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何一つ、しがみついて留められる現象はない

仏教では、運命とか宿命でもなく、
星のせいでもなく、因果法則を説いてます。

種を植えたら、因果法則に従って芽が出ます。

種を植えてから見事に木になって、

そこで、「あの種はどこでしょうか?」と

土を掘り返しても、植えた『種』は見つかるんでしょうか

種という『因』があったから、木という『果』が出ても

植えた種は、もはやどこにもないのです。

一時的に成立した現象であっただけで、
木という現象とは全くの別もの。

どれだけ土を掘り返しても、見つけることはできません。

これを嫌な『過去』に置き換えてみると……?
恨んで、悔やんで、悲しくて……

どれだけ『過去』をほじくり返してみても、
それは決して見つかることの無い『植えた種』を探すようなもの。

『果』として現象が現れても、『因』の現象はどこにも無いです。

そして、『果』として現れた現象も
一時的に成立して現れただけで、
すぐに生滅変化してしまいます。

なぜなら、『無常』だからです。
変化は止められません。

「覚えてる」と言っても、それはもう正確ではないし
どこにも存在しない『種』です。

生滅変化する現象を追いかけるから、苦しくなる

それが「楽しい」と勘違いすらしてしまう

何一つ、しがみついて留められる現象はないのです。

追いかけても、追いかけられないんです。

留めたくても、留められないんです。

そのことを冷静に落ち着いて観察できることこそが、
本当の幸福に繋がるのです。







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