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カティアの家の食卓


私といつも一緒にいたウテがいなくなり、寂しそうに見えたのかもしれない。持ち前の気取らない態度と、人の警戒心を溶かすピュアな笑顔を持つカティアが、私を度々仲間たちとの映画や食事などに誘ってくれるようになった。そんな時いつも一緒だったのは背の高いラヴェンナ出身のマルコと、親友のパオロだった。 私たちは一緒に、イタリアで公開されたばかりだったリュック•ベッソンの「ジャンヌ•ダルク」を観に行った。イタリア語吹き替えで、私には全くと言っていいほど理解できなかったのだが、あの「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるようなイタリア流映画鑑賞の風景がそこにはあった。 恐ろしい場面では波が打ち寄せるようなざわめきに始まり、安心した時にはあちこちから[ふう〜!!]という溜息が漏れたりするような、ありのままの感情表現に包まれるのが可笑しくてなんとも心地よかった。

やがて私は、カティアの家を度々訪れるようになった。カティアは、パオロを含む3~4人の楽団員とその家をシェアしていたのでかなり大きいアパートだったのだが、常に誰かが誰かとキッチンのテーブルで話をしている、そんな家だった。私は急速にカティアの家の仲間たちと親しくなり、この家の「常連」となっていった。              
オーボエ奏者にチェロ奏者、ヴイオラ奏者とホルン奏者が同居するこの家は自然と外に向かってコミュニティーを形成していて、いつも一人二人、家に住む人以外の友達が混ざって食卓についているといった風で、社員寮と学生寮の中間みたいなおもしろい雰囲気を持っていた。さらにそれはイタリアのピッツェリアでも個人宅においてもよく見られる、家族や友人と大人数で囲む食卓のひとつだった。

問題はキューバ出身のホルン奏者リカルドで、彼が家賃を滞納するのでいつも皆が嘆いていた。小柄で浅黒い肌の、一見少年のように若く見える彼は、卓越したホルンの腕前で指揮者からも一目置かれていたが、そんな彼を皆が警戒するのは家賃のことだけではなかった。フィデル•カストロ信棒者である彼が、1日に何度も[カストロ万歳!]と叫ぶことはさておき、突然どこかへふらっといなくなり、何日かして戻って来ては又どこかへ消えてしまったりする事や、家にいても皆と一緒に昼食をとっている最中、急にメランコリックになったかと思うと感情的になって手が付けられなくなったりするなど、そのエキセントリックな性格に、皆手を焼いていたからだ。
ある日の昼食のテーブルに、彼が以前から周囲にその恋心を隠そうともしなかったイタリア人の楽団員がいた。
彼女は、前から彼の気持ちをわかっていながら知らんぷりを決め込んでこの家に通っていたので、この日彼はついにいたたまれなくなったのだろうか? いきなりテーブルの上の自分の皿を向こうへ押しやり、彼女に向かって、「そのパスタは美味いか?お前ほんとに味がするのか?」と半泣きになりながら問い詰めたのである。
これには一同騒然となり、オーボエ奏者のシルヴィアが立ち上がって彼をたしなめなければいけなくなった。
[Ma che pazzo che sei....] (どんだけ気が狂ってんの、アンタ?)と皆に言われながらリカルドは再び家を飛び出して行った。

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