾られている目で見るケーキとなると、やっぱりピレネー山脈を挟んだフランスからの影響を受けたこの辺りの地方となる。

 ただ、あくまでも「影響」でしかないので、何となくフランスぽい。イギリスっぽいという微妙な「それっぽさ」がスペインっぽさと仲良く共存している。

 ふらふら歩いていると、ちょうどそんな、スペインっぽくもフランスっぽくも、イギリスっぽくもないお菓子屋を見つけた。いや、たぶんお菓子屋……。
 なんとなく白とブルーを基調にマリン調の雰囲気は醸し出してはいるものの、しっかりと扉が閉じているのでカフェに見えなくもない。気になって顔を突っ込んでショーウィンドウを除き込んだ。
 すると、なんと“イワシチョコ”が売っているではないか。


 この町、サンタンデールが面するカンタブリア海の宝石といえばイワシ。スペイン王室ご用達の海岸も「エル・サルディネロ(El Sardinero)」と呼ばれているほど、イワシはサンタンデールのシンボルになっている。  

 何の気なく歩いていたのに、もしや、この町のルーツのようなものを持っている店に出会ってしまった。感動のあまり、思わず、3箱もイワシチョコ缶を購入。二箱はお土産用で、残りは自分の分で、今、食べるやつ。

 イワシプリントの銀紙に一つずつ丁寧に包まれたイワシチョコ。本物のイワシの缶詰に似せた小さな缶の中に数尾、行儀よく並んで入っている。

 イワシの味がするんだろうか。ひょっとしたら、イワシの骨カルシウム入りなんだろうか。DHA配合とかもあるのかもしれない?

 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 何だか勝手にテンションだけが爆上がりしていく。

 道端だとかもうどうでもよくなって、一尾取り出して破れないように丁寧に銀紙を剝がず。
 中からコロリと出てきたチョコレート。チョコレート本体もちゃんと魚の形をしていて、なぜか勿体ないからオサカチョコの先っぽだけかじる。

パキッ……。
……………。
……ただのミルクチョコだった。

 ここで慌てて缶の裏面表示を見る。やっぱりスペイン産だなんてどこにも書いていない。あぁ、どうして3缶も買う前に見ないんだと後悔しても、もう遅い。
 先だけ齧られたイワシチョコは、雑に口の中に放り込まれて、申し訳なさそうに生温かく溶けていった。
 
 いきなりガックリのサンタンデール。こういう事だってある。けれど、これもまた、旅の醍醐味。

 

 ***

 

 気を取り直して、まずは、鮮魚巡りからスタートする。
 バリオ・ぺスケーロと呼ばれる漁業地区には、ピチピチ伊勢エビやオマールエビが豪快に、さり気なくガラスケースから顔を覗かせる。焼いて美味し、煮て美味し、見ているだけでも目に美味し。そして、魚を見てニヤニヤする怪しげな日本人。

 バカラオ(鱈)、メルルサはもちろん、貝類も活きがよく、運がよければ、路上で「焼きはまぐり」を売っているのに出くわしたりする。香ばしい磯の香りが鼻先をくすぐり、日本の屋台をふっと思い浮かべる。

(醤油を持ってくればよかった。レモンもジュッと絞って……)

 なんて思っていたら、それだけで唾液が溢れてくる。

 ピンと背の張った艶やかなサルディナ(イワシ)だけでなく、アンチョア(アンチョビー)もこの地の定番。一尾一尾、手作業で作られる瓶詰めの塩漬けアンチョアは、大人の人差し指よりもずっと大きく立派で塩味も程々で、薄味嗜好の日本人の舌にもちょうどいい。
 山羊乳のフレッシュチーズ、上質のツナ缶、ルッコラを合わせると、誰にも教えてたくないタパスが誕生する。聞かなかったことにしてほしい。

