【so.】橋本 忠代[始業前]
1月の寒さを吹き飛ばすように小走りを続けていたから息が弾んでしまう。ちょっとでも早く教室に着いてもう少し考えてみれば分かりそうな気がする。解いていた数学の問題集の問題のひとつがあまりに分からないから、先週末についに堀川さんに助けを求めてしまったのだ。日曜と月曜と、家でも、部活の行き来の時にも最初から挑んでみたけれど解らなかった。巻末に答えは載っているけれど解法は書いていないから、どうやってその数字にたどり着くのかが知りたいのだ。
きっと堀川さんは解いてくるだろう。それを聞いて、すっと胸のつかえは取れる。けれど同時に幾許かの悔しさも覚えることになる。それを避けたいから、あともう少し考えてみて、解けたら余裕しゃくしゃくで堀川さんと会話ができるような気がするのだ。
「おっはよう!」
廊下から教室に入りながら、奥の方に立っていたまこちんに声をかけた。早めに来たつもりだったけれど、先客がいたんだ。残念だけど、問題に挑むチャンスは潰えたなと嘆息した。
「おはよう。今日は朝練ないんだ?」
まこちんは振り向いて近づいてきた。まこちんの席は一番前なのに、何をしていたのかなと不思議に思った。
「そういう弓道部も?」
「うん。うちらはあんまりやんないよ」
私は自分の席に座り、かばんの中身を机の中に入れながら聞いた。
「何してたの? 今日は早いんだね」
まこちんも同じように机の中へ教科書を入れながら答える。
「早起きしちゃったんだよね。だから来ちゃった」
「今日寒いよねー」
「この冬一番の冷え込みだってラジオで言ってたよ」
「そっかー。もっと分厚いマフラーしてくれば良かった」
その時まこちんがふっと後ろを振り向いた。私もちらりと後ろを振り向いて、一番後ろの席の机に置いてある菊の花を見た。それからまこちんに向き直って言った。
「分かるよ」
「えっ」
あれから3週間は経つんだろうか。未だに頭にこびり付いて離れない終業式の記憶。天井からロープでぶら下がっていたあの子の顔が忘れられない。
「おはよー」
細田さんが入ってきて、そのあと何人も入ってきた。吹奏楽部の3人も入ってきたけれど、そこに堀川さんの姿はなかった。
「おはよう」
「あれ? 吹奏楽部じゃなかったの?」
堀川さんが意外なメンバーとやって来たのが不思議だったから聞いてみた。
「今日はねぇ、行く所があったからお休みしたのよ」
ああ、病院かな。たまにそんな日があるって事を前に教えられた気がする。堀川さんは、同じ吹奏楽部の橘さんと少し言葉を交わしてから、また私の所へやって来た。
「先週見せてくれた問題集の答え、分かったよ」
「すごい、堀川さんなら分かると思ってた。どうやって解いた?」
「解法を書いたノートをコピーしたからあげるよ。もうすぐホームルーム始まるし」
「ありがとう。嬉しい」
チャイムが鳴って、堀川さんは自分の席に戻っていった。そして三条先生が入ってきて、ホームルームが始まった。
「起立!」
「礼!」
席へ座って堀川さんのくれたコピーに目を落とした。綺麗な字で解法が丁寧に書き込まれていて、ただただ感心してしまった。そうか、ここでこういう計算をするのか…。たとえあと1時間考えても私には思いつかなかっただろう。悔しいというより、やっぱり委員長をしている人は違うなとつくづく思った。
次の時間
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