誰にでもできる評価されない仕事を頑張る人

文章の意図

 これは、誰にでもできる評価されない仕事を頑張ってした自分自身を自己肯定するための文章であり、他の人に対して同じ考えを勧めるものではないことを先に断っておく。ましてや、働くこと自体が好きではないので、仕事に対する心構えだとかそういったものでもない。あくまで人知れず頑張った自分を決して間違った行動ではないぞと慰めるためのものである。

誰にでもできる評価されない仕事

 前書きが長くなってしまったが、コロナ等々の影響もあり、現場で行われている肉体労働のお手伝いに駆り出されていた。業務内容としてはアルバイトが行う作業をコロナ対策として人員削減を行うため、社員が代わりに対応するといったものだ。倉庫にある商品を場所ごとに仕分けるのを延々と行うだけの比較的に簡単な作業である。言っちゃ悪いが、体力さえあれば誰にもできるし、無心でロボットのように商品を持って運び所定の場所に置くといった単純作業だ。
 この仕事にきている社員は普段デスクワークを行っているホワイトカラーで、本来の業務とはかけ離れた慣れない作業であることから、初日の動きが遅いのは致し方のないことだろう。ただこれが一日、また一日と日が経っても動きはあまり変わらないのは、手を抜いているに近いと思ってしまう。更に単純な作業であるからこそ、移動が遅かったり、置き方が雑だったりするのがより目についてしまう。正直、一週間も経てばより効率的な置き方や動き方、例えば空いた暇な時間に次の作業に向けた準備を先回りして行うであったり、商品を持っていない移動をだらだらとするのではなくきびきびと動くようにするのは、比較的に容易ではないだろうか。もしそれが考えつかなかったとしても、周りの動きを見て学ぶ、または他の人に聞いて自身の行動をブラッシュアップすることは可能だろう。バイトならそんなもんだろうなといったところだが、バイトではなく正社員としての安くない給料を貰っての仕事である。
 ただ、ここで頑張っても上司は見てないし、評価なんて上がるはずもなく、誰かに褒められることもない。頑張って見返りが何かあるかと言ったら、本当に何もない。むしろ、疲れるだけだ。
 でも、あからさまに手を抜くのはいかがなものか。こっちは歩き回って状況を把握して、必要な道具を用意したり、スペースを確保したり、割り当てられていない業務を手伝ったりしている。同じスタートラインからよーいドンでやっているのだから、同等の動きができてもおかしくはないはずだ。なのに、指示されたことをそのままやり、終わった次の指示がでるまで立ち尽くしている。人によってはゆっくりゆっくりと作業していて、まるでできる限り動かずに時間を経たせようとしてるようにもみえる。

こういった仕事を頑張れる人材

 これだとただの愚痴になってしまうので、誰にもできる評価されない仕事をちゃんとすることがより良いとなぜ判断するのかを書いていく。
 まず一点目として、「自身を高いレベルで律することができ、仕事のクオリティを保とうとする意識がある」ということだ。誰にも評価されないということは、どのような仕事ぶりだったとしても問題がないということであり、本来手を抜いてもよい。だが、そこでしっかりとした仕事をするということは、対外的に行っているのではなく、業務内容に対して、自身の考えで一定の基準をもって行動しているということになる。この考えて一定の基準をもつということは、その他の仕事を任せたとしても言われた通りではなく、自身の基準で考えるため、なぜこうするのかであったり、別のやり方がいいのではないかといった一歩深い仕事をすることに繋がる。
 また二点目として、クオリティを保つために考えるということはより良い方法を考え動くことであり、「意識的に問題提起と解決策の提示」を行っている。まず問題を提起するためには、物事をよく観察し、問題を発見しなければならず、解決を提示するためには問題点を解消するために従来ではなく新しい方法を考えなければならない。
 非常に簡単な例だが、
例① **
**〔問題〕

商品を指定場所に置くまでには時間がかかるが、これを早くすれば業務効率化ができる。
〔観察〕
商品を持って移動する際は、重さや安全面から時間短縮するのは難しい。
〔解決〕
商品を持っていない移動を素早くすることによって時間短縮をすることができる。
〔結果〕
多少の時間短縮にはなるが、体力的なコスト面と対価が割に合わず、効果的とは言えない。

例② **
**〔問題〕

商品を置くスペースに限りがある。
〔観察〕
スペースを広くことができないため、置き方を改善する必要がある。
〔解決〕
重く大きい商品を下に置き土台をしっかりとさせることで、上に軽い商品を積むことができ、縦と横の二次元ではなく、高さを含めた三次元的なスペースを新たに有効活用することができる。
〔結果〕
置くことができる商品の量は増えたが、積むことによって何がどこにあるかを容易に判断できなったため、商品の種類や用途に合わせて場所を決めるなど更なる改善の余地あり。

 問題を考え、状況を観察し、解決方法を考え、実際に試しているのがわかるだろう。ものすごく簡単なPDCAサイクルを回している状態である。こんなのと鼻で笑う人もいるかと思うが、誰でもできるような簡単な仕事でこれすらできずに、PDCAサイクルを考えた上での通常の業務に臨めるだろうか?ついつい忙しくて目先の積まれた仕事をただ片付けるだけになってしまっているのではないだろうか。この程度のPCDAサイクルが仕事で使い物になるかではなく、意識的に考えることが癖になっていること自体がその後の成長に繋がるという話だ。

まとめ

 難癖付けながらいろいろ書いたが、最初に言った通り自己肯定するためのクソ論理である。ただ真面目に考えながら働いていたら、周りのあまりに手を抜いた仕事ぶりに勝手にイライラして、結果として勝手に自己嫌悪しただけである。雇われの身であり管理職でもないのだから、もっと大らかに構えていて良いはずなのに心が狭いこと、狭いこと。人は人といったスタンスを確立したいなぁ。

【蛇足】

 仕事内容がペラペラすぎて嘘っぽいと感じた人はその通りで、本当の仕事内容を書くわけにはいかないので、ニュアンスだけ合わせて仕事の内容は全部作り話である。

【蛇足の蛇足】

 誰にでもできる評価されない仕事を頑張る人は、恐らくバカ真面目で手の抜きどころが分からない世渡りが下手な人です。そもそも誰にでもできる評価されない仕事は、誰がしてもクオリティに差がでないか、または低クオリティで構わないか、このどちらかだと思います。もしもいい意味でクオリティに差が出たとしても嬉しい誤算止まりなので、頑張った分のリターンが恐ろしく低いからコストパフォーマンスが非常に悪いです。それでもそこに力を入れてしまう人は、全てに対して同等の力をつぎ込んでいることに近いので、仕事に対する難易度のレベル分けが下手なだけです。

 でも、
個人的にはそんないつでも一生懸命な人が生きづらそうで好きです。
一緒に意味もなくもがいていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?