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それ、うっかり訊き忘れたな

昨日、実家に出向いて片づけをした。
かなり膨大だ。

4年前母が亡くなり、今年父が亡くなって、実家は今空き家だ。
単なるマンションだし引き継ぐつもりはないから、売却することになる。
その前に思い出の品が潜んでないか、ちょっと家宅捜索を…

ふと1枚の写真に作業の手が止まる。
母だ。

母の実家の門前だ。
留袖ということは結婚後、きっと兄が産まれる前に撮ったものだろう。
ということは昭和40年あたり、母24歳か?

その写真の隣にミニアルバムがあった。
もしやと思って開いてみると案の定、若い頃の母が何枚も収まっていた。

家業の時計屋店内で撮られた写真だ。
後ろで微笑むのは母の母、僕の祖母だ。
戦争で夫(僕の祖父)を失い、女手一つで男4人・女1人を育て上げ、この時計屋もみごとに切り盛りした肝っ玉ばあちゃんだ。
昭和38年頃、母22歳と思われる。
ちなみに僕の中学入学祝いの腕時計もこの店で選んでもらった。

その時計屋の店先で甥っ子(僕のいとこ)と写る母。

写真の裏書きには「昭和37年」とあり、母21歳。
曲面を描くタイル壁の意匠が美しい。

同じ昭和37年の1枚。

母が住んでいたのは広大な屋敷だったが、1部屋だけ増築された洋間があり、母はそこを個室として使っていたようだ。
後年江戸川乱歩にはまった僕は、この洋間は確実に過去に殺人事件が起きたはずと近寄らなかったが、こんなかわいく使っていたとは。
壁に掛かる肖像はおそらく母が生涯愛してやまなかったヘップバーンだ。

昭和37年といえば母が短大を卒業した年。
母は4年制大学に通って代議士になることを夢見ていたが、一人娘をよそにやりたくない母親の猛反対で、やむなく神戸の短大に通ったそうだ。
そこで人生が狂ったと後世の僕は何度も聞かされることになる。
母は今でいうキャリア設計をしていたのだ。

こちらは裏書きに「昭和33年、高2」とある写真。

母にもこんなキラッキラの女子高生時代があったのだ。
ちなみにアルバムにある写真はほぼ左からのショット。
きっと左顔がお気に入りだったのだろう。

次の写真は裏書きに「小4」とあるから、昭和26年ということになる。

火鉢を囲んで兄弟(僕のおじさん)と。
母は和装、おじさんたちは学ランを着ていることから、おそらく正月だ。
シベリアに抑留された父親の復員をみんなで待っていた頃だろう。
でも父親は帰らなかった。

アルバムの冒頭はこちらの1枚から始まっていた。

裏書きに「幼」とあるから、おそらく昭和19年、戦争中だ。
ちょっと嫌な気分を眉にたたえながら琴の稽古に取り組む母。

こんなアルバムがあることをまったく知らなかった。
だから母とこの写真を見ながらあれこれ話したこともない。
もちろんこの先もそんな機会は、ない。

まだ少女といってよい母は、いったいどんな思いで戦中戦後を駆け抜けたのか、何を選んで何を捨てたのか。
写真に潜むストーリーは、母から聞けない以上、僕が読み取るしかない。

少なくとも揺るぎない事実は、冒頭の写真の5年後に僕が誕生することだ。

僕が生まれて母は喜んでくれただろうか。
それ、うっかり訊き忘れたな。

(2024/8/11記)

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