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「好き」から生まれる遊び心をイラストレーションに込めて-イラストレーター KAORU SATO-

vision trackでは昨年、見る人の「心を動かすイラストレーター」との新たな出会いを求めて、「vision track所属イラストレーター / 公募プログラム」を実施しました。選考基準は「自分にしかない『らしさ』を起点にしながら、多くの人の『好き』に応えられること」。300名以上の応募者の中から7名のイラストレーターが所属に至りました。
より多くの方に7名の魅力をお伝えするため、1名ずつインタビューをお届けしています。
第4回目にご紹介するのはKAORU SATOさん。どこか不思議で懐かしさを感じるような世界観が魅力の作品は、POPEYEの表紙、バンドnever young beachや音楽フェスのビジュアルなどに起用され人気を集めています。
今回のインタビューでは、現在の活躍の裏にあったイラストレーターになるまでの知られざる苦悩や、有言実行で叶えてきた夢、これからの目標など、彼のパーソナルな部分に迫りました。
独自の作品を生み出し続けるKAORU SATOとは一体どんな人物なのか?そのクリエイティブの源はどこにあるのか?ぜひ最後までお楽しみください🌞


立体(陶芸)と平面(イラスト)の融合

ーまずはこれまでの経歴を教えていただけますか?

元々は多摩美術大学の工芸学科で4年間、陶芸を専攻していました。
陶芸家になろうと思ったこともありましたが、美大の4年間で両親にもたくさんお金を払ってもらってましたし、進路は就職一択だな、と。デザイナーの仕事であれば選択肢も多くなると考えてその方向で就活し、わりと早めの段階で制作会社に内定をもらっていました。
でも、陶芸の卒業制作を始めた時に「やっぱり自分は手を動かしてものづくりがしたい!」と稲妻が走ったような感覚というか、すごくそれを強く思って。学費の関係もあって東京藝術大学の大学院を目指して内定を辞退したものの滑ってしまい、さすがにこれ以上わがままは言えないと、急いでもう一度就活をして、なんとか別のデザイン事務所で働くことになりました。
ただ、制作したいという気持ちを持ったままの就職になったことで、どうしても自分がやりたいこととのギャップを感じていましたね。

自身で制作した陶芸作品(写真:本人提供)

ー陶芸から始まり、制作会社を経て、いつからイラストを仕事にしたいと思うようになったのでしょうか?

働く中で違和感が拭えずにいた時、これまで描いていた絵やスケッチブックが目に留まりました。
学生時代にやっていた100枚ドローイングの課題が楽しくて、それが終わってからも1〜2日に1枚くらいのペースでずっと描き続けていたんですよね。その絵が結構溜まっていて、それを見た時に普段自分が好きでよく買っているPOPEYEやCasaなどの雑誌の挿絵がパッと浮かびました。「そう言えば、こういうイラストを描いてる人ってどんな人なんだろう?」と。クレジットからそのイラストレーターさんのInstagramを見てみたら、まさに自分のやりたいことにバチッとハマるようなことをやっていたんです。
そこからは会社で働きつつ、「陶芸は一旦置くけど、いつか陶芸と合わせられる時が来る」と思いながら、Instagramにイラストの1日1投稿をしていくようになり、そうするとフォロワーもだんだん増えてきてイラストを描くことがすごく楽しくなってきて。
会社の面談でもなにか活かせることはないかと相談したのですが会社ではやはり難しく、学生の時から考えていた「自分の手を動かす=自分でお金を稼ぐ」というビジョンがハッキリしたこともあり会社を退職しました。
そこからはもう、やることは1つ。イラストレーターとして生きていくために名刺とポートフォリオを作って、雑誌編集部から渋谷PARCOまで片っ端から持ち込み、売り込みをする日々が始まりました。

ーなかなか波瀾万丈な流れかと思いますが、周囲の理解や応援もあったのでしょうか?

