小説【アコースティック・ブルー】Track2: I still haven't what I'm looking for #1

「コチラが来春発売予定の新モデルです」

 差し出された一枚のプリント用紙を覗き込むセイイチとK。資料には新機種のデジタルプレイヤーの概要がイメージ写真と共に印刷されていた。
 EclipseRecordsの来客用エントランスは24階建てビルの最上階にあり、壁一面の大きな窓から都内の景色を見渡せる。
 エントランスの半分が会議スペースとして利用されていて、低いパーティションで仕切られた小さなブースが並んでいるのだが、狭い場所が嫌いなセイイチは普段からエントランスの来客用ソファーを好んで打ち合わせの場所に利用している。セイイチとK、ステラ電子の担当者二人の合計四人が低いコーヒーテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。

「CMキャラクターにはぜひKANON (カノン)さんを起用させて頂きたいと考えております」

 担当の松山が健康的に日焼けした肌を照からせながら、妙に白い歯を見せて嬉しそうに笑う。アメコミヒーローのような逆三角形の体に安物のスーツが少し窮屈そうで、低いソファーに小さく収まってる姿が非常に息苦しそうだ。
 見るからにスポーツマンといった体育会系のエネルギッシュな若者がセイイチはなんとなく苦手だった。理由としては高校時代、軽音部に所属していたセイイチはスポーツ系の部活動を優遇する学校の体質が気に入らなかったことに端を発する。
 大人達から見れば、放課後に悪ガキたちが集まって騒音を打ち鳴らしているようにしか聞こえなかったのかもしれない。地元の商店会やライブハウスが主催する高校生以下を対象にしたコンテストでいい成績を残しても、教師たちからすれば腐ったミカンであることに変わりはないらしい。
 毎回予選で敗退してばかりの野球部やサッカー部が無条件で持て囃され、連中が何かやらかしても軽い注意で済ますような教師たちの依怙贔屓ぶりが気に食わず、気性の激しいセイイチは彼らと対立することが多かった。
 そんな学生時代の理不尽をいまだに根に持っているワケは当然無いはずなのだが、本能に刷り込まれてしまった劣等感を完全に払拭することは難しいらしい。体育会系の人間と対峙するとセイイチは微かな敵意を感じてしまう体質になっていた。しかも松山はなぜか終始嬉しそうに眼を輝かせながらこちらを見ているので、セイイチは余計に薄気味悪さを感じていた。差し出された資料に視線を落として仕事に集中する。

「デジタルプレイヤーのCMですか。CM曲もKANONの楽曲を?」
「もちろんです! いやぁ、実は私Mor:c;waraの大ファンだったんです!
 セイイチさんがプロデュースされているKANONさんも大好きでして!」

 興奮した松山が豪快に大きな声を張り上げるので、向かいに座っているセイイチは思わず耳を塞ぎそうになった。隣に座る高松がそんなセイイチの様子に気づいたのか、申し訳なさそうに視線を送ると「松山君、そういった個人的なことは」と彼の言動に釘を刺した。
 白髪交じりだが若々しく、体型に気を遣っているのかスリムで、身なりも小綺麗にしている高松は、落ち着いたベテランの風格を漂わせる紳士といった印象だ。
 体の大きな松山がソファーの半分を占領しているので、やけに小さく頼り無さげに見えてしまうが、感情を表に出すことが少なそうな冷静な眼差しが、共に仕事をする相手としては安心材料だとセイイチは感じた。
 高松に注意された松山は「すみません」と残念そうに肩を落したが、すぐに気を取り直して説明を続ける。

「このシリーズは初代のモデルが発売されて以来十五年めになります。
 今回のモデルチェンジは節目の年にもなるので、CMの内容も初代モデル発売時のオマージュ作品にしようと考えているんです」
「オマージュ?」
「内野あかりという歌手を覚えていらっしゃいますか?」

 そう言うと松山はプレゼン用に用意してきたタブレットを操作して古い動画ファイルを再生した。
 渇いた大地の中央に葉を落とした枯れ木が一本立ち、その麓に女性が佇んでいる。
 風の戦ぐ音さえ聞こえない無音の荒野の中で大きく息を吸い込むと、彼女は美しく力強い歌声を響かせ始めた。
 艶やかで微かなビブラートを含んだハスキーな歌声が荒涼とした大地に花を咲かせる。頭の天辺から突き抜けるような鋭い高音と芯の通った低音の両方を巧みに使い分ける圧倒的な歌唱力には思わず息を呑む迫力があった。
 楽器による伴奏は一切なく、CMの最後に製品の画像が映し出されるまでのおよそ三十秒間、女性の独唱だけの映像が続く。聞くものを強力に引き込む唯一無二の表現力と存在感があってこそ初めて実現するCMだった。

