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スポレートの夏

その夏は忘れられない夏だった。私たちのオーケストラはひと月の間、ウンブリア地方にあるスポレート(spoleto)というちいさな町で開かれる有名な音楽祭に招待されていた。アッシジの聖フランチェスコが‘神の声を聴いたか、幻視を体験したとも言われているこの町の中心にはドゥオーモと呼ばれるロマネスク様式の大聖堂があり、内陣はフィリッポ・リッピ(*)の見事な色彩のフレスコ画で装飾されている。私たちは毎日のようにこの聖堂でリハーサルをし、ファサードの下の冷たい石のベンチで涼んだり、おしゃべりに興じた。

演奏会のプログラムにはこの夏もヴェルディのレクイエムがあり、私はまだ記憶に新しい、オーボエ奏者のステファノが逝ったあの夜のことを思い出した。彼はこの曲を演奏するはずの夜に交通事故で亡くなってしまったのだ。私たちにとって決して忘れることのできないこの曲が、壮厳な大聖堂に放たれた瞬間、焚き染められた「香」の残り香の中で、あの夜の悲痛な演奏会のことがまざまざと蘇り、私は息苦しさを覚えた。最後にソプラノがあの鳥肌の立つほど美しい「libera me ~] のクライマックスにさしかかったとき、身震いとともになぜこの曲が時として人の命を奪うほどの恐ろしい力があると言われているのか、その理由が分かった気がした。この作品にはどこか人を毒矢で虜にするような魔力が潜んでいる。そんな魔性の魅力がもしかすると神の怒りに触れるのかもしれないという気がしたのである。

私たちは石で囲まれたようなこの古い町の中を、まるで子供のころから知っている場所のように、いつも決まった石段や坂を上ったり下りたりしながら毎日を過ごした。皆で通ったレストランは坂の途中にあり、そこではたしかウンブリア地方の料理を出していたと思うのだが、私はこのレストランのアマトリチャーナ(*)が大好物でそればかり注文した。イタリアの夏は厳しい。特に私がいたころのミラノの夏は耐え難いものがあった。地層から湧き上がるような逃げ場のない暑さのせいで、道を歩く人の姿が歪んで見えるほどだった。それでもクーラーが付いている場所などデパートかスーパーなどを除いてはどこにもなく、ひたすらバールなどのテラスに座って冷たい飲み物を飲みながらぼうっと時をやり過ごすしかなかった。10年近く前に久しぶりにミラノに行ったとき、中央駅などでバールやレストランにクーラーがついているのに驚いた覚えがある。ところがそのような暑さも、いったん石造りの建物に入ってしまえば驚くほどの涼しさが和らげてくれる。それはクーラーなどの人工的に作り出した涼しさとは違い、五感に染み入るような爽やかさなのである。それは木陰に入った時も同じなのであるが、湿気が日本よりも少ない分その爽やかさを感じやすいのだと思う。

長い昼食の後は、太陽の熱で熱くなった長い坂を下って宿泊先の修道院まで昼寝をしに帰るのが日課だった。その修道院はやはり坂の途中に入り口があり、中に入ると見事な回廊と小ぶりな庭があった。オーケストラのメンバーたちは4人くらいでとても大きな部屋をシェアしたのだが、壁も床もシャワー室もすべてむき出しの石でできた、まるで中世の映画のセットみたいな部屋だった。リハーサルがない時は、皆でよくこの修道院の回廊に集まって写真を撮ったり、とりとめもないお喋りに興じた。

夜まで何も予定のなかった日、私はクリスティーナとジャンピエロと一緒にアッシジまで足を延ばした。私たちが目指したのは、ジョットのフレスコ画が惜しげもなく描かれたサン・フランチェスコ大聖堂である。ローマ帝国時代から続くこの町に聖フランチェスコは生まれた。裕福な家庭に生まれたにも関わらず、最終的に「清貧」という対極にある生き方に人生を捧げることにしたのはやはり神の声を聴いたからなのだろうか? こころが満たされているとき世界のかたちが美しく明確になる。そこでは自分の歩くべき道とほかの人たちが歩くべき道が朗らかに分かれていて、そこに寂しさなど微塵もない。ほんとうに恐ろしいのは、何かを所有することに固執し始めた瞬間から、そうした美しい世界が目の前から消え始めることではないだろうか?



*1) フィリッポ・リッピ:イタリア・ルネッサンスを代表する画家の一人。ボッティチェリの師でもあった。

*2) アマトリチャーナ: ローマを代表するトマトソースのパスタ。

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