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【so.】伊村 正乃[昼休み]

 いつまでも尻餅をついたままでは情けない。僕はすぐに立ち上がると落下した人体模型に近づいた。何人か近づいてくるかと思ったけれど僕以外には誰も動くものはない。

「人じゃない!」

 制服を着て上半身だけになった人体模型を観察しながら、僕は周囲に聞かせるように大きな声で言ってやった。それでやっと近づいてきたのはただひとり、委員長

「みんな安心して、これは人体模型です」

 その言葉に安心したのか和泉美兼が近づいてきて、散らばっている部位を蹴って言った。

「ホントだ。気持ちわりー」

 屋上から地面のコンクリートに叩きつけられたのが人体なら、ひしゃげて思いの外飛び散らないのではと思うが、全身プラスチックの人体模型は随所が割れて砕けてかなり遠くまで飛び散っていた。僕はスマートフォンを取り出しカメラモードを起動させると、落ちた部位のひとつひとつや落下の衝撃で負ったダメージの部分を探しては写真に収め続ける。3メートルほど離れたあたりでは、デジタルカメラを手にした岡崎正恵がこの空間の写真を撮り続けている。

「こんな簡単に人が死ぬわけないじゃない」

 すぐ傍に立っていた委員長がポツリと呟いた。はははは、思わず笑いがこぼれてしまう。

「委員長、意外と命って脆いもんだよ。猫とかね」

 僕は立ち上がりながらそう言うと、教室へと歩き出した。猫を殺しても満足出来なかった満足を見つけたような気分だった。

「おいっ! 教室に戻れ!」

 走ってきた三条先生の怒鳴り声を背に受けながら、僕は廊下を進む。前方5メートルほどを歩いていた細田直己が女子トイレへと消えた。更に前方を歩いているのは、埋田寿惠栗原信子。今まで接点を見出したことのない組み合わせだなと思った。双方の共通項を考えると、山浦環の友人だという以外の情報は持ち得ていない。山浦環と栗原信子というのも意外な組み合わせだが、どうやら幼馴染だということをいつか誰かの会話から盗み聞いた。

 教室へ戻り自席に座り、戻ってくる面々を観察していたが、山浦環だけが戻ってこなかった。彼女の名前は3時間目のトーナメント表にあっただろうか。2時間目の生物の時間では栗原信子を手伝って実験の準備をしていた気がする。4時間目は選択授業が違うため分からない。何の裏付けもないが3~4時間目に山浦環の姿が見えなかったのであれば、2時間目の後にでも人体模型を入手することは可能ではないのか。すると栗原信子の手助けも得やすい。そこまで考えたものの、動機に関しては皆目見当がつかなかった。

「臨時の全校集会を行います。生徒の皆さん、教師の皆さんは至急、体育館へ集合してください」

 また移動か。学校としては昼食時間よりも優先する緊急事態だという認識でいるのだな。


 馬鹿に冷える体育館の床の上に一列で座らせることは軽度な虐待でないのか。出席番号4番の僕は、前に座る井上真の頭の左側で、壇上からお得意の平坦な説教を開始した校長先生を見上げている。

「わたくしは、二学期の終業式でお話ししたことについて思わずにはいられません」

 郷義弓の自殺を受けての朝礼の説教のことか。「命のありがたみを知る」といったテーマで長々と語っていたがキレイキレイな絵空事だった。

「かの件はご家庭の事情に因ると三条先生からは報告を受けておりますが、本校の生徒が尊い命を絶つという選択をされました」

 原因不明なため外部事情に解決を求めた「家庭の事情」ではなく、自殺の原因が4時間目に僕の考えた可能性Bであるとしよう。自殺した郷義弓の第一発見者とされる大和栞蔓が先生を呼びに行っている間、犯人Aは死体のポケットにヘアピンを戻したと考えることはできないだろうか。大和栞蔓が先生を連れて教室へ戻ってきた後で、犯人Aは何食わぬ顔で教室へ登場すれば良いだけの話だが、大和栞蔓が本当に第一発見者であるなら腰を抜かして誰かがやってくるまで動けないであろうことは想像に難くない。
 つまりこうだ。大和栞蔓と一緒に登校して死体を発見した犯人Aは、大和栞蔓に「発見をすべて手柄にして良い」と持ちかけ、先生を呼びに行かせる間にヘアピンを死体のポケットに戻し、先生がやってきた後に教室に「初めて入った」ことにした。
 だとすると、今日耳にした田口吉美の犯人説を流した人物、裏サイトにて年末の事件に対し目くらましを続けるXとも同一人物ではないのか。その目的は年末の事件についての詮索をかわすことだから、年末の事件の犯人Aに収斂するのではないか。そして犯人Aの犯行は、ヘアピンを戻したことの前に、ヘアピンを盗んでいるんだ。それはおそらく終業式の前日、4時間目の体育。犯人Aのヘアピン窃盗が翌日の自殺に繋がって、後はすべてそのスピンだ。だがしかし、人体模型の自殺はどうなる…。


 考え込んでいるとすっかり集会は終わっていた。

「一回教室に戻るようにって、三条先生からの伝言です」

 委員長がクラス全員に言い回っていて、くたびれきった様子で皆が廊下を歩いている。新藤五月の軽口から沈黙が破られ、クラスメートたちは思い思いに会話を始めた。その中で、福岡則子が人体模型事件について、山浦環の犯人説を唱え始めた。山浦環は犯人Aではないだろう。やはり犯人Aと人体模型は、分けて考えるほうが筋が通る。話に耳を傾ければ山浦環は4時間目も不在だったようだし、人体模型事件については動機以外解明できたと思った。

「ホントに死ねば良かったのにねー」

 田口吉美の口が悪いのはいつものことだが、突然放たれた悪趣味な一言が、思いもよらぬ波乱を起こした。

「アンタが死ねば良かったよ」

 その場へ駆け寄ってきた埋田寿惠が、田口吉美の左頬を強かに打った。Uターンして立ち去る埋田寿惠を、頬を抑えたままの田口吉美は追うことが出来ない。

「それはないわ。見損なったわ」

 福岡則子がそう言って、津田満瑠香と大和栞蔓を引き連れて去っていった。Aグループが割れた瞬間だ。そして佇む田口吉美に、細田直己が近づいて背中を擦り始めた。僕は細田直己の口元からこぼれていた笑みを、見逃したりしなかった。


 教室へ戻って裏サイトを開くと、新しい書き込みがされていた。

「田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」

 おいおい、なんて分かりやすい奴なんだ。その浅薄で衝動的な行為に、憐憫の情すら湧いてくる。でも、もうすぐゲームセットだぜ。僕は犯人Aへの書き込みをポストした。

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