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新生活

そうこうするうちに、オーケストラで新しい友達ができた。人懐っこいビオラ奏者のカーティア、そしてバイオリン奏者のマルコと,チェロのパオロは揃ってラヴェンナ出身で同郷というだけでなく、二人そろって背が高く美男だった。彼ら3人は、私がイタリア語を解さないと分かっていても毎日私に話しかけに来てくれた。私にとって素晴らしかったのは、カーティアが子どものような無邪気さで、誰とでも友達になる才能を持っていることだった。私たちは自然とひとつのグループを作り、休憩時間には連れだって,向かいのバールにコーヒーを飲みに行くようになった。

アパートの方は大きな進展があった。新聞の賃貸ページをチェックしていると、ひとつのアパートの掲載が目に留まった。それはモノ・ロカーレ(一間)だけれどリノベーションされており、何よりも私たちの劇場から歩いて行ける距離にあるようだった。早速電話で問い合わせ、次の日の見学の約束を取り付けた。 家主に案内されたそのアパートは、劇場へまっすぐ伸びるサン・ゴッタルド通りから少し運河の方へ入った道にあった。建物はこの地区独特の作りで、各階はL字型に中庭を囲むように建物の外側に廊下がめぐらされており、平べったい石の階段は幅が狭いうえに、時の重みですり減って角がまるくなっていた。同じように幅の狭い廊下に沿って、不規則に三つのドアが並んでいて、各戸の前には廊下に沿うようにして物干し用のロープが張られ、そこから身を乗り出すと階下の住人の生活の様子が窺えた。大きな音で鳴るテレビに交じって子供のぐずる声が聞こえ、ロープには真っ白なシーツがのびのびとはためいていた。

ドアを開けると真っ白にリノベーションされた部屋が眩しく目に飛び込んできた。本当に小さなひと間だった。 部屋を入ると真正面に、床から天井まで届く両開きの窓があって、それは小さい頃に遊んだ人形の家を思い出させた。 窓から身を乗り出すと、右に賑やかなサン•ゴッタルド通り、そして左の方には運河にかかる小さな橋がちらっと見えた。私は早くも、そこで生活をしている自分を想像していることに気が付いた。 ウィーンのアパートは家賃もずっと安いのに、大きな居間にちいさなベッドルームが付いていた。でも、夜ひとたびベッドルームに入ると、誰もいない大きな居間が気になり、いつも扉を開け放って眠っていた。 だからこの一間だけの住居は私をほっとさせた。夜の、真っ暗で誰もいない部屋を気にする必要がないからだ。私はほぼ即答でその部屋を決めた。

それから数日後に鍵を受け取った。大家さんが、家賃は月末だとか、電話線や洗濯機の取り付けについての説明を一通り終えて帰ってゆくと、それまでその真っ白な空間の中にだまって佇んでいた母が、ふいに「あなた、本当に大丈夫?私なら寂しくてこんなところにひとりぼっちで住めない」と呟いた。 私は窓からようやく街灯が灯った通りを見下ろしながら、外から聞こえてくるイタリア語の断片や、向かいのアパートから漏れてくる夕食の匂いなどに心を奪われていた。

それから数日して、私は母を見送りにリナーテ空港まで行った。 いつもなら成田空港で私を見送ってくれる母だったが、今回は私が見送る番だった。
急にひとりぼっちになった私は、空港を後にする時ほんの少しだけ母の気持ちが解った気がした。

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