足りない色鉛筆
小学校の入って間もなく、父が海外出張のお土産に買って来てくれたものの中で今でも持っているものがある。
スイス・カランダッシュの色鉛筆。
ヨーロッパへ出張したことは一度もなかったので、きっと空港の免税店で買ってくれたのだと思う。姉と私に一つずつ。
平べったい缶に何本もの色鉛筆が何本も並んでいた。
50本。もっとあったかもしれない。
虹色のグラデーションに金色と銀色の色鉛筆が入った宝石箱のようだった。
学校から戻ると真っ先に缶ケースを開ける。
綺麗に並んでいた色鉛筆が、缶を開ける振動で動いてしまい、グラデーションがぐちゃぐちゃになる。それをまた綺麗に並び直す。そしてまたパチンと缶ケースを閉める。
これが毎日の儀式。
白から始まって黄色、オレンジ、赤、ピンク、紫、青と色合いを見ながら順に並べ、最後に金色と銀色を並べてはパチンと閉める。
そんな日が何日も続いたある日、ようやく勇気を出して絵を描いてみた。
木の葉を描こうとした。
黄色、黄緑、うぐいす色、緑、深緑と何種類もあった。楽しくなってきて使えそうな緑系の色を全部使ってみたら、黄色と緑が重なった部分が黄緑色になった。
空を描こうとした。
薄水色、スカイブルー、トルコブルー、青色、紺色。空の色がどの青だったのか忘れてしまうくらいに何種類もあった。空を塗った後に白色で雲を描いたら水色になってた。黄色で太陽を描いたら緑色になった。
もう、夢中になってしまった。色遊びが楽しくて仕方ない。
そんなある日、姉が言った。
「学校に持って行ったら、みんながええなぁ言うねん。こんなにいっぱい色があるのん、誰も持ってへんで!」
その日、母が色鉛筆の一本一本に名前を書いてくれた。
持って行くんじゃなかった。
その日から色鉛筆は少しずつ無くなっていった。
気がついたら、大切に使わないでおいた金色も銀色も無かった。
大好きなよく使う色はもう短くなっていた。
くすんだ寂しい色がいっぱい残った。
「自分の絵を描けるようにならなあかん」
物心ついた頃からずっと聞かされた母の言葉。
「でも、もう色鉛筆がないねんもん。色が足りへん」
「絵が描かれへん……」
母からの返事はなかった。
***
たとえ色が足りなくても絵は描ける。
足りない色を作ればいい。
きっと、誰も持っていない色ができるだろう。
もし色が一色しかなかったらどうしよう。
一色で絵を描けばいい。
もし黒色しかなったっからどうしよう。
墨絵というのがあるのを知らないの?
もし、全く色がなかったら……。
真っ白な紙に光を当ててみる。
反射した光が虹色に光るはず。
自分の絵。
自分にしか描けない絵。
やっと最近、母の言う言葉の意味が分かってきたような気がする。
いつか母にも見てもらえたらいいなぁ。
「ほら、私の絵やで」って。
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