【so.】郷 義弓[始業前]
眠い。
まだ誰も来ていない教室の一番後ろ、自分の席に座りながら、シンプルにそう思った。本当に眠い時の、色の付いていそうな息を吐きながらあくびをした。涙まで出てくるくらいの大きなあくびだ。
窓の外の方へ目を向けて眺めてみる。名前の知らない広葉樹の枯れた枝が風に揺れている。その上にセキレイが止まっていて、尾を上下に揺らしている。あの動きはどれだけ眺めていても飽きない。一度手に乗せてじっくり観察してみたいと思うんだけれど、人には慣れないだろうから無理なんだろうな。
「おはよう」
教室に入ってきていた井上さんが、私の席までやって来てくれた。
「ああ、おはよう」
私は井上さんを見上げてぼんやりとした返事をした。井上さんは立ったまま話し始めた。
「朝、早いんだね」
「そうかな…そうか」
あまり早いと思ったことはなかったけれど、早いと言われれば早いのか。考え込んでいると井上さんは私の前の、五月ちゃんの席を指差した。
「座ってもいいかな?」
「朝練だろうから、来ないと思うよ」
ソフトボール部の朝練で張り切る五月ちゃんとキミちゃんのコンビを思い浮かべた。今日も寒い中頑張っているんだろうな。井上さんは少し考えて、結局座らずに立ったままだった。私は目をつむって言った。
「なんかさあ…眠くって」
大きな大きなあくびが出てしまった。
「寝れてないの?」
「寝てるんだか寝てないんだかよく分かんなくって」
「ふうん」
夢遊病みたいに、自分でも知らないまんま学校に来て、席について眠気と戦っていたんだろうか。教室の時計を見れば、まだホームルームまでは時間がありそうだ。
「おっはよう!」
バドミントン部の橋本さんが、駆けながら教室に入ってきた。
「おはよう。今日は朝練ないんだ?」
そう言って井上さんは橋本さんの方へ行ってしまったから、丁度いい。少し寝かせてもらおうっと。私は机の上に腕を組み、その上へ頭を沈めた。
「そういう弓道部も?」
ふたりの会話はしばらく聞こえていたけれど、そのうち意識に上がらなくなった。
「このマフラー! すっごく綺麗!」
たまきちゃんが渡してきた雑誌はミラノ・コレクション特集で、どこかのブランドの紹介ページが開かれていた。オレンジのワンピースを着たモデルの首元に、白と黒でストライプになったマフラーが巻いてある。
「セキレイみたいだね」
「冷凍食品?」
「それはニチレイ。ほら、尻尾の長い」
「小鳥かあ」
サエさんとたまきちゃんと私でそんな会話をした時も、セキレイが出てきた。あれが秋冬コレクションだったんだから、もう何ヶ月前だろう。
「はい」
誰かの返事で気がついて、ゆっくり頭をあげるとホームルームが始まっていた。ジンさんが返事をしたところだったみたいで、そのまま出欠は続いていく。私の名前は呼ばれたんだろうか。返事をしてないけれど、誰か「郷さん寝てます」くらい言ってくれただろうか。まあ教卓からだと一番後ろの席で何してるかだって分かるから、三条先生もそれくらい分かってくれるだろう。出欠は続いていく。窓の方へ目を向けると、もう枝の上にセキレイはいなかった。
「山浦はこの後、地理準備室に来るように」
出欠が終わって先生がそう言った。わたしはたまきちゃんの方へ視線を向けると、彼女は何も返事をせずに座っていた。
「山浦の後、大和もな」
「はい」
面談かあ。私は何を答えたんだったっけ? 頭がぼんやりしているからすんなりと思い出すことが出来ない。進路の事だったかなあ。高校卒業したら、イギリスに演劇留学したいなんて言ったら、頭ごなしに否定されるだろうか。お母さんには相談してみたけれど、単身赴任のお父さんにはまだ言えてない。今度帰ってくるときには言わなきゃなあって思うんだけど、そんな夢みたいな話を聞いてくれるだろうか。このことを考えだすと、いつも悶々と考え込んでしまう。はあ、気が重い。
「ふあああああ」
思わず声が出てしまう程のあくび。この異常な眠気にも、困ったな。
次の時間
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