小説【アコースティック・ブルー】Track1: SLOWDOWN #2

 どこまでも透き通る歌声が、吐き出す煙草の煙とともに冷たい夜の闇に溶けていく。相変わらず無機質にNotitleの文字が表示されるだけのディスプレイには煙草の先端の赤い炎が映っていた。

 サエの迫力に圧倒される姿を面白がるケンジとKが煩わしくてセイイチは店の外に逃れてきた。テラス席で煙草をふかしながらバッテリーが切れかかった音源の歌声を繰り返し聞いていると、収録が途切れる直前に聞こえる若い男女の笑い声に懐かしさがこみあげてきた。男の方の声に馴染み深いセイイチは、声の主を思い出して記憶の中に保存されていた過去を呼び起こす。


「ハハハ、なんだよもう限界か?」
「当たり前だろ、ウィスキー何杯飲んだと思ってんだ」
「強い酒ばっか飲むからだろ」

 覚束ない足取りでホテルのバルコニーに踊り出るSEIICHの様子を見てTASKが無邪気に笑う。
 SEIICHIはTASKに肩を支えられて、ふらつきながらバルコニーの手摺に辿り着いた。そんな状態でも片手にはウィスキーの薄く入ったグラスがしっかり握られている。冷たい夜風を受けてSEIICHIが気持ちよさそうに鼻を鳴らす。

「こんなことしてていいのかよ俺達。十日後にはツアーのファイナルだぜ」
「息抜きも必要だろ。このところずっと張り詰めてたし、楽しそうじゃんみんな」

 そう言ってTASKが部屋の中で酔いつぶれるメンバーやスタッフ達を指差してケラケラ笑った。
 KENJIはテーブルに突っ伏して眠り、スタッフ達も眠たそうに目をこすっている。すると突然、泥酔したICHIROUが一冊の雑誌を取り上げて、呂律の回らない舌で怒鳴り始めた。

「誰だこんな記事書いた奴は!?連れてこい!ぶん殴ってやる!!」

 雑誌には『Mor:c;wara解散の危機!!』という見出しが躍っている。記事の中には前レーベルとの訴訟や、SEIICHIとICHIROUの不仲についても書かれていた。

「相当怒ってるねICHIROU君」
「あんなんでもウチの社長だからな。
 バンドのイメージが傷つけられるのが許せねぇのさ」

 Mor:c;waraは五年前、サンライズプロモーションからメジャーデビューを果たし、多くの商業的な成功を収めてきた。しかしサンライズから支払われる金額が売り上げに対してあまりに少ないため、メンバー達は不服を申し立てたのだが、サンライズはこの申し立てに取り合わず、結果的に裁判沙汰にまで発展してしまった。
 こうして事務所との関係が悪化したMor:c;waraは独立を余儀なくされ、SEIICHIとICHIROUは新レーベルEclipsRecordsを発足する。心機一転再始動を図るが、音源の著作権がサンライズに帰属していることと、競業避止を理由にMor:c;waraは活動を制限され、裁判は泥沼化していた。

「サンライズとは話しついたんでしょ?」
「まぁ、円満とはいかなかったけど、もう心配ねぇよ」

 Mor:c;waraは活動を制限さながらもレーベル移籍後第一段となる新アルバムを発表し、インディーズレーベルとしては異例の大ヒットを記録。アルバム発売に続いて全国ツアーが開催され、十日後にはいよいよファイナルを迎える。
 長く続いていた裁判もMor:c;wara側の主張が全面的に認められ、ようやく終結を迎えようとしていた。そんな時期に全国ツアーも千秋楽を迎えるとあって、メンバーもスタッフ達もどこか浮き足立っていた。

「二人の仲が悪いのも今に始まったことじゃないのにねぇ」

 TASKはベロベロに酔っぱらいながら雑誌記事に文句を言い続けているICHIROUを見やり、誰に向けて言うでもなくそう呟いた。それを聞いたセイイチは少し不機嫌そうに顔をしかめると「別に仲が悪いわけじゃねぇよ」と否定した。

「俺もアイツも音楽に関しては頑固だからな。これはずっと変わらねぇよ」
「結局似た者同士ってことでしょ」
「誰が……」

 TASKの指摘にSEIICHIは眉間にシワを寄せてグラスに残ったウィスキーを飲み干す。それを見たTASKが「照れてんじゃねぇよ!」とからかうとSEIICHIは「うるせぇ!そんなんじゃねぇ!」と少し本気になって憤慨した。

