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【so.】曽根 興華[昼休み]

 制服を着た何かが地面に転がっていたけれど、人体じゃないだろうという予感はあった。血が飛び散っていなかったからだ。その予想は、落下した物体を確認した伊村さん委員長のおかげですぐに当たっていたことが分かった。まさかそれが人体模型だとは思わなかったけれど。
 人が死んだわけじゃないと分かって、最初に悲鳴を上げたつぐちゃんの他に叫んだりする人はいなかった。すぐに三条先生が走ってきて、みんなに教室へ戻るよう指示を飛ばしている。歩きだそうとすると、私の近くに立っていたつぐちゃんの肩を、まこちんが抱えようとして四苦八苦していた。私はつぐちゃんの開いていた肩を抱えて言った。

「まこちん、せーので持ち上げよう」

「うん」

「せーのっ」

 まこちんと力を合わせて持ち上げたつぐちゃんは、両足を引きずるような感じで動かすことが出来た。

「ふたりとも、ありがとうー」

 つぐちゃんはそう言うや、うなだれてしまう。

「あーもーつぐちゃん、せめて立って」

 思いの外苦労して、それでも廊下の中でやっと歩き出してくれたつぐちゃんと、まこちんと私はなんとか教室までたどり着いた。
 教室ではタイラーが呑気にお弁当を食べようとしていたのにぎょっとしたけれど、体育館で全校集会をすると放送があって、いま来た道を引き返すことになった。

 寒い廊下に無数の靴音。みんな黙って歩いている。私はひとり考える。今まで私は、行きたくないのに行かされた女子校で、どこか冷めた姿勢で他人と関わっているつもりでいた。もじゃもタイラーもヒロさんも、他のみんなに対しても、同じように距離を取って接していたつもりだった。私は高校からの編入という肩身の狭い立場で、いつも余所者感を持っていたから、この学校の面々とは卒業するまでの期間限定の関係だと割り切っていたつもりだったんだ。私がさっきもじゃに秘め事を暴露した以上、タイラーにもヒロさんにもすべて曝け出したらそれでジ・エンドだろう。けれど、たぶんもじゃは私を軽蔑した上で、それを受け止めてくれるような、変な予感があった。そしてもじゃなら、他のふたりには言わないだろうという勝手な自信まで持てる。だからさっきすべてを告白できたんだ。期間限定じゃない信頼関係を、私は意図せず築けていたんだ!
 もしも「私、あなたの好きな人と肉体関係にあるんだけど、恋愛関係にはないから、大丈夫」って、もじゃが相手だったなら言える気がする。「えっ、そんな男なの。じゃ、やめとくわ、きっもー」ってからから笑ってくれそうだ。
 でも、今回それをタイラーに告げたらどうなるか。きっと友好関係はすべて終わってしまうだろう。もじゃには暴露したけれど、タイラーやヒロさんに黙っているだけで、今の関係性はおそらく維持できる。だけど、それでいいのだろうか。平たく言えば、私が三条先生とヤってたって真実を、タイラーやヒロさんにも打ち明けるべきではないのか。こんな時どう振る舞うのが、友だちとして正しいんだろう。卒業するまで友だちなんていらないって2年も前に思い込んでしまったから、その間に何が正しいのか見失ってしまっていた。

「ヒロさんはさあ」

 このモヤモヤが解決できないモヤモヤで、ひとり歩いていたヒロさんに声をかけてしまった。

「真相はすべて、明らかにしたいと思う?」

 ヒロさんは少し考えたみたいで、ゆっくりと言った。

「少し考えてみてもいいかな?」

「いいよ」

 頭のいいヒロさんなら、どう答えるだろうか。私は少し楽しみになって、そのまま体育館の集会の列に加わった。凍える1月の底冷えを、体育館の床から味わっている。


 マイクを通した嗚咽の音で我に返った。校長先生がお話の最中、感極まって泣きだしたようだった。

「失礼しました」

 さめざめ泣いた校長先生は、そう言ってまた無臭のお話を再開した。


「さっきの答えだけど…」

 集会が終わって教室へ戻る途中、ヒロさんが話しかけてきた。

「私の関与できることだったら」

 関与! 関与か。長い滝行を終えたみたいに、しっくりくるような気がした。私のこのモヤモヤは、当人の関与できないことまで教えたり、教わったり、関わったりする必要があるのかっていうことだったんだ。

「さすがヒロさん。同感だよ」

 晴れやかな気分で、私はもじゃ以外の誰にも、秘密を打ち明けないと心に決めた。真相を知らないから見えるだけの狭い世界のほうが、かえって素敵に思えることだってあるはずなんだ。
 前の方で田口さんたちがもめている。私の関与できない出来事は、なおも進行している。

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