大学院に行こうとしたこともありましたし、会社を退職した当初は特に父には言えなかったのですが結局耳に入り、心配されましたしめっちゃ怒られましたね(笑)
また、会社を辞めた後に学生時代の友達数人と会うことになったんですが、周りはストイックにデザインの業界で頑張っていたこともあり、すぐに辞めてしまったことを理解してもらえませんでした。
なので、イラストレーターとして1つパッと言える実績ができるまでは実家にも帰らず人にも会わないようにしようと思って。広さだけを取って他は全て捨てたような「日当たりゼロ・騒音ひどい・立て付け悪い」みたいな部屋で朝5時とかに寝て午後に起きてひたすら絵を描いて売り込みの電話をして・・・みたいな生活を約半年間、コロナも重なってほぼ誰にも会わずに続けていましたね。
苦しかった時期ではありましたが、今では両親や友達も仕事の実績を見て認めてくれたというか、応援してくれています。

ーかなりストイックというか、ある意味自分とかなり深く向き合う時間があったんですね。
その時間を経て、立体を制作してきたSATOさんだからこその独特の奥行き感やフォルムを持った作品が生まれているのはまさに「陶芸と合わせられる時」が来ているということなのかなと思いました。

売り込みから公募を経てvision trackへ

ー以前からvision trackのことは知ってくださっていて、今回公募から所属という形になりましたが、そこへの思いというのは?

松原光さんが描いたPOPEYEの表紙を見て、松原さんを検索してvision trackに辿り着き、そこで初めてイラストレーターのエージェンシーというものがあるんだ、と知りました。
公募に応募した時は、それまで自分で活動してきて苦しい時もあった分、見せられる武器は持っているという自信もあったので、合うか合わないかだなという気持ちでしたね。
結果的に所属になれたことはすごい嬉しいです。それこそ片っ端から持ち込みや売り込みをしていた頃にvision trackにも電話していて、どうやったら入れるんですか?って聞いたこともあったので。その時は「今のところ応募とかではなく、弊社からお声かけさせてもらうことが多いですね」と、やんわり流されて(笑)
いつかvision trackから声をかけてもらえるようなイラストレーターになりたいなというのを頭の片隅にずっと持って活動してました。

POPEYEとnever young beach

never young beach

ークライアントワークの実績も重ねてらっしゃいますが、転機になったようなお仕事はありますか?

転機というと2つあって、POPEYEの表紙とnever young beach(通称ネバヤン)のアートワークの仕事です。どちらも選べないくらい、大きな反響がありました。
特にネバヤンは、18歳で大阪から上京して初めて行ったライブがネバヤンだったり元々バンドとして好きだったこともあり、とても大事な仕事です。
きっかけは本当に偶然、バンドの関係者さんとお会いできた日があり、「イラストを描いている」という話をして、数年後それを覚えていてくれて連絡をいただいてアートワーク全般を任せてもらうようになって。こんな関わり方はもうないかなと思います。
それと、実際に仕事をするようになってから友達に「大学の時ネバヤンと仕事したいって言ってたよね」と言われて。その頃はイラストを仕事にしようとも思っていない時期だったんですが、ネバヤンは以前からよくグッズなどにイラストが使われていてアートワークもしっかりしている印象があったので、デザインか何かでご一緒したいと思っていたのかなと思います。ただ、言葉を発したことは覚えてなかったのでそう言われてびっくりしましたね。

POPEYE

ー意識はせずとも、声に出すことで夢を叶えていく有言実行型なのかもしれないですね。

イラストレーターになる時にPOPEYEの表紙は絶対やりたいと公言していましたし、実際にイラストが使われていることも多かったのでチャンスはあるかなと思っていました。すごく大きな登竜門というか・・名だたるイラストレーターの方がそこをきっかけに売れっ子になっていく、みたいな目指すイメージがしやすかったのもあるかもしれません。
そういう意味では、ネバヤンはまさかイラストで仕事をするなんて想像もしていなくて、気持ちとしては夢のまた夢でしたね。
でも実際に声に出していて叶った仕事があるので、声に出すことって大事だなと実感しています。

会うことで広がるクライアントワーク

オリジナルではアナログのキャンバス作品の制作にも力を入れている(写真:本人提供)

ー普段の作業環境や機材で、こだわりなどはありますか?