「やっぱり曲作りはうまくいってないの?」
「前作が良すぎたからな」
「期待を超えられるものはそう簡単じゃないか……」
「ああ」

 そこで二人の会話が途切れる。
 都会の煌びやかな明かりの上に、ひときわ大きく輝く月が浮かび、二人の影をぼんやり照らしだす。
 人工的な眩い明かりが無数に煌めく街並みと、それとは対照的に散り散りの星が浮かぶ暗い空で、まるで上下が反転したような景色を見つめながらTASKが徐に別の話題を切り出した。

「なぁ、聞いてほしい曲があるんだけど」
「なんだ、新曲か?」
「あーまぁ、そんなとこかな」
「いいけど、データで寄こすなよ。CDにしろ。PC持ってなぇからな」
「いい加減買えよな。稼いでんだから」
「うるせぇ、俺はアナログが好きなんだっ」
「いやCDはデジタル音源だけど……」
「あ?」



 他愛のないやり取りを思い出して頬を緩めるセイイチ。思わず目頭が熱くなり、胸に刺したサングラスをかけて表情を隠した。
 その時ドアに取り付けられたベルがカラカラと音を立てながら開くと、Kが店の中から出てきた。テラス席で煙草をふかしていたセイイチは、その姿を認めると特に意識したわけでもなかったが、隠すようにデジタルプレイヤーを上着のポケットに仕舞いこむ。

「あれ、セイイチさんここにいたんですか。先に帰っちゃったかと思いましたよ」
「ああーあの子は?」
「ケンジさん達と意気投合しちゃって、まだ中で話してます」
「あの子未成年だろ?ちゃんと送り帰してやれ」
「解ってますよ。セイイチさんみたいに口説いたりしませんから、ご安心を」
「お前なぁ……」

 面白半分で茶化すKに苦笑いするセイイチ。Kがそのまま徐にセイイチと同じテーブルに着くと「――で、やっぱりサエちゃんはダメですかね?」と世間話でも始めるような軽い調子で尋ねた。
 自分が見出した才能を是が非でも表舞台に立たせてやりたいと考えるのがこの仕事をしている人間の性だ。しかし話が深刻になるのを嫌ったのか、気を遣わせないように話を向けるKの態度にセイイチは僅かながら罪悪感を覚えた。
 新人の才を見いだすKの能力にセイイチは一目置いているが、今までKから紹介されたアーティストをプロデュースしたことは一度もなかった。決め手となるような特別なものを感じないというのが大きな理由だが、それは何か得体の知れない漠然としたものでしかなく、何が足りないのかセイイチ自身ですら理解できていないのが現実だった。

「まぁそうだな。確かに歌は上手な方だし、ルックスも悪くない。
 磨けばそれなりにはなりそうだけどそこまでだな。俺の求める才能じゃない」

 セイイチの答えは解っていたらしい。諦めの混じった口調で「そうスか……」とKが呟くと、残念がる子供のように唇を尖らせて視線を落とした。
 一見すると何も感じていないようなその表情からはどの程度不満を持っているのか推し量れないのがかえってこの男の難しいところだとセイイチはいつも思う。

「セイイチさんの求める才能って何なんですか?」
「何だよ急に?」

 Kの唐突な質問に面食らって、セイイチが思わず怪しむような声を出した。

「今までも有望な新人は何人かいたじゃないですか。
 たとえセイイチさんの求める才能じゃなかったとしても、原石であることには間違いないんだし。
 だったら、彼らの未来に賭けてみようって、そんなふうには考えないのかなって」

 Kは普段、セイイチが決めたことに対して抗議することは殆どない。それは大抵の場合はセイイチの判断が正しいと信じているからなのだが、セイイチが一度決めたことは、滅多なことでは覆さないということも知っているからだった。
 しかし今回は、どうやら思うところがあるらしい。いつも楽天的な態度で人と接するKは、真面目な話になっても口調が普段と変わらず軽いだけに、どれほど深刻な思いを抱いているのか汲み取りにくく、セイイチはいつも困惑する。
 Kの言い分は至極真っ当で正しい。頭ではそう理解していても、胸の奥にクリエイターとして納得のいかない仕事はしたくないというしこりのような思いがしつこく居座っている。
 このところKとの意識のすれ違いが顕著になってきているだけに、Kのこの台詞にセイイチはどう返答すべきか解らずに黙り込んでしまった。

