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ヴェネツィア~日常という幻想

2月末のヴェネツィアは、まだまだ春には遠い寒さだったが、アドリア海の上に島が見えてきた時 私は晴々とした気分だった。ずっと観たかったヴェネツィアという都市は、ミラノから電車でたったの数時間で訪れることができた。私がこの街を訪れたかった一番の理由は、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で描かれた、死と美の壮絶な対比の中で、望むと望まざるに関わらず双方が引き立てあいながら共存している様に心を打たれたからだ。「死」があってこそ「美」が成立するという宿命は、人間から薔薇一本に至るまで、すべての地球上の生き物が背負って生きている。でもそのことについて日常生活ではあまり考えないし、それについて考え過ぎることはどこか退廃的で、健康的な生命活動の足かせとなってしまう危険な要素を孕んでいることを私たちは潜在的に知っている。

でも、そんな退廃が押し込められたパンドラの箱が開かれるにふさわしい都市が一つだけ存在する。それがヴェネツィアだ。あの一見映画のセットのような、そこに人が住んでいることすら疑いたくなる非日常性に遭遇して、今日も体操をしてサラダを食べ、健康的に過ごそうという気持ちになる人はどのくらいいるだろう? 実際、ヴェネツィアの水位は少しづつ上がっている。 何百年後かは知らないが、いつかは地図上から消えてなくなる都市と言われている。それも現実なのだとすれば、そもそも日常とは何だろう? この街は私たちが信じ続けているすべての常識が実はちっぽけな幻想にすぎないという事をその存在自体をもって教えてくれるのだ。だからこそ、ヴェネツィアは私たちを誘惑してくる。すべての人が持つ「日常」という幻想から自由になって、むしろ今まで幻想と思っていたすべてのことを現実として自分のそばに引き寄せてみたくなるのである。

そんなヴェネツィアが私たちに仕掛けてくるもうひとつの舞台装置がカーニヴァルだ。ヴェネツィアに到着した日、この街がカーニヴァルの真っ最中だということを私は忘れていた。島に降りるとそこはもう別世界だった。 
黒ずんだ石畳の狭い道を、金や銀の刺繍の施されたマントで着飾った人々がマスクの下に顔を隠し、笑いさざめきながら通り過ぎてゆく。ここは18世紀だ。これこそがヴェネツィアの魔法である。妄想が現実となる瞬間、人々は貪欲にこの現実を生きようとする。
私はこのような場所が地球上に存在するということが、にわかには信じられなかった。そして早速、あの有名なカフェ•フローリアンへと足を運んだ。 するとそこでもやはり仮面をつけた人々が、ちいさな卓を囲んで愉しそうにしていたが、そこにいた誰もが[自分ではない誰か]を演じていた。私は21世紀になったばかりのミラノからタイムマシーンでやって来て、18世紀のカサノヴァの物語の中に身を置いているのだった。

日々の流れ作業の中で自分を見失いそうになっていた私は、たくさんの大人が夢中で役を演じている、この不可思議な虚構の世界に希望を見出す思いだった。女は男になり、男は女になる。動物にだってなれる。ここでは皆, 自分がなりたいものになれるのだ。そうだ、この熱狂的なカーニヴァルの真只中で、私のように自分の願いすら分からず、空っぽになって彷徨っている人などどこにもいない。私は自分が他の観光客のように無邪気に微笑むことさえできなくなっているのを感じた。どうしたらちっぽけな「自分」という檻の中から出て自由になることができるのだろう?などと考えながら迷宮のような路地を当てずっぽうに抜けていくと、いつのまにかサン・マルコ広場の端っこに立っていた。 そこは眼もくらむような大舞台。その先に広がるきらきらと輝く静かな水面には、あの神々しい美少年タッジウが優美な姿で天を指さしているように見えた。 煌びやかなヴェネツィア派の絵画たちは明日観に行くことにしようと決めて、漆黒の闇が降り始めると私は急ぎ足で元来た路地をホテルまで引き返した。ヴェネツィアの闇はカラヴァッジョの描くような凄味のある闇で、それに飲み込まれたら最後という気がした。そしてホテルの近くの古びた食堂でひとり、映画の様々なシーンを思い出しながらミラノの劇場の近くでも食べられそうな、ありきたりのパスタを食べた。

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