小説【アコースティック・ブルー】Track6: Paint it,Black #1

「どういうことだ、これは?」

 ネットニュースのプリントアウト記事を突き付ける海老名の冷淡なその口振りには、俄かに怒りの感情が滲んでいるのが解る。電話口から受けた海老名の様子で状況は理解していたが、その内容を見てもセイイチはすぐにはピンとこなかった。
 紙面には「内野あかりの娘 歌手デビュー」という見出しが大きく印字されていて、その娘と称される少女の写真が掲載されている。スマホのカメラで撮影したような解像度の低い写真だが、小さな体に大きなアコースティックギターを提げて歌っている姿には見覚えがあった。
サエだった。

「内野あかりの娘……!?」
「明日には全国に配信される。
 前もって知らせてくれたのはステラ電子の高松さんだ」

「ステラ電子?どうして高松さんが……」といいかけてセイイチは事態の重大さに気づいた。
 有名ミュージシャンの子供が親と同じ音楽の道を辿るのは珍しい事ではない。それだけではさほど話題にもならないだろうが、内野あかりの娘となれば世間ではちょっとした騒ぎになるのも頷ける。しかし海老名の怒りの要因はもっと致命的な現実をセイイチに思い知らせた。

「KANONのCMは……」
「その子が出演することが決まったそうだ」

 悪態とも狼狽ともつかない呻き声がセイイチから漏れる。KANONで決まったものだと思ってタイアップ曲の構想も進めてきたというのに、この知らせはショックが大きかった。

「CMの内容は俺も大体聞いている。
 内野あかりの娘が出てきたとなれば、ステラ電子も考えを改めざるを得ないのは必然だ。実の娘なら宣伝効果も大きいからな」

 海老名は一定の理解を示すような台詞を口にしながらも、その表情は煮え湯を飲まされたように歪んでいた。よりによってKの紹介を蹴ったばかりで、その相手に仕事を奪われるなんて情けない。
 そこでセイイチは果たしてKはこの事実を知っていたのだろうか?と疑問を感じた。
 プロフィールにはそれらしいことは何も書かれていなかったことを思い出すとKも知らなかったと考えるのが妥当だろう。

「お前は知ってたのか?」

 海老名が険しい表情で詰問する。

「俺が知るわけ無いだろ。Kに紹介されて一度会っただけだ。
 あいつが知ってたとは思えないが、俺よりも詳しいはずだ」

 セイイチの返答に海老名はフッと冷ややかに鼻で嗤うと、怒りの籠った冷たい目を向けた。

「詳しいだろうな。彼女を売り込んだのはKなんだからな」

 すぐには海老名の発言の意味が理解できず、セイイチはその台詞を頭の中で反芻した。
 Kがこの件に関係しているということなのか? 困惑しているセイイチに海老名が畳み掛ける。

「ここ数日、Kがサンライズの人間と頻繁に接触していたらしい」
「サンライズ? なんであいつが?」
「記事をよく読め」

 海老名に促されて記事の内容に目を通す。
 前半はサエの生い立ちに関してのことが中心で、母親が内野あかりであることに触れ、同じアーティストを志した経緯などが書かれているさして珍しくはない内容の記事なのだが、文章の締めくくりとしてサンライズプロモーションから近々デビューすることが決まっているという記述にセイイチは唖然とした。

「明日にはサンライズプロモーションと正式に契約を交わしたことが発表される。
 間を取り持ったのは、恐らくKだ」

 海老名の信じられない発言に激しく動揺するセイイチ。
 元はKもセイイチと同じサンライズのアーティストだったことを考えると、今なおコネクションがあってもなんら不思議ではないのだが、それでもこの唐突な展開には思考が追い付いていかなかった。
 なにより四六時中一緒にいたセイイチが、Kのそんな行動に気づけなかったことに、セイイチ自信が一番悔しく感じた。

