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音楽の根源にあるもの

みなさん、こんにちは!法竹演奏家の青山雅明です。また寒くなってきましたね。でも、立春も過ぎ寒さもあとわずかだと思うとなんだか名残惜しいですね。

石油ストーブの暖かさや、「う〜さみぃ〜」と言いながら手を擦り合わせりするのも嫌いじゃないです。

僕は北海道生まれですからね。(生まれただけで一年くらいで本州に来たのでほとんど記憶にありませんが、身体のどこかが懐かしんでるのかな)

はい、今日は小泉文夫先生の「音楽の根源にあるもの」本が本棚から出てきたのでそれについて書いてみたいと思います。

地無し尺八(法竹)を始めてから、日本の音ってなんだろう?って考える時期がありました。それまでは、ロックとかR&Bとかパンクとかテクノとかそんな音楽ばっかり聴いていましたから、江差追分を習ってみたり日本の風土の中で育まれた音楽を探求していた時期でした。10年前くらいかな。

久しぶりに本を開いてみると、母音を使うに言語によって脳の回路が違う「日本人の脳」を研究している角田忠信さんとの対談が面白かったです。

母音を言語として使っている日本人の脳はコオロギの「コロコロ〜」という鳴き声を言語として聴いていて、西洋人を調べるとコオロギの鳴き声を雑音ノイズを処理する脳で聴いている。ということらしいです。

これも、どっちが良いとか悪いの話ではなくて母音を言語としている民族とそうでない民族の音のとらえかたの違いが面白ですね。

母音を「あー」とか「う〜」とか伸ばしてハミングすると、それらの音は日本人は言語を処理する左の脳でとらえ、西洋人は完全に非言語の右脳でとらえるそうです。

西洋の人たちはロジカルなものと、感情的なものをはっきりと分けて考えることができて、反対に日本では全部一緒になってしまうのですね。

「理性」と「感情的な声」のすべて、自然界の音とが一緒になったのが、いわゆる「日本人の心」とあらわされます。

「山紫水明」や「花鳥風月」は母音言語から生まれたのかもしれませんね。


今日は琵琶を聴きたくなったので素敵な琵琶の音色を貼っておきます。


平凡社 小泉文夫先生の「音楽の根源にあるもの」より学ばせていただきました。小泉先生ありがとうございました。


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