「懐かしいですね。よく覚えてますよこのCM。
 この曲がヒットして一躍トップシンガーの仲間入りを果たしたんですよね」

 当時まだ小学生だったとKが嬉しそうに語る。
 セイイチはふと昨夜バーでその話をしたばかりだったことを思いだし、妙に運命じみた偶然を感じた。

「その年の音楽賞総ナメだったからな」
「でも、突然引退しちゃいましたよね。今どうしてるんだろ?」

 Kがそんな疑問を口にすると「今は海外で生活しておられるようです」と高松が抑揚のない落ち着いた調子で応えた。

「この企画が持ち上がった時、我々も彼女の行方を追ったんですが、そこまでしかわかりませんでした」

 高松の語り口は訥々としていて、声の大きな松山とは対象的だった。礼儀正しく真面目そうな人物だが、堅物といった印象も抱かせる。

「内野さんは元々ジャズシンガーだったそうです。
 若いころはなかなか芽が出なかったそうで、このCMが話題になったときには既に結婚されていてお子さんもいたそうです」
「十五年くらい前でしたよね。今そのお子さんは高校生くらいか……」
「そうだと思います」

 高松の返答を聞いてKが考え込むような難しい表情を見せる。今の会話の中で気に掛かるような事は何も無かったように感じたセイイチは、Kのその表情の変化を不審に思った。

「引退の理由は公式には発表されていませんが、どうやら子育てに専念するために海外に移住されたようです。当時このCMを担当したディレクターに聞きました」

 高松の話ではそれ以降内野あかりは目立った音楽活動をしていないようで、消息についても殆ど解らないらしかった。
 十五年前―― 圧倒的な歌唱力を武器にある日突然表舞台に姿を現した歌姫は、その類い稀な才能で日本の音楽シーンを席巻した。しかし当時からあまりメディアに姿を現さない謎めいたアーティストでもあった。
 大ヒットを記録したCM曲以外の作品は発表されておらず、実在するアーティストなのか疑問視するような噂まで囁かれるほどだったが、その歌声が世界に与えた影響は多大だった。

「このモデルは料金設定が比較的高めなので、
 若い世代にも手に取ってもらえるように今、中高生の間で絶大な人気を得ているKANONさんにお願いしたいんです!」

 暑苦しいくらいに意気込む松山が相変わらず大きな声で嘆願するので、エントランスに偶然居合わせた来客の数名が何事かと驚いた様子でセイイチ達を見た。

「そう言って頂けるとありがたいですね。KANONも喜ぶと思います」

 取り繕った笑顔で答えるが、若者特有の熱意にはやはり馴染めないセイイチ。表情には出さないようにと努めながらも松山が「よろしくお願いします!」とまた大声を上げるので思わず視線を逸らしてしまった。
 再びタブレットの映像が視界に入る。そこに映し出されているデジタルプレイヤーの画像を眺めてセイイチは上着の上からポケットの中に仕舞ったプレイヤーに手を触れた。奇しくもそれはセイイチの持つデジタルプレイヤーと同型のモデルだった。

「大きい仕事になりそうですねKANONさん」
「ああ、今は忙しい時期だけど、もう少しだけ頑張ってもらおう」

 担当者を送り出し、人心地つくセイイチとK。エントランスに張られたKANONのポスターを見つめながら、KANONに委ねられた大役の重さにセイイチは一抹の不安を覚えた。

「KANONさんなら大丈夫ですよ。きっと期待以上の成果を出してくれますって」

 セイイチの不安げな表情の変化を見て取ったのか、まるで心を読んだようにKが呑気にそんなことを言う。
 昨夜のやり取りで気まずい思いをするかと思ったが、Kは何事も無かったようにあっけらかんとしていて、物事を楽観的に捉えられるそんなKの性格がセイイチにとっては大きな救いだった。

「それにしても、こうも偶然が重なるとなんか運命的なものを感じますね」

 KANONのポスターを見ながらKが一人で頷く。セイイチが「偶然?」と問い返すと、ほんの一瞬ばつが悪そうに表情を曇らせたが、すぐにいつもの調子に戻った。

「セイイチさんが持ってるあのプレイヤーって、CMの初代と同じ奴ですよね。
 すごい偶然だと思いません?」

「そういやそうだな」と今まで気づかなかったような口ぶりでセイイチが答える。

「それにあの二人。
 松山と高松って―― 四国の地名じゃないですか。性格真逆だし」

 能天気にそんなことでケラケラ笑っているKだったが、セイイチは何故かその笑顔に不自然さを感じた。その正体が一体何なのかさっぱり見当もつかないが、セイイチはKの表情が演技じみいるような気がして違和感を覚えた。



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