小説【アコースティック・ブルー】Track2: I still haven't what I'm looking for #2

「オーディション?」

 録音作業に追われるスタッフ達の傍らで、TASKの歌録りを見守っていたICHIROUに対してSEIICHIが提案したのは、EclipseRecordsの将来を担う、次世代のアーティストを発掘するためのオーディションの開催だった。

「これからもっとEclipseを大きくする気があるなら、
新しいアーティストを見つけなきゃダメだ。
Mor:c;waraだけで牽引していくのは限界があるだろ」
「まぁ、確かにな」

 ICHIROUはそう呟くと、少しだけ考えるように録音ブース内のTASKから視線を逸らした。

「そんなに急がなくてもいいんじゃないか?
 裁判が落ち着いたばかりだし、一週間後にはツアーのファイナルだ」

 そこまで言うと改めて録音ブース内に視線を戻すICHIROU。

「それにほら――
 新アルバム制作の真っ最中なんだから、全部片付いてからでも遅くないだろ」

 サンライズとの権利問題が解消されたことで、過去のMor:c;waraの楽曲の使用が公に可能になった。レーベルを移籍し、精神的にも一段落した彼らはこれを機に初めてのベストアルバムの制作に着手し始める。
 自分達にとって思い入れのある曲や、ファンから人気の高い曲を選りすぐって、現時点では三十曲ほどの候補が出揃っているのだが、ここからさらに十八曲前後まで絞り込む必要があった。全曲再収録、再編集を施した、現在のMor:c;waraによる名盤が生まれる予定だ。

「今だからこそ俺は言ってるんだよ。
 何のしがらみもなく自由に振る舞える今だからいいんじゃねぇか」

 いつにも増して熱の籠るSEIICHIの説得にICHIROUも再び考え込むようにして「うーん」と唸った。

「まぁ、ひとまずはツアーが終わってからだ。
 この話はツアーが終わってからゆっくり話そう」

 ICHIROUの言う通り先を急ぐようなことではないくらいSEIICHIにも十分解っていた。しかし胸の奥で燻り始めた不安と焦りが日に日に肥大化していくのはどう足掻いても止められない。SEIICHIはただ、この不安が周囲に悟られないように努めながら、「そうだな……」と力ない声で呟くのが精一杯だった。
 そのとき、録音中の音声が唐突に停止されて作業ブース側に設置されたスピーカーからやけに力ないTASKの声が響いた。

「ごめん、ちょっと休憩」

 作業担当のスタッフとICHIROUが困惑した様子で顔を見合わせる。「ちょっと乾燥してるみたい」と喉に手を当てて録音ブースから出てきたTASKは、顔色が悪く肌に脂汗が滲んでいた。

「おい、大丈夫か?」
「ツアーであちこち飛び回ってたから、ちょっと疲れちゃって……」

 申し訳無さそうに眉を寄せて、穏やかな笑顔でICHIROUに答えるTASKの様子にスタッフ達は心配そうな表情を浮かべながらも、大事ではなさそうなことに俄かに安堵していた。しかしSEIICHIだけは表情を変えずにTASKの様子を見守っていた。

「今日はもういいから休んでろよ。ツアーの最終日に倒れられちゃ大変だからな」
「大丈夫だよ。少し休めば良くなるから。社長室のソファー、借りていい?」
「別にいいけど…… 無理するなよ」

 渋々といった様子でICHIROUは了承するが、ふらつきながら録音スタジオを後にするTASKの背中を見て不安げな表情を濃くした。防音扉のハンドルが重そうなので、SEIICHIが手を貸してやると「ああ、ごめん」と弱々しい笑顔でTASKが応えた。


 設立間もないEclipseRecordsは繁華街の小さなビルの1フロアを間借りしているだけの小さな事務所で、録音スタジオは向かいのビルの地下にある。
 事務所には数名の社員が常駐しているが、バンドのメンバーはスタジオに入り浸っていることの方が多いため、こちらのビルに顔を出すことは少なく、メンバーが顔を出すとちょっとしたⅤⅠP待遇で迎えられる。
 フロアの奥にパーティションを置いて仕切っただけの小さなエリアがあり、ICHIROUの仕事用デスクと来客のためのソファーと低いテーブルが置かれている質素な空間がEclipseRecordsの社長室兼応接室になっていた。

「大丈夫か?」

 薄い毛布を頭まで被ってソファーの上で横になっていたTASKが、SEIICHIの呼び掛けに反応して毛布の中から顔を出す。録音スタジオに居たときよりも随分顔色が良くなっているのを見てSEIICHIは安堵した。

「ああ、ごめん。もう大丈夫。すぐ戻るよ」
「いいから、休んでろ。ICHIROUが『今日はもう帰って寝てろ』だってよ」

 TASKはそれを聞いて「まだ歌い足りない」と子供のように口を尖らせて悔しがる。
 体調は回復したようだが、それでもSEIICHIが「黙って帰れ」と諭すのでTASKは残念そうに目を伏せた。

「みんなには?」
「まだ何も。約束は守るから心配するな」
「ありがとう」

 いつになく低い声で話すTASKの様子が気がかりだったが、それは体調のせいだけではないことをSEIICHIは理解している。とても受け止めきれるわけがない悲惨な現実にTASK自身が一番困惑しているはずだった。それでもメンバーやスタッフ達に心配をかけまいと、気丈に振る舞うTASKの姿勢にSEIICHIは胸の奥を熱くする。
 昨夜、突然告げられた衝撃の事実をまだきちんと消化出来ていない。多分一生出来ないだろう。
 バンドを辞めると言い出した時は瞬間的に頭に血が登り、思わず殴りかかりそうになったが、その後に続く言葉で地獄の底に突き落とされたようなゾッとする寒気を覚えた。聞き間違えならどんなに良かっただろうか。あの時TASKはハッキリとSEIICHIの目を見て告げた。

「俺、もうすぐ死ぬんだ」と……




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