 
***

 ここカンタブリア地方は、バスク地方と同様、”山海の珍味”をたっぷり満喫できる土地。海を背に車を走らせると、いたるところに牛の群れがあるのに気づく。さらに山岳部では、牛肉だけでなく、腸詰めや兎、子牛などをコトコト煮込んだ料理も非常に多い。
 こういった料理は、山岳風という意味の《ア・ラ・モンタニェサ》という名が付き、この辺りの厳冬には欠かせない料理となっている。

 この地方の料理の特徴の一つとして、豆類の豊富さがある。面白いのが白いんげんとひよこ豆の共存していること。いんげん豆を豚肉やモルシージャと共に煮込むと《エル・モンタニェス》、ひよこ豆を同じ材料で煮込むと《エル・レバニエゴ》と別の名の料理になる。
 レバニエゴとはリエバナの派生語。つまり、リエバナ谷周辺では主にインゲン豆ではなくひよこ豆がを使うということになる。わざわざレバニエゴと土地の名前を付けたのは、「おらが煮込み」ということだろう。

 ちなみに、ガルバンソの名で親しまれているひよこ豆は、カルタゴ人によってイベリア半島に持ち込まれて以来、イスラム人たちによってアンダルシアを中心に半島のほぼ全土に広まった歴史のある食材。
 一方で、いんげん豆のスペイン伝来はさらに後の新大陸発見以降となる。
 ということは、歴史的には、白いんげん豆はキリスト教国となってからの新食材ということになる。

 ひよこ豆の栄養価の高さは、イスラム教徒達の間でも重要視されていたので、インゲン豆ではなくひよこ豆を使うのは、おそらくリエバナ周辺に残ったイスラム文化の名残なのだろう。当時のイスラム軍の勢力の強さを思い知らせるものでもある。


 サンタンデールから車を走らせること一時間半の場所に、レコンキスタ(国土回復運動)を開始したドン・ペラヨが、最初に訪れた地だという言われるポテスという村がある。カンタブリア地方で最も美しいと言われるリエバナ谷からピコス・デ・エウロパ山脈に抜ける途中に位置する小さな村だ。

 この村の伝統的な飲み物が、葡萄の粕を使用した蒸留酒《オルホ》。濃度のある液体は透明や黄色、琥珀色に輝き、ハーブが仕込まれたエメラルドグリーンのものもある。アルコール度は40度前後とかなり高めで、消化促進の効果を持つオルホ。ショットグラスで食後に一気に飲み干すのが地元の飲み方。 

 

 空気だけでなく時間をも凍てつく冬の日に、薪のストーブでゆっくりと時間をかけて煮込む料理は、文字通り身体の芯から温めてくれる。肉と野菜がトロトロになるまで煮込まれた命の素が、心身共に安らぎ満たす。そして、食事の締めくくりには、必ず、オルホをぐいっと飲み干すのだろう。

「何もないけど全部あるんだ」

 この地に生きる一人のワイン職人がそう言った。
 毎日、生きるために自然と共に働く。ワインを造り、ワインと生きる。厳しい自然と対話をしながら、自分もまた、自然の一部だということを知る。働くために命を削ることは決してしない。

 そこには、自分の「食べて生きる」に向き合う暮らしがあり、何が自分たちにとって大切なのかを静かに見つめながら生きる人たちがいる。

  

 《次の目的地 ⇒ ヒホン》


前回でバスク地方の旅は終了し、スペインをぐるりと巡る旅も中盤にさしかかってきました。

さて、来週のSpacesですが、事情により今週のSpacesが開催できなかった為、引き続き、前回と同じお題にしたいと思います。

『珍味』

珍しい味が必ずしも美味しいとも限りません。何を基準に『珍味』というのかは自分次第。

そこで次回のお題も引き続きコレです。

『コレこそは!と思う珍味を教えてください』

あんなにマズイものは食べたことがない!
期待したけれど普通だった!
あんな不思議なものは後にも先にも一度だけ!

など、いろんなお話を聞かせてくださいね。

お題の回答はいつものようにコメント欄、もしくはTwitterで、 #食べて生きる人たち のハッシュタグをつけて投稿してください。

お待ちしております。


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