「どうしてあいつがそんなこと!?」
「それを聞きたいのは俺の方だ。Kはお前の右腕だろ」

 右腕と言われてセイイチは海老名の怒りの理由に気付いた。なぜKの行動にセイイチが気付けなかったのかという点を追及したいようだった。しかし誰にでも愛想がよく飄々としたあの性格は、人当たりが良さそうに見えて、その実掴み所がない。
 自分に対して不満を持っているだろうとは感じていたが、それを表に出すようなタイプでもなかったためあまり深く考えたことはなかった。

 Kのこの裏切りとも言える行動は信じ難く許せなかったが、そうさせてしまったのは自分にも責任の一端があると思うとやりきれなかった。
 思い返せば、重要視はしてきたつもりではあったが、尊重はしてこなかった気がする。サエを紹介された夜、いつもより食い下がってきたのはKなりの最後の抵抗だったのかもしれない。

「どうしてこうなった!? よりによってサンライズだぞ!
 ようやく裁判が終わったのに、また新たな火種だ」
「放っておけばいいだろ。今更どうにもならない」

 セイイチのなげやりな言い草に海老名が不快感を露に睨み付ける。

「Kはサエの正体を知ってて、そこに偶然ステラ電子がCMの話を持って来たんだ。
 彼らにそのことを提示すれば喜んで食いつくだろうな。
 俺達は利用されたんだよ。それなのに放っておけだ?
 自分には責任がないとでも思ってるのか!?」

 海老名が”偶然”という表現を用いたことにセイイチは引っ掛かりを覚えた。デジタルプレイヤーのCMの話を初めて聞いた時、Kは偶然が重なると言っていたが、あの時のKの返答は明らかにおかしかった。
 既にあの時点でこのことを計画していたのかと考えると、海老名の言っていることがやはり真実なのだと思い知らされる。

「俺にどうしろっていうんだよ? 気付けるわけないだろ」
「Kにサエを紹介されただろ。どうして見過ごしたんだ?
 彼女を獲得していればこんなことにはならなかったんだぞ!」
「まてよ、親の名前は本人の才能とは関係ないだろ。
 俺はあの子に可能性を感じなかったからスカウトしなかったんだ。
 それで責められる筋合いはないぞ」
「可能性なら十分あるじゃないか。
 本当に才能がなかったらサンライズが欲しがる訳がないだろ。
 他社に出し抜かれて大きなビジネスチャンスを棒に振ったんだぞ。
 恥ずかしくないのか!?」

 自分がミスを犯したという自覚は少なからずあるが、アーティストとしての信念を曲げてまで不本意な仕事をしようとはセイイチは思わない。それはかつて同じバンドで共に同じ夢を追いかけたイチロウも同じだと思っていただけに、海老名のこの発言がセイイチは許せなかった。

「何がビジネスチャンスだ。
 お前はただ、サエの知名度を利用して金儲けがしたいだけだろ」

 セイイチの切り返しに海老名は露骨に不愉快な表情をして怒りに顔を強張らせた。激昂するタイプではないため怒りを増すほどに重苦しい空気を纏っていく海老名は、暗く冷徹な鋭い眼光でセイイチを睨み付ける。

「俺達はもうあの頃とは違うんだ。今はこの会社を支えてくれる社員が沢山いる。
 俺には彼らの人生を守る義務があるんだ。
 みんながみんなお前みたいに好き勝手に生きていける訳じゃないんだよ」
「なんだと……っ!?」

 今回の騒動がセイイチの振る舞いに端を発しているのは事実だが、セイイチは自分の信念に従ったまでだった。それを身勝手だとは決して思わないが、海老名の台詞にはセイイチの失態に対する怒り以上の不満が顕れているような気がした。

 バンドの解散を機に会社を守る決断を下した海老名は、クリエイターとしての夢をセイイチに託して自らは裏方に回った。それでも音楽に対する情熱を忘れることなど出来る筈もなく、思うような成果を出せないセイイチに対して歯痒く思っているだろうことはセイイチ自身も感じている。
 このタイミングでその不満が噴出してきたらしいが今回のことと結び付けて捉えられると、状況としてはあまりにアンフェアだった。セイイチも海老名のやり口に反発を感じて睨み返す。

