「声の在り処― 伊藤整と三人の女たち 左川ちか・伊藤貞子・伊藤マリ子」

『文學界』12月号(11/7発売)に「声の在り処― 伊藤整と三人の女たち 左川ちか・伊藤貞子・伊藤マリ子」を寄稿しました。

左川ちか(詩人・伊藤の妹分)、伊藤貞子(歌人・妻)、マリ子(文章家・娘)。彼女たちの声と言葉がいかに失われ、再び届くのかー。よろしければご覧下さい。

https://bunshun.co.jp/business/bungakukai/backnumber.html...

川口晴美「声はここにある」(『現代詩手帖』8月号)

鴻巣友季子さんが提起した「ファム・ファタール」「ミューズ」問題(『文學界』10月号)

同じく鴻巣友季子「ミューズ」になるか、自分で書くか? 女性作家たちの闘い(「文学は予言する」)

https://kangaeruhito.jp/article/709329

などにも触発されました。

森鷗外と森志げ、森茉莉の関係ー。瀧本和成・深町博史編『森志げ全作品集』(嵯峨野書院)とも共鳴しつつ、個人的な家族との思いも込めて本稿を書きました。

『文學界』本号掲載の中島京子さんによる梯久美子『この父ありてー娘たちの歳月』(文藝春秋)書評も、同じく書く女たちの話として興味深く拝読しました。

『文學界』といえば、伊藤整が左川ちかの死を落とし込んだ「浪の響のなかで」「幽鬼の村」が『文學界』(193605、3808)掲載です。

そして伊藤の恋人としてではない左川の立ち位置を明らかにした富岡多恵子の画期的な「詩人の誕生ー左川ちか」(『さまざまなうた』収録)も初出は『文學界』(197808)でした。

今回拙論が文學界誌上で後に続き光栄です。

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