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次のトイレこそは社員証を握りしめて

会社の入口はご丁寧にもオートロックの扉が二段構え。
社員証がタッチ式のカードキーになっているから、これをピッとかざせば開錠されるが、そんな儀式を二度行わなければ入れない厳重な仕組みだ。

この社員証、ネックストラップつきケースに入っているが、肩が極度に凝りやすい体質のため、たったこれだけの軽いものすら首から提げられない。
行き場を失った社員証は机の上に置かれることになる。

さて会社のトイレはこの二重扉の外にある。
他の設備、たとえばコーヒーや味噌汁が自由に飲めるコーナーや爽健美茶が飲み放題の冷蔵庫など、休憩時に使う設備はすべて二重扉の内側にある。
ビルの構造上やむを得ないのだろうが、トイレだけが外なのだ。
さぁ話の展開がだんだん見えてきた。

お茶を飲む、コーヒーを淹れる、たまにトイレに行く――
予想どおり、トイレにだけ必要な社員証を持ってくるのを忘れるのだ。
トイレから戻って入ろうとすると、ない。
入れない。

外来客用のインターホンを押せば総務の人が鍵を開けに来てくれる。
しかしその総務というのは自分の席のすぐ後ろに座っている人たちだし、何やってんねん、社員証は首から提げる決まりやろ、て言われるのが目に見えているから、気軽にピンポン押す気にはまったくなれない。
結果、誰かが出てくるのをひっそり待つしかない。
仕事に戻れるか否かは、誰かの尿意に左右されるのだ。

あ! 開いた!

すぐ前で待っていれば、そこですんなり入れてこの話は終わる。
だが、そんなところで待っていては社員証がないことがバレバレだ。
いかにも「トイレから戻ってきたら偶然誰かが出てきたので入った」と自然なふうを装わなければならない。
だからトイレと扉の間くらいで待機しておくのだが、この扉が閉まるのが異常に速い。
誰かが出てきたと思ったらもう閉まっている、というくらいに速い。

あ、閉まった…

と言ってしまうと、今出てきた人にもろもろがバレるから言えない。
トイレに忘れ物をしてきたふりをして、

あ、しまった…

と言うのだ。
発音は同じでも表情が違うから、きっとバレない。
そして所定の場所に引き返し、また次の誰かが出てくるのを待つ。
獲物が落ちてくるのをひたすら待つアリジゴクのように。

扉付近で物音がしたタイミングで近寄ってみたら違ってたりして、こちらもだんだん焦りが出てくる。
だいたい5人くらいの獲物を逃したあとで、最後はうまくタイミングが合って入れるのだが、小走りで滑り込んでギリギリセーフ!みたいな入り方。
トイレから走って戻ってくる人が自然とは到底思えないが。

そうやって関門を突破したすぐその先に、二重扉のもう1枚がある。
そこでの戦いはもう書くまい。

かくして職場に復帰できるのだが、自席に戻った頃にはひと仕事終えた気分でもうヘトヘトだ。
お茶でも飲もう、コーヒーでも淹れよう、そうだ、そろそろトイレ――
また閉め出される。

扉付近に防犯カメラがあるのを先日発見した。
常時誰かが映像を見ていることはないと信じたいが、有事の際には録画を見直すはずだ。
トイレから突進してドアノブに手をかける寸前で閉まり、あ!しまった!忘れ物!みたいな顔をしてトイレに戻ること5回、を一日に数度繰り返す一部始終が白日の下に晒されたらと思うと、次のトイレこそは社員証を握りしめて行こうと固く誓うのだった。

(2021/3/31記)

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