【so.】神保 昌世[昼休み]
凍りついた時間を動かせたのは、真っ先に中庭へ墜落した何かへ近づいていった伊村さんだった。
「人じゃない!」
その叫びで、委員長も伊村さんの側へ近づいていって確認すると、みんなに言い聞かせるように大きな声で言った。
「みんな安心して、これは人体模型です」
みんなの安堵のため息が聞こえるような気がしたけれど、私は胸がどきどきして動くことが出来ない。無意識に、それまで並んで歩いていたカネッチの手を掴んで握りしめていた私は、歩き出そうとしてそのことに気がついた彼女と目を見合わせた。
「ちょっと見てくる」
カネッチは優しく私の強張った右手の指を1本1本解き放して去っていった。固まってしまったままの右手は、すぐに誰かに握りしめられた。
「部長、大丈夫?」
ノリカが駆け寄ってきて私の右手を握っていた。
「え、あ、うん。ちょっとびっくりしたね」
心配かけちゃいけない。私は無理矢理に微笑んでみせた。ノリカはなおも心配そうに私の顔を見上げていた。
「おいっ! 教室に戻れ!」
三条先生が中庭へ走ってきて、全員教室まで帰らされることになって、私はノリカと手を握ったまま歩き出した。
「ノリカこそ、大丈夫?」
「えっ?」
ノリカも無意識だったのか、握りしめた私の右手を見て、慌てて声を上げた。
「あっ、ごめんね!」
ノリカは自分の手を慌てて振りほどこうとしたけれど、私はその左手を離すことができなかった。
「結構怖かったみたい、私。ありがとう。教室まで握っててもいい?」
ノリカは小さく頷いた。連結された私の右手とノリカの左手。中庭から校舎へ入っても、気温は低い。だから握った手は暖かい。
「誰があんなことしたんだろうね」
「え?」
ノリカはぼんやりしている。やっぱり誰もが、年末のショックを引きずっていたところに、自殺を装ったようなことが起こったんだもの、そうなるのにも無理はない。私はそれ以上何も言わずに、少しわざとらしく、まるでカップルがやるみたいに、握った手を前に後ろに振ってみた。けれどノリカはされるがままで、まっすぐ前を向いて少し俯いていた。
「ああ怖かった。やっとドキドキが収まってきたよ」
そして教室の前で私は手を離して、自分の席へと戻った。ノリカのお陰で、だいぶ怖い気持ちが消えてくれた。こういう時、友だちは頼りになる。私も頼りにされるようにならなくっちゃと思う。
教室でホームルームをするのかと思ったら、体育館へ移動して全校集会をするって放送が入って、みんなでまた廊下を歩いていった。お昼ごはんはどうなるんだろう、教室でさっちんが委員長を問い詰めていたけれど、今になって私も少しお腹が空いてきた。
体育館に整列して床へ座って、校長先生のお話が始まった。床が冷たいなと思わないではなかったけれど、背筋を伸ばして校長先生のお話を聞いていた。
「ご存じない方のためにご説明いたしますと、本校の制服を着せられた人体模型が、屋上より落とされるという出来事がありました」
それを聞いて、やっぱり誰かが意図的に、人体模型に制服を着させて、自殺と見せかけて落としたんだなと再認識した。
「幸いにも怪我人などはおられなかったようですが、この出来事は、まだ調査中とのことですが、先生方の見立てによりますと、本校の生徒の起こした出来事であるらしいということです」
そこまでは思い至らなかった。誰か、生徒の起こした事件だったってことなのか。
「その報告をうかがいまして、わたくしは斬鬼の念に堪えません」
誰が、誰があんな酷いことを…。自然に年末のサトミちゃんの事件のことも思い出されてきて、私は思考に沈殿していった。
「山浦でしょ? 犯人」
全校集会が終わって、みんなで廊下を歩いていたら、のりんがマルちゃんに言った。
「マジで?」
「いないじゃん、アイツ」
嘘。たまきちゃんがそんなことするはずがない。
「ホントに死ねば良かったのにねー」
側にいたヨシミちゃんがそう言って心がぐさっと刺されたような痛みを覚えた。
「アンタが死ねば良かったよ」
いきなりサエちゃんの叫び声がして、ヨシミちゃんを叩いて行ってしまった。頬を抑えて固まったヨシミちゃんに、のりんが追い打ちのように言った。
「それはないわ。見損なったわ」
のりんやマルちゃんややまち、それに続いてみんなも教室へと歩き出していったけれど、俯いて立ち尽くしたままのヨシミちゃんと、その背中を擦って慰めているナオミちゃんの2人を置いて行くことはできなかった。
「教室、もどろ?」
声をかけてみても、ヨシミちゃんは動かない。ナオミちゃんは苦笑いを浮かべながら、ヨシミちゃんの背中を擦り続けている。それから少しの間、ヨシミちゃんが歩き出すまで私たちはその場に付き添って立っていた。
教室へ戻っても、まだホームルームは始まっていなかった。私は自分の席に座って、たまきちゃんが犯人扱いされていることを思って、嫌な気分になった。たまきちゃんの席を見ても、彼女はそこに座っていない。たしかに4時間目の美術の時間、たまきちゃんの姿は見えなかった。体育の時間だって、いたかどうか定かではない。
「でもさ、たまきちゃんが犯人って決まったわけじゃないよね?」
思わず、前の席のつぐちゃんに声をかけていた。振り向いたつぐちゃんは無言だったけれど、その瞳からはぽろぽろと涙が溢れ出した。
「だ、だいじょうぶ? これ使って」
私は慌てて制服のポケットに手を入れて、ハンカチを取り出して手渡した。その時の、なんとも言えない違和感は何だったのだろう。
「ありがとぉー」
泣いている人を見ると、冷静になれることってあるのかもしれない。子犬のようなつぐちゃんを見つめながら、私が怯んではいけない、しっかりしなくちゃいけないと思った。
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