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またいつかの再会を約し、僕は電話を置いた

昼いちばん、携帯電話が震えた。

しばらくその振動を聞き流していたが、途中で訝しくなってくる。
いつもは短く1回震えるだけなのに、全然止まない。
そしてようやく、それが電話の着信であることに気づく。

僕は基本的に電話を取らない。
容赦なく自分の時間に他者が分け入ってくることが気持ち悪いからだ。
会社から貸与されていた携帯も一切取らない不良社員だった。

父からの緊急電話かもしれないと思い、いちおう画面を確認する。
しかし、そこに表示されていたのは見知らぬ番号。
せめて登録されている人からなら取るかどうか迷ってもみるのに、と携帯を置こうとした。

しかし、なぜだか携帯を置くことができない。
まるで呪縛のように、しばらく振動を手に感じ続けた。
そして、え?取るつもり?と自分に訊くより前に、電話を取った。

――もしもし
「こんにちは、○○保険の△△です」

あぁ! 前職で僕が窓口になっていた保険会社の営業だ。
当時僕は広報の責任者として、会社がスポンサーを務めるプロスポーツチームを担当していたが、その保険会社も同じスポンサーに名を連ね、そんなよしみでその女性と交流があった。

しかし、保険の営業としてはどうだっただろう。
彼女は気も弱ければ押しも弱く、要領を得ない話も多かった。
そんなふうだから、僕の部下たちはその女性が来社するとありえない塩対応を見せたし、そのうち同席もしなくなってその女性を僕に任せた。

――お久しぶりです
「あぁよかった、覚えててくれたんですね」

ありったけの嬉しそうな声が聞こえた。
彼女はまだ僕がその職に就いていると思い、今から伺って会えますか?と電話をかけてきたのだ。
僕の最後の出社日からもう1年も経つのに、その間連絡がなかったことからしてもまぁ営業としてはどうかなというところでもある。

用件は仕事の話ではなく、節税セミナーの案内だった。
以前、僕向けに営業をするときのために個人の携帯番号を教えてほしいと請われ、どうせ出ないしいいかとカニに釣られて教えていた番号に今まさにかけてきたのだった。
そしてその出ないはずの電話に、僕はなぜか出た。

僕は、職を辞して今は家でゆっくりしているとカタコトに答えた。
なにせまだ口の状態は完全ではないから、なるべくなら喋りたくない。
彼女は嬉しそうにいっぱい話をし、そして僕はいっぱい聞いた。

それにしてもなぜ電話を取る気になったのだろう。
見知らぬ番号からなうえ、今こんな口で喋るのが大変だというのに。
でも、どうしても取らなくてはいけない気がしたのだ。
第六感といえば大袈裟だろうか。

でも結果として、その第六感に判断を任せてよかった。
気がかりだった彼女が元気にしていたと分かったから。

またいつかの再会を約し、僕は電話を置いた。

(2023/5/17記)

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