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人をいじめたくなる気持ち

この記事はいじめに関する個人的な見解を記しています。

小学校教師の、同僚に対するいじめが問題になった。
しかし、子どもに教える立場の教師が何てことを、という論調しか聞こえてこないのが気にかかる。

中学の一時期、いじめられた経験がある。
授業の合間のたった10分の休み時間に、前の黒板いっぱいに自分の悪口を書きたてられたり、部活を終えてロッカーに戻ると、カギを壊され制服が近くの便器に突っ込まれているなどは毎日のようにあった。

しかし、きっとやめたいと思いながらやめられへんのやろなと、むしろいじめる側に同情すらできたのは、その数年前の小学の一時期、別の同級生をいじめたことがあるからだ。
やめるきっかけをつかめなかった弱い自分は、相手の親からやめてくれないかと直接言われた時には救われた思いですぐやめた。
人をいじめておいて救われたとは何ごとかと思うが、その時は相手のことを思う余裕などなく、まるで自分が被害者だと言わんばかりに苦悩していた。
もちろん本当に救われたのは同級生というのは今では十分に分かっている。

いじめた相手には悪いことをしたと本当に思う。
そこから学んだことは数知れない。
人より優位に立ちたい心理、いじめる時のちょっとした快感、しかしいじめでしか表現できない自分がいちばん弱いだろうこと、そしていつやめたらいいのか分からなくなってくる不安。
そうしたいじめの根本のようなものを自ら体感していたから、自分がいじめられる側になっても、相手を理解することができたのだろうと思う。

いじめを肯定しているわけではない。
人をいじめたくなる気持ちは、教師だろうが子どもだろうが、人間なら誰にだってあっておかしくないと認めることから始めなければ、いじめという行動がなくなるはずはないと思うのだ。
教師が人をいじめるなんてとんでもない、という責めは何も生まない。

(2019/11/14記)

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