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「神戸大学附属」には特別な思いがある

入院6日目の朝を迎えた。

夜間の発熱も術後初めて37.0℃までしか上がらず、解熱剤の投与もなく平穏な夜だった。
平熱が35℃台前半なため、37.0℃でも十分にしんどいのだが、38℃を超さなくなったのは軽快の徴とみなしてよいのだろう。
このまま、うんと楽になってほしい。

病院から借りているタオルにこんな文字。

古めかしいフォントが、任せてくれたら大丈夫と言っているように見える。

「神戸大学附属」には特別な思いがある。
僕は幼稚園から中学校までの12年間を、神戸大学附属で過ごした。
医学部附属ではなく、教育学部附属だ。

地元では神戸大学は神大と略称するので、神大附属と呼んでいた。
そういえば神奈川大学も神大というらしいので、「神大」が神戸大学のことを指すのは西の方だけなのかもしれない。
ただし、神奈川大学は「じんだい」、神戸大学は「しんだい」だ。

神大附属には今は高校もあるが、僕が通っていた頃は中学までだった。
保護者からは高校設置の要望が常に出ていたが、当時の国の回答は国立の総合大学で前例がないというものだったように記憶している。
とにかく高校の設置は許可されず、それを嫌って小学校を卒業すると灘中や甲陽中などに流出する生徒が一定程度いた。

僕も小6の担任から灘中の受験を勧められたが、恋多き僕に女子のいない学校など到底考えられなかったため、そのまま附属中への進学を決めた。
結果として、附属最後の3年間、僕は恋を満喫した。
もちろん順風満帆ではなく痛い思いもたくさんしたけれど。

もう一つ、附属中に進学した理由に、私立の金儲けには加担したくないという強い思いがあった。
過剰なサービスを提供しない公立の仕事というのが、こと教育には必要だと考えていたからだ。
崇高な理想と高い給与に裏打ちされた私立の教師が能力を発揮する可能性など小学生の僕はまだ知らず、安住の椅子にふんぞり返って札束を勘定する理事長なり学園長なりのイメージしかなかったのだ。
したがって大学を出るまで私立の世話にはならないと決めていた。
その選択の是非はともかくとして、親孝行にはなっただろう。

教育のみならず、医療も同様に考えていた。
不要な検査をじゃんじゃん入れて、患者を金のなる木としか考えていない私立病院はいまだに多い。
そう思えばこそ、医療も公立がいいと。
その意味では、今回いろんな病院を回されながら最終的に神大附属病院になってよかった。
大学病院には『白い巨塔』的問題もあるのだろうけど。

今日はここまで書いてもしんどくならなかった。
確実に回復しているようだ。

(2023/4/2記)

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