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ローマの修道院で(2)

二回目のローマでの仕事は夏の終わりだった。私はすでにその年の初めからパリに住んでいたが、ローマのオーケストラでエルザに再会するのは楽しかったし、何よりもその時点でパリでまだ十分な仕事はなかった。リヨン駅からローマ行きの夜行列車に乗り込んだ私は, ヴァイオリンとスーツケースを抱えて少し不安な気持ちで自分のコンパートメントへ向かった。夕方の6時くらいだったが日はまだ高く、人々はそれぞれのコンパートメントでぼうっとしたり、おしゃべりに興じたりしていた。
私のコンパートメントにはすでに4人の乗客がいて、彼らはローマ弁で声高に話をしていた。私が入ってゆくと皆軽く視線を上げたが、またすぐに大声で話し出した。まもなくそのうちの一人がパルミジャーノチーズを切って食べだしたので、暑さもありその匂いに耐えられなくなった私は新鮮な空気を吸いに廊下へ出た。ふと目に入った隣のコンパートメントにはふたりの乗客しかいなかったので、私はそそくさとそちらに移動することにした。

到着するまでにまだ13時間以上あった。私はぼんやりと窓の外を見ながら今回の宿泊先について思いを廻らせた。今回は古代ローマ遺跡のあるトーレ・アルジェンティーナからすぐのところにある修道院を宿泊先として選んだ。ここからは賑やかなカンポ・デル・フィオーリまで歩いて行ける。さらにここから目と鼻の先の所に、フランス大使館も入っていてエレガントな佇まいを見せるファルネーゼ宮と噴水もある。ローマではホテルではなく、安価で清潔な修道院に泊まることを勧めてくれたのは誰だっただろうか?ほんとうにローマでは修道院の宿泊施設が充実している。

ローマに到着した時は既に日も高く、列車から降りると私は美味しいカプチーノを飲むためにバールへ直行した。ヴァイオリンも荷物も無事だったが、あまりにも長く列車に揺られていたので、なんだか頭がくらくらした。街へ出るとそこはまさに巨大な舞台装置。古代からの遺跡のもとに暮らすローマ市民という種族が行き交っていた。大げさな身振りと高い声。ミラノの少しよそよそしい都会の顔とは全く違うスケールを持つこの都市は、あらゆる点において「イタリア的なもの」を象徴しているように感じた。それは私にとってはチネチッタであり、フェリーニであり、ローマを舞台としたあらゆる映画のシーンと結びついた、まさに本物の映画のセットだった。

修道院はこざっぱりとしていて、ルネサンス絵画に出てくるような細長い顔の修道女が私を部屋に案内してくれた。部屋はベッドが2つでゆったりとしていて、本来2人部屋のところを今週は1人で使わせてくれるという事だった。でも来週からはこの部屋を誰かとシェアすることになるかもしれないと修道女は早口で言い残して出て行った。廊下に出ると3人の40~50代くらいの女性たちが椅子に座っておしゃべりに夢中だった。この女性たちは何時でもこの廊下を通りかかるとおしゃべりをしていた。
少し風変わりな印象を与える人たちで、一番年長に見える女性は杖をついていて、歩くとき少しびっこをひいていた。もう一人は少し斜視で、話す時大げさに身体を傾けて相手を見上げていた。最後の一人は派手な黄色のTシャツを着ていて大声だった。何度目かに私が通りかかると、私が持っていたヴァイオリン•ケースにすばしっこく目を付けた派手なTシャツの女性が話しかけてきた。

「それ楽器?」 
                     
私がオーケストラのコンサートのためにパリからローマへやって来たことを告げると全員の目の色が変わった。彼女たちは素敵!と言ってはしゃぎだし、曲目がモーツァルトなのかベートーヴェンであるかも考えずに、全員でコンサートに行くと言い出した。彼女たちがあまりにも嬉しそうなので、私もなんだか嬉しくなり、「コンサートは広場で無料で行われるものもあるのでぜひいらしてください」と言うと、そこで2度目の歓声が上がった。
この女性たちは宿泊客であることは間違いなかったのだが、最後までどこから何の目的でローマにやって来たのかを知ることはなかった。ただ相当長い間この修道院に「暮らしている」様子だった。とにかく、そのように私が簡単な自己紹介を終えた後はとてもフレンドリーなひとたちだった。

次の週、私の部屋に一人の婦人がやって来た。彼女はモニカという名前のドイツ人で、40歳くらいに見えた。コロコロとした体形のモニカは愛嬌があって人懐っこく、私たちはすぐに打ち解けた。ミュンヘンで病気のお母様の世話をしながら生活しているのだと言うモニカは最初の夜、少女のようにはにかみながらローマにやって来た目的を話してくれた。それは静かなモニカの様子からはちょっと想像しがたいような内容だった。

モニカには去年の夏ローマで知り合った男性がいた。その男性はマッシモという名のイタリア人でローマっ子だった。彼は妻も子供もいたのだがモニカとふとした事から恋仲になり、彼らは夏の一週間を、マッシモが普段妻と子供と暮らすアパート(言うまでもなく彼らはバカンスで田舎に行き留守だった)で過ごした。
夏の終わりに彼は奥さんとの離婚まで宣言し、固く再会を誓い合って別れたのだが、それからしばらくしてぷつんと連絡が途絶えたという。
私がマッシモはどういうタイプの男性だったのかと尋ねると、彼女は目頭を押さえながらくたびれたバッグの中を探り、一枚の写真を取り出した。その写真には真っ黒に日焼けして白い歯を見せて笑う、典型的遊び人といった風貌の1人の男性が写っていた。私はうっすらとどういうことなのかわかった気がしたが、モニカに尋ねた。

