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真夏のLGBTQ+2作品 対決の軍配は!?「Heartstopper S2」VS「Red, White and Royal Blue」

8月になったらリリースされるということで、首をちょいとだけ長くして待っていたLGBTQ+の2作品、NETFLIXの「Heartstopper」シーズン2 と Amazon Primeの「Red, White and Royal Blue(赤と白とロイヤルブルー)」を一気見しちゃいました。

ざっと大雑把な感想と、勝手に両作品を比べての勝敗も付けちゃいますw

*ネタバレというか、話の流れで自制することなく結末等に触れている部分もありますので、了承の上お読みください。



「HEARTSTOPPER」

アリス・オズマンによる同名のウェブコミックとグラフィックノベルを基にしており、ゲイの高校生、チャーリー・スプリングが新年度に隣の席になったクラスメイト、ニック・ネルソンと恋に落ちるストーリーを中心に、友人のタオやエル、タラ、ダーシーらの高校生活が描かれる。

「Heartstopper」wikiより

第1シーズンが好評だった当作品。待望のセカンド・シーズンです。

第1シーズンも良かったと言えば良かったのですが、個人的にはそこまで刺さりはしなかったんです。こういうゲイへのいじめやカミングアウトに苦しむ映画やドラマって散々観てきた気がするので、なんでそこまで評価高いのかピンと来なかった。LGBTQ+が主題の作品じゃなくても欧米のソープオペラ(ロングランのテレビのドラマ・シリーズ)なんかで、多く出てくる登場人物の一人がゲイで悩んだりってのは定番と言っていいほどよくある設定なんですよね。

唯一ウルっと来たのは、ニック(上の動画のサムネの左、白人金髪の男の子の方)がオリヴィア・コールマン演じる母親にカミングアウトするシーンだったでしょうか。私自身が自分の親とは全く良好な関係を築けなかった人生なので、親が子供をその愛情でもって理解を示し、ありのままを受け入れ応援する描写ってのにことさら弱いんです。

モヤモヤルッキズム

あともう一つ、どうにも入り込めない要素が自分のルッキズムを抉ってくる点ですかね。私が数十年生きてきて培ってきた美醜感が邪魔して、どうしてもチャーリー役Joe Lockeジョー・ロック君に違和感を感じて集中できないんです。

彼が優しいイイ子なのは目の感じとかから凄く伝わっては来るんですが、フリーダ・カーロのように繋がってるように見える(実際は繋がってないけど)眉毛や、特徴的な輪郭がどうしても私のステレオタイプの美しさに繋がらない。そしてやはり自己肯定感の低さから出てるように感じる遠慮した表情や笑顔。その不安なオドオドした感情表現というのは人を心配させても中々魅了することには繋がらない気がするんです。

別に美しさだけが人を好きになる条件ではないだろ!というのはわかるのですが、思春期の男の子は大人以上に容姿が恋愛の入り口になる傾向は強い(と思う)。フィジカル・アトラクションの重要度は残酷的なほど。元カレのベンとはどういう流れでチャーリーと付き合うようになったのか不明ですが、ニックの場合、席が隣同士になっただけで殆ど深いやり取りがないうちからチャーリーのことを意識し始めていて、何が彼を惹き付けたのか私的には全く説得力がなかったんですよね。カースト上位のニックとベンが強烈に惹かれる対象としてはどうにもこうにも説得力が…いや、私が説得されなかった。

で、このチャーリーの容姿について違和感、疑問に感じるこの感覚、主人公はある程度の容姿であって欲しいという感覚こそが、私が抱えるルッキズムの表出なんだろうなとも思うわけです。そう考えるお前、キレイじゃないと愛される資格がないと考えるお前がおかしいんだと、自分の中の罪悪感を炙り出されているようで、どうにも居心地が悪いんです。

これは単なる個人的美醜感の違いだけで、世間的には彼は美しい方に認識されているのか?それとも制作陣も彼のことはそこまで美しい子ではないと認識しつつ敢えて採用することで(私を含む)世間が抱えるルッキズムへの挑戦を意図しているのか?

