【so.】青江 つぐみ[昼休み]
どきどきが収まらない。誰も動かない。渡り廊下に散らばった制服を着た人体もまた、ぴくりとも動かない。もうお昼だというのに1月の冷たい風は足元を突き抜けていく。永遠みたいな静けさの中を最初に動き出したのは、尻餅をついていた伊村さんだった。
「人じゃない!」
落ちたモノに近づいていった伊村さんはそう叫んだ。わたしは意味がわからなくって、きっと他のみんなもそう思ったらしくって、まだ動き出す人はいない。そう思っていたらすぐに視界に委員長が入ってきて、伊村さんの側へと近づいていった。屈んでその様子を確認して、振り向いた委員長は大きな声で言った。
「みんな安心して、これは人体模型です」
なんだ、人体模型が落ちたのか。人じゃなくって良かったなって思ったけれど、生物準備室からいつも顔を覗かせていた人体模型は素っ裸だったから、制服を着ているわけがないんだ。おかしいな。
委員長の声で、和泉ちゃんたちが人体模型に近づいていって確認をしている。もげた腕の関節のところに銀色の金具みたいなのが見えていたりして、確かに人じゃないことは分かった。だけど人体模型が真昼に制服を着て自殺するだろうか。わたしはバカだけどさすがにそれは夜中にオバケの仕業でしか起こらないってことくらいは分かる。誰かがわざと人体模型に制服を着せて落っことしたんだ。
「おいっ! 教室に戻れ!」
三条先生が走ってきて、大声でみんなに言った。いつにない真剣な顔に、はやく教室へ戻らなきゃと思って足を動かそうとしたんだけれど、どうしてか体が動かない。腰から下がぜんぶ地面に埋められているみたいな感じで、全く動かすことができなくなっていた。
「つぐちゃん、歩ける?」
まこちんが、わたしの顔を覗き込むようにして尋ねてきた。わたしはどういう表情をしたらいいのか分からず、変な笑顔を作って言った。
「まこちん、あのね、足が動かないんだ…」
わたしの左腕をつかんだまこちんは、自分の肩へとわたしの左腕を回した。肩を貸してくれるみたいで、優しいなあと思った。けれど持ち上げようとしてくれているのに、わたしの足はびくともしない。
「あれ、おかしいな」
まこちんとふたりでまごまごしていたら、突然わたしの右腕を、そねちゃんが自分の肩へと回した。
「まこちん、せーので持ち上げよう」
「うん」
「せーのっ」
そねちゃんとまこちんがわたしの両腕から上半身を持ち上げてくれて、両足を引きずられるような格好で動き出した。
「ふたりとも、ありがとうー」
わたしはお礼を言ったけれど、足がまだ動かせないから俯いてしまった。
「あーもーつぐちゃん、せめて立って」
そねちゃんが何度か持ち上げたり下ろしたりをしてくれているうちに、やっと足を動かせるようになって、わたしはふたりに両腕を預けたまま、なんとか教室まで歩いて帰れた。
教室にはもうほとんどの人が戻っていて、お昼ごはんをどうするのか、新藤さんが委員長に尋ねていた。たしかにお腹が減ったけれど、だれもお昼を食べようとしていない。そんな中で今度は体育館へ移動するように放送が入って、わたしたちはまた寒い廊下をとぼとぼと歩いていった。
出席番号順に並んで座る…これほど嫌なことはないなあといつもいつも、小学校に入ったときからずっと思っている。私の名字は「あ」で始まって次に「お」が来るから、出席番号はだいたい1番になってしまうんだ。小5の時に相江さんという女の子がクラスにいて、その時だけわたしの出席番号は2番だった。すごく嬉しかったんだけど、彼女は2学期で転校してしまって、それ以来またわたしは出席番号順で真ん前だ。
後ろのみんなの様子も分からないまま、壇上でお話を続ける校長先生。いつ聞いていても眠くなるけれど最前列でうつらうつらするわけにもいかないから、わたしはまた眠らせておいた考え…ハナスのことを考えることにした。けれどバシーンと決断することができない。やまちーは色々心配してくれたけど、スカウトなんてやっぱりちょっとどきどきするし、素敵なことのように思える。
「苦しいときは、ご両親のお顔を思い浮かべてください」
校長先生のお話でそんな一言が耳に入ってきたから、パパとママの顔を思い浮かべてみた。朝ごはんの時に会ったばかりで、いつもどおりの顔をしていた。
「朋友や先生方の顔を思い浮かべてください」
ホウユーってなんだろう。CMでそんな会社があった気がする。
「皆さんはひとりではありません」
お話もまとめに入ってきた感じがする。もうすぐ終わるかな。早く終わって、お昼を食べたい。食べたいなあ。
教室へ戻る途中に田口さんたちの小競り合いがあって、教室に戻ったら後ろの席から神保さんが泣きそうな声で尋ねてきた。
「でもさ、たまきちゃんが犯人って決まったわけじゃないよね?」
わたしに聞かれたってそんなこと分からないよ。分からないんだけど、今にも泣き出しそうな神保さんの瞳を見ていたら、気がついたら私のほうが泣いていた。
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