 一触即発の空気が張り詰める中、無言で睨み合う二人。
 ブラインドが降りているためこちらの様子は外からは見えないが、部屋に近い席にいる社員達がブラインドの隙間から室内の様子を窺っているのが解る。
 こんなとき、いつもならKが二人の間に立って仲裁するのだが、今は止めに入るものが誰もいない。事情を知らない社員達は誰が行動を起こすのか牽制しあっているようだった。

「俺は現場からは退いた身だ。
 今さらお前のやり方にケチをつけるつもりはない。
 でもそれはお前の才能を信頼していたからだ」
「内野あかりの娘をスカウトしなかったからって俺は能無しかよ?」
「そうじゃない。
 どうしてKを信用出来なかったのかだ。
 あいつにだって人を見る眼はあったはずだ。
 お前が自分で選んだ相棒なんだぞ」

 そのとき海老名の眼から怒りの感情が一瞬消えたように見えた。眼光は鋭いままだが訴えるような真剣な力強さがその眼に宿る。

「もっと周りを信用しろ」

 間違いを犯した子供を諭すような海老名の物言いにセイイチは気負いして「信用してねえ訳じゃねえよ」とぼそりと呟いたがその言葉に力はなかった。
 Kの話に耳を貸さなかったのがこの一件の引き金であることは事実だし、自分に見る眼が無かったと思われても仕方がない。海老名が身勝手だと非難したくなる気持ちもセイイチには理解できた。それでもやはり譲れない一線があり、すぐには心の葛藤に折り合いがつけられないのも事実だった。

「誰の紹介だろうと、俺は自分が認めた才能以外は受け入れない。
 流行に流されてすぐに忘れ去られるような歌手なら、俺はプロデュースするつもりなんて無ぇからな」

 一時的な人気で有名になったとしても、そこから生き残っていくのは至難だ。
 セイイチの周りでもそういった仲間達を大勢見てきたし、過去に一度味わった栄光を忘れられずに未だに先に進めずに燻っている惨めな連中もいる。セイイチはそんなアーティストをこれ以上見たくなかった。

「俺のやり方は知ってるだろ」

 セイイチの考えを変えることなど出来ないと諦めたのか海老名は力無く肩を落とす。怒りの炎がやや鎮まったように見えるその表情には、憐れむような悲壮感が漂っていた。

「お前の眼が確かならな」

 言葉にするのも忌々しそうに海老名が眉間にしわを寄せる。

「どういう意味だ?」
「まだ例の録音データを持ち歩いてるそうだな」

 その事に話が及ぶのはある程度予想は出来ていたが、いざ問い質されるとセイイチは何故か妙に後ろめたい気持ちになり腹の底に力が入った。

「それがどうした? 関係ないだろ」
「本当にそうか? まだ探してるんじゃないのか?
 お前の言う才能がその録音データのことを言ってるなら、まだ諦めていない証拠だ」
「勝手に決めつけるな。お前に何が解る……っ!?」

 二年前、TASKの録音データを手に入れたときセイイチはあらゆる手を使って声の主を探しだそうとした。会社に迷惑をかけたこともあったが、海老名もその才能に大きな期待を寄せていたため、五月蝿く言うことはなかった。
 結局見つけることは出来なかったが、その時からセイイチの中には未知の才能に対する畏敬の念が根付いてしまった。しかし海老名にとっては既に過去のことでしかなく、どうしてそこまで肩入れするのか理解できないようだった。
 セイイチはそんな海老名の無関心さに腹が立ち、極力この話題には触れないようにずっと避けてきていた。

「お前の人を見る眼は確かだ。
 でも、過去に囚われて正しい判断が出来ないなら、
今のお前はプロデューサー失格だ」
「俺がお荷物だって言いてぇのかよ」
「あれからもう二年も経つんだ。
 二年間探し続けて手掛かりひとつ掴めなかったんだぞ。
今更見つかるわけがないだろ」
「そんなことは言われなくても解ってんだよ。
 でもこれは俺の問題だ。お前には関係ない」