「やっぱり例の録音データが原因ですか?」

 またも核心を突いたKの指摘に狼狽えるセイイチ。
「は?何言ってんだよ関係ねぇよ」と慌てて答えるが、わざとらしく声が上擦ってしまったような気がする。

「また聞いてたんじゃないですか、それ」

 Kがセイイチの上着のポケットを指さし、見られていたのかと、セイイチは自分の迂闊さに舌打ちしたくなった。
「いや、もう充電がねぇよ」とポケットから起動停止したプレイヤーを取り出してKの質問をはぐらかす。Kはセイイチが取り出したプレイヤーには目もくれず、一人で納得したように「やっぱりまだ諦めてないんですね」と続けた。

「だから関係ねぇって――」

 Kの態度は相変わらず掴み処がなく、何を考えているのか解らない。相手の心の内を決めつけるようなその台詞にセイイチは苛立った。

「解りますよ。その歌声聞いたら、他はみんな霞んで聞こえてしまいますからね。
 だけどもう、あれから二年ですよ。
 これまで散々探し回ってきたのに、結局手掛かりすら掴めなかったじゃないですか。なのに今更――」
「解ってるよ」

 セイイチの硬く低い声がKの話を遮った。
 サングラスの下に隠された表情は一切の感情が排除されているかのように冷たく、そんなセイイチの態度の急変にKは思わず凍り付く。

「お前の言いたいことは解ってる。それ以上言うな」

 なおも感情の籠らない声でセイイチが続ける。Kは言い過ぎたと気付いて何かフォローしようと言葉を探すが、上手い文句が見つからずに「あ、俺……」とだけ発してそのまま口籠ってしまった。
 セイイチは懐から煙草の箱を取り出すと一本咥えて火を点け、そのまま静かに立ち上がった。「もうお前にも会社にも迷惑はかけねぇよ」とKには目を向けずに発する。「迷惑だなんてそんなっ……」
 Kがそれに反応して立ち上がるが、セイイチはKを見ようとはしない。

「これは俺にとっての贖罪だ。
 あいつの残したこの曲を完成させることが唯一俺に許された償いなんだ」

 苦々しく、とても寂しそうな声でセイイチがそう吐き出すのを聞いてKは思わず「セイイチさんは何も悪くないじゃないですかっ!」と声を上げた。しかしセイイチはそれには答えず、背を向けたまま「先に帰るぜ。あの子ちゃんと送って行けよ」とだけ言い添えて片手を振った。

「あのっ――セイイチさんっ……」

 かける言葉が見つからず言い淀んだまま、Kは遠ざかっていくセイイチの背中をただ見送るしかなかった。



 Kの台詞が痛いほど胸に突き刺さる。
 俺はいったい何を求めているんだろう?と自問自答しながら歩いていると、気づかぬうちにポケットの中のデジタルプレイヤーを握りしめている自分がいた。二年前のあの日からセイイチの時間は止まったままだ。
 TASKが自分だけに明かした新曲の構想は、今となっては幻となってしまったが、セイイチの手元に残ったこのデジタルプレイヤーはその希望を繋ぐ唯一の手がかりだった。どこの誰が歌っているのか、この二年間で突き止めることは出来なかったが、この中に記録されている音源は紛れもなくTASKが最後に残したメッセージだった。

”何がなんでも探し出す”

 そう心に決めたときから、セイイチにとってこの曲を最後まで完成さてやせることが人生の課題となった。
 あのときTASKはどんな思いでいたのか。今となっては想像することすら難しいが、充電の切れた真っ暗なディスプレイを見ながら、セイイチは再びあの夜のことを思い出した。肌に触れる夜風の冷たさに酔いが冷めていく感覚が、あの瞬間の自分と重なる。

 どこを見るともなく、真っ暗な夜空に浮かぶ月にぼーっと視線を向けていたTASKが、なんの脈絡もなくSEIICHIに告げた一言。

「なぁ、俺さ……。
 バンド辞めようと思うんだ」


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