「それでローマで彼を見つけるつもりなの?」

モニカは こくんと頷いた。

「だって彼は”君なしでは生きていけない”とまで言ってくれたのよ!」

その後モニカは30分くらいに渡って、マッシモがどれほど自分に夢中だったか、そしてあの愛がひと月くらいで冷めてしまうなんてあり得ないという事を必死に説明し続けた。一方私は、次の日朝のリハーサルが控えていたのでベッドにもぐりこむ機会を狙っていたのだが、私がベッドにもぐりこむやいなやモニカは私のベッドの足元にやって来て腰を下ろし、マッシモについて語ることを止めなかった。

モニカはローマにいてもほとんど外食をしなかった。天気がいいので、私が毎朝ファルネーゼ宮の近くのバールのテラスにコーヒーを飲みに出て行く時、彼女は決まって修道院の部屋の質素な棚からドイツから持ってきた黒パンの小さな塊を取り出し、机の上でもくもくと食べた。毎晩仕事が終わって修道院の部屋に戻ると、街から戻ったモニカが「今日の収穫」について話すのが日課となった。つまりモニカは、私が毎日ヴァチカンを見下ろす丘の上でベートーヴェンを演奏している時間に、マッシモの住んでいたトラステヴェレ地区のアパートまで行き、呼び鈴を鳴らしたりサングラスをかけて近くのバールで彼を待ち伏せていたのだ。でも彼の姿を一度だって目にしたことはないということだった。

数日後、モニカはどういうわけか彼のアパートに残してきたフライパンを取り返したいと言い始めた。私はそろそろ彼女も現実に目を向けるべきだと言おうとしていた矢先だったので驚いてしまった。でもこの愛に全てを賭けていたモニカにとって、相手の愛が[通り雨]のような素早さで消えて行ったなどという事は受け入れがたく、ここまでやって来たからには[何か]を得なくては気が済まなかったのだと思う。

いよいよコンサートが明日という時、修道院のあの女性3人組は廊下で私を見つけると近づいて来て、私達明日行くから場所を教えてと言った。私は彼女たちがコンサートのことを全く忘れていなかったことに少し驚いた。マッシモのことで頭がいっぱいのモニカも明日のコンサートを楽しみにしていると言ってくれた。

ただ一つ微妙な問題があった。

それはこの修道院の規則で夜9時以降は門が閉まってしまう事であった。私は最初の日にコンサートが目的でローマに来ていることを修道女たちに話してあったので、呼び鈴を鳴らすことに問題はなかったのだが、他にも4名の宿泊者たちがバラバラに帰宅してベルを鳴らされたら大変混乱するとのことであった。そこでモニカを含めた4人は全員一緒に帰宅すると言って、最初の日のルネサンス絵画のような修道女を説得し始めた。ルネサンス絵画の修道女は、一度モニカがただでさえ安い宿泊費を自分のベッドが寝心地が悪いことを理由にさらに値切ろうとしたので彼女のことをあまりよく思っていなかったのだが、渋々承諾した。 

当日の夜、ミケランジェロの設計によるカンピドーリオ広場のど真ん中にステージが作られ、私たちはスタンバイするために一列になってステージへ向かって進んだ。オーケストラが全て舞台に上がり私たちが着席すると、私の斜め横からとんでもない黄色い声が上がった。声のする方を見ると、例の三人組が私に向かって手を振っているではないか?杖の女性は斜視の女性の肩に手をかけ、事もあろうに杖を小さくグルグル振り回していた。もう一人の女性もさらに大きな声を張り上げていた。私は思わず小さくなったが、スタンドパートナーの女の子にあの人達は知り合いかと聞かれて頭を横に振るしかなかった。

演奏会のあと、エルザとカンポ•ディ•フィオーリまで夕飯を食べに行き、0時近くに修道院へ戻った。
門は無事に開いたが、ルネサンス絵画の修道女が中で睨みを利かせて待っていた。彼女が言うには私の前に3回呼び鈴が鳴って叩き起こされたと言うのである。どうやらあの4人は一緒に帰宅しなかったらしい。かわいそうな修道女は午前0時近い4回目の呼び鈴で完全に怒り心頭に達したというわけだった。明日の早朝のミサにはとても起きれそうもないなどとブツブツ言いながら彼女が去って行くと、私はしんとした廊下を歩いて自分の部屋へ戻った。

モニカはまだ起きていて、演奏会が素晴らしかったと言って私を抱きしめた。床にはスーツケースが広げられていた。彼女は、早朝にドイツへ出発する事にしたのだけど眠る前にあなたに挨拶をしたかったのよと言った。私は反射的に彼女はもうマッシモのことは諦めたのだなと思った。そしてモニカに元気を出してねと言うと、彼女は [セ•ラ•ヴィ!(それが人生) ] と言ってくるっと丸い背を向けるとせっせと荷造りを続けた。

(ミラノ回想録終わり)

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