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センスが欲しい

 常々、センスが欲しいと思う。
 もちろん万物に対しての一定のセンスは喉から手が出るほど欲しいが、ここでは個人的な趣味においてである。そこでなぜセンスが欲しいのかを自分語りになってしまうが、話させてほしい。

 幼少期、趣味と言えるような嗜好は全くなかったのだが、高校生になった頃から趣味を楽しんでいて、造詣が深い人に憧れを持つようになった。うちの家族や親族は、そういったものに疎く、言っちゃ悪いが文化的要素を持っていると思える人が今考えてもおらず、ある一種のカウンターだったのかもしれない。それは今更になって思うことであって、当時は親が音楽好きであることを基盤に、素養を身につけている人が純粋に羨ましく感じたことを覚えている。
 小、中学生の頃は音楽に興味をもって接したことがなかったので、軽音楽部に入った際に、ラッドやワンオクなどの言葉がでてきても何を示しているのか全く分からなかったのも羞恥心と共に強く心に残っている。至極当然、当たり前だがRADWIMPSとONE OK ROCKの略称だ。しかし、当時は見たことはも、名前を聞いたことすらなかった。なんでそれなのに軽音楽をやろうと思ったのかも些か疑問に思うとこではあるが、この軽音楽部に入ることは、人生の大きなターニングポイントだったとしみじみ思う。なぜかと言うと、意識的に広義の意味での文化に触れたからだ。そこから、周りの人に流行りの音楽を教えてもらいYoutubeで聴いて、図書館のCDレンタルでいわゆる過去の名盤借りて聴き、路地裏音楽戦争で名前が上がったアーティストを聴いてみたりといった繰り返しの生活習慣が生まれた。全く知らなかったからこそ、片っ端から聴いていたような気がする。音楽という素養が身についてきたこともあってか、その他の文化的要素である小説、漫画や写真だったりにも、少しずつ手を出し始めたのが、高校2年生くらいだったような……。

 その結果、触れてきた作品の一部を自己紹介代わりに書いていく。
 小説だったら、川端康成、安部公房のような硬派なものから、有川浩だったり、中村文則、村上春樹。川上弘美などの女流作家の短編集も好きだ。
 漫画は五等分の花嫁、君に届けみたいなラブコメから、夜桜四重奏、一週間フレンズみたいなオタク寄りの作品。大暮維人、日暮キノコ、浅野いにお、魚喃キリコ、鶴田謙二、大橋裕之などなど。
 映画は付け焼き刃で申し訳ないのだが、ハウルの動く城、言の葉の庭、パプリカみたいなアニメ映画からスタンリー・キューブリック、スパイク・ジョーンズ、リチャードリンクレイター、グザヴィエ・ドラン。湯を沸かすほどの熱い愛、百円の恋、リップヴァンウィンクルの花嫁だったり。
 音楽は、一番長く接しているものであり、聴くという容易な行為であるからこそ、他の趣味より詳しいと思っている。基本的に目に入ってきた知らないアーティストは聴くようにしていて、本当に大雑把に分けるなら90年代以降が多い。邦ロックっていうとこれまた広すぎるが、細々とずっと追っていて、CDを買っているのでいえば、PeopleInTheBox、YUEY、SaToA、3markets[]、アナトオル・フランスとか。それ以外でも、溶けない名前、No Buses、ニトロデイ、FINLANDS、台風クラブとか。最近、一番敏感に追っているのはHIPHOPだと思う。VaVa、dodo、kZm、Awich、Jindogg、illmore、tobi lou、khai dreamsとか。気に入って聴いているのは、まだまだあるけど、パッと思いついたアーティストを例示として置いておく。

 話を戻していくが、センスが良いという言葉はふわふわとしていてどこまででも飛んでいってしまいそうので、もう少し輪郭をつける。個人的に思うセンスの良い人は、ブレない芯の通った好みで作品との接している方である。その定義に基づいて、上記の羅列を見てみよう。同じように音楽、小説、漫画、映画が好きな人が見ればわかると思うが、闇雲に掘り漁って浅ましく知識をつけている印象を受けるだろう。また、その自覚もある。あまりにも雑多であり、このジャンルを深くという傾向すら感じもしないことが伝わってくる。もし、他の人にこのラインナップを言われたら、この人の好みの芯はどこを通っているのか分からないと思う。
 実を言うと、まさにそこが悩みであり、センスが欲しいと思う理由だったりする。結局、何が一番好きなんだろうなと自分でも考えてはみるが、どれも楽しんで作品を消化しているし、心にグッときたもので分類してもジャンルとしては点在していたりする。一応、様々な点からまとめようと試みるが、的を得た共通項がまとまらない。
 しっかりと好みの軸を決めた上で、一貫性をもって趣味を楽しんでいる人を見ると、どうやって自分に合うか合わないかの取捨選択をしているのかを教えてほしい。なぜなら、この取捨選択がセンスの良さが出る一番のポイントだと思うからだ。

 なんでも好きという言葉は興味の範囲が広いという意味で聞き心地良い言葉だが、それはズルい受け答えだと同時に思っていて、ただ単純に言語化をサボっているようにも聞こえるのだ。必ずそうだとは言わないが、例えば寿司が好きだといっても、目の前で職人が握る高級な寿司も、庶民的価格で大変助かる回転寿司も、本当に全く同じに好きというのは違うのではないだろうか?仕事ぶり、ネタの違いや価格差、手軽さであったりと違いがあり、その上でそれぞれの良さを言語化できるはずである。(当方、回らない高級な寿司屋は行ったことないので言語化できない。悲しいが経験がないと、できない場合もある……。)なんでも好きではなく、これがこう好きなのが、カッコいいと思う。

 かつては趣味を楽しんでいて造詣が深い人対する憧れが、自身も触れることで明確化し、その造詣のセンスが良い人が羨ましいといった変化したのだろう。数年前からこの状態にはなっているのだが、解決できないまま、まだ囚われている。四方山話なので、特にオチはないのだが、センス〇を是非とも身につけたいものだ。

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