 諦めればそこで大切な何かを失ってしまうような気がしていた。TASKと交わした些細な約束が今のセイイチを突き動かしている。
 録音データの歌声が判断力を鈍らせているとは認めたくなかったが、明確に否定できるほどの根拠もなく、そんなことしか言えない自分にセイイチは苛立つ。
 話が長引かないうちにこの話題は切り上げたいとセイイチが考えていると、海老名は諦めたような態度でセイイチが一番聞きたくないセリフを吐いた。

「二年も前に解散したバンドの曲だぞ。
 今更完成させたところで、そんな時代遅れの音楽を誰が聞くんだ?
 目ぇ覚ませよ。もう諦めろ」

 セイイチの中で抑えつけていた感情が爆発した。

「なんだと……っ!? テメェもう一回言ってみろっ!!
 TASKの書いた曲が時代遅れだとっ!? ふざけんなよっ!」

 思わず頭に血が登り、気付くとセイイチは海老名の胸ぐらを掴んでいた。怒りに我を忘れて至近距離で睨み付けるセイイチに対して、海老名の表情は冷めきっていて、襟元を掴み上げるセイイチの手を振りほどこうともせず、その眼にはハッキリと憐みが浮かんでいた。傍目から見ても分が悪いのは自分の方だと否が応でも認識させられてしまうそんな海老名の眼差しに、セイイチはますます追い詰められる。

 背後で社長室の扉が開き、慌てて雪崩れ込んできた社員達にセイイチは押さえ付けられて海老名から引き剥がされた。昂る感情を抑えることが出来ず、足掻くセイイチを社員達が必死に引き留める。

「落ち着いてくださいセイイチさん!」

 目を血走らせて悪態を吐き続けるセイイチの姿を海老名が蔑むような眼差しで見下していた。火に油を注いだようにセイイチの怒りが激しさを増す。

「そこまで言うなら連れてきてやるよ! 本物の才能を持った奴をな!
 出来なきゃクビにでも何でも好きにしろ!!」

 セイイチのこの発言に一同が驚いて押さえつける力が緩んだ。
 セイイチはそのまま止めようとする社員達の手を強引に振り払うと、荒々しくドアを開けてそのまま社長室を後にする。
 取り残された海老名と社員達はその後ろ姿を目で追いかけることしか出来ず呆然とその場に立ち尽くした。

 

 

 会社を飛び出しても怒りが納まらないセイイチは煙草のフィルターを噛みながら、なかなか火の点かないライターに苛立って地面に叩き付けた。
「くそっ……」と小さく呟いて火の点けられなかった煙草を吐き捨てる。
 海老名やKが言った通り、今さら見つかるわけがないと誰よりも痛感していたのはセイイチだった。しかし他人からそれを指摘されるとなぜか腹立たしく感じる。
 自分は一体何に拘っているのか、もはや答えを持ち合わせていない自分がセイイチは惨めで情けなかった。
 もうあの録音データのことは諦めるべきなのかもしれないというのはこれまで何度も考えたことだ。しかしユウコに出会い、何かが変わるかもしれないと感じた。思わず海老名に対して啖呵を切ってしまったが、それは彼女が何か知っているという確信に近いものを感じていたからだったような気がする。今は彼女が唯一の頼みの綱だ。もしこれでまた無駄骨に終わるようだったら、その時は諦めようとセイイチは考えた。

 TASKのことを思い出すと申し訳ない気持ちになり、またあの曲が聞きたくなってポケットに手を入れる。しかしいつもあるはずのデジタルプレイヤーがそこには無く、別の場所に仕舞ったか? と上着のポケットを探るが見つからない。どうして――と不安が脳裏を過ったとき再びユウコのことを思い出した。そして店で彼女と会ったとき、カウンターにデジタルプレイヤーを置いたことに気づき、セイイチは口の中で自分に毒づくとTom&Collinsへ向かって走り出した。



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