基本はラフから仕上げまでiPadで完結しています。アプリはまずProcreateで、IllustratorかPhotoshopで調整という感じです。ツールにも大きなこだわりはないですね。
引っ越し前は自宅の環境が悪すぎて、ガストかコメダに昼から閉店までいるような感じでした(笑)
最近は引っ越して環境が良くなったのもありますが、外での作業は案件の秘密保持の関係で気になったり、ゴリゴリ描くタイプなので外ではもう恥ずかしいなと思ってずっと自宅で作業しています。
普段iPadでデジタルで描いている時は作業中も音楽を聴く派で、歌詞にも引っ張られないですね。ただ、キャンバス作品などアナログ(筆)で描いてる時はミスれないという緊張からか絶対聴けないので、「無」の状態になって描いています。

The Camp Book 2023

ークライアントワークで大切にしていることはありますか?

できれば対面で顔を合わせてミーティングしたいというのは強く思ってます!
自分の場合、個人の方からの案件も多いので、その時に人となりが見えないと不安というのもありますし対面で会って初めて分かることっていっぱいあると思っていて。いろいろ話す中で繋がりのある人が分かったり、相手の熱量が分かったり、そこから広がっていく実体験があって、「会って話す」ことを大事にしたいと思っています。

表現の根底にある「好きなもの」

自宅は大好きな植物やおもちゃがたくさん(写真:本人提供)

ーイラスト以外に好きなものはありますか?

インテリアや植物を育てたりも好きですが1番はおもちゃですかね。
3歳までオーストラリアにいて、両親が収集した雑貨やソフビなどのおもちゃが身近にあった影響もあるのかもしれないですが、海外のスーパーで売っているような感じのレトロな雑貨やおもちゃ、ぬいぐるみをつい買い集めてしまいます。古着屋さんだったり、意外なところでは駄菓子屋さんとか・・日々そういうものを探すのが大好きですし、自分でも作れたらいいなと思いますね。

ー作品に出てくるアイテムにどこか懐かしさやワクワク感があるのは、そういった少年心だったりご自身が好きなものが反映されているんでしょうね。

スケールアップしていつかは海外へ

ー今後チャレンジしたい仕事はありますか?

3年以内にadidasのお仕事がしたいです!
もう1つの目標として、例えばガーフィールドやセサミストリート、最近だと初音ミクなど1つのテーマでのグループ展に参加してみたいです。同じテーマに沿ってそれぞれの表現ができる、且つそれを公式でできるっていう経験をしてみたいなと思っています。

ー最後に、3年後の自分へ一言お願いします!

3年後はちょうど30歳ですね。
adidasの仕事をして、例えばMIYASHITA PARKのSAIなど大きな会場で個展をやって、大きな絵を描いていたいです。好きなものはそんなに変わらないと思うので今の自分をどんどんスケールアップしていけたら、と。
まだぼんやりとしたイメージではありますが、ゆくゆくは海外進出も目指して頑張っていきたいです。

インタビュー後記

アートディレクターやデザイナーにもファンが多いKAORU SATOさんの魅力はやはり意表を突くユニークなモチーフ同士の組み合わせ、どこか落ち着くポップなカラーリング、そして平面なイラストの中に奥行きを感じさせるところにあると思います。
彼自身が持つ遊び心も真面目さも、イラストの中では心地の良い違和感として描かれており、なかなか頭から離れない、不思議な夢の中に迷い込んだような風景がなんとも癖になります。
本人も熱量を持った方なので、KAORU SATOだからイラストをお願いしたい!という熱い思いを持った方々とどんどん仕事をしていきたいと思っています。


【KAORU SATO プロフィール】
大阪府出身。 多摩美術大学工芸学科陶専攻卒業。現在は東京を拠点に活動している。 自身の作家活動は主に音楽・ファッション・日々の出来事から得たインスピレーションを元に描いている。意外なアイテムの組み合わせやどこか不思議だけど心地よい世界観を作品で表現することを得意とし、 never young beachのアルバムジャケットやPOPEYE・音楽フェス、など幅広い広告物・出版関連アートワークを手掛けている。

<KAORU SATOに関するお問い合わせはこちらまで💁‍♀️

写真: きるけ。
インタビュー:白鳥 萌(vision track)
編集:増山 郁(vision track)


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