とにかく私にとってはチャーリーの存在が絶えずモヤモヤしてしまうドラマなので、いいドラマだと思うけどこのモヤモヤが邪魔して手放しで好きになり辛いのです。

多様性てんこ盛り

第一シーズンはゲイの男の子チャーリー(友達や家族は知っている)の学校でのゲイバレ、Abusiveな元カレ・ベンとの関係、そしてニックと出会い、ニック自身のセクシュアリティを自覚する過程なんかを経て二人が惹かれ合い結ばれるまで。そしてニックが母親にカミングアウトし受け入れて貰ったことで漸くニック自身も己のセクシュアリティを受け入れ肯定感を持てるようになる…この辺りがシーズン1のクライマックスだったように思います。

そこにレズビアンの女友達カップルやトランスジェンダー女子、オタクの友達なんかも絡んでくる。多様性よドーンと来い!!性のあり方てんこ盛り!!ってな感じの内容だったのですが、シーズン2はアセクシュアルの要素とか、エッ?そこも引っ付くの?みたいなゲイ、レズカップル要素がさらに増え、いやいやそのコミュニティでその割合はさすがに多すぎだろう…とちょっとツッコまざるを得ないぐらいの内容に(苦笑)。

全部で8エピソードがあるのですが、晴れて恋人同士になったニックとチャーリーのイチャイチャがず~っと続く。パリへの修学旅行パートの最中もず~っとイチャイチャ。もう微笑ましいを通り越してちょとウンザリしてくるんですよね(私は1話の段階で既にお腹いっぱいでした。苦笑)。そしてニックが母親以外、学校の友達や父親にカミングアウトしようとするも中々言い出せない。それが大変なのはわかるけどちょっと引っ張り過ぎ!もうちょっと話を進めてくれ~ってのが本音でしたかね。

で、話がグッと面白くなるのはもう最終盤の7話と8話。それまでのイチャコラエピソードの合間に種を蒔いていた色々をここでグッと刈りにくる。なので私と同じように6話まではつまらんな~と思う方にも7&8話でやっと面白くなるので、なんとかそこまで頑張っていただけたらと…😅。

その源は支配欲

第2シーズンの私的クライマックスは、やはり7話でチャーリーが元カレ・ベンにガツ~ンと言ってやる場面だったと思います。まあグゥの音も出ないベンに観ている方も溜飲が下がる想いでした。

ただあげ足とりで申し訳ないけど、チャーリーがそこまで頭イイ設定ではなく、どちらかというと恋愛に夢中で成績も下がって先生からも親からも注意受けて落第ギリギリ状態、イライラする時もドラム叩いて発散みたいなキャラ設定なのに、ベンに対しての洞察(あれは恋愛ではなくて支配したかったんだろと看破)と、さらにそれをあれほど見事に理路整然と言語化して表現できたことにはちょっと違和感がありました。

シーズン2の1~6話まででイチャコラしまくるのではなく、ベンとの関係が支配だったと、彼が段階的に人間関係を客観的に分析できるエピソード(先生や大人達、または専門書、友人との会話等から学んでいく)が挿まれていたらまだ納得できるのですが、あまりにも唐突にチャーリーのセリフが完璧すぎて、これは大人、筆者のオピニオンの代弁感が拭えなかった。そういう意味では物語のつくり方は雑な印象。伏線をもうちょっと張るなどしていたら彼の成長を視聴者も追体験できてより感情移入出来たであろうに。

支配に関して、たまたま最近興味深い記事を読みました。

この記事は香川照之氏の暴力スキャンダルを発端に性加害者の心理を、性加害者の分析・治療に当たる聖マリアンナ医科大学准教授の安藤久美子さんが解説してくれている記事です。

私はこの記事を読んで、ジャニーズ性加害事件のジャニー氏にも当てはまるなと思いながら読みました。加害者側の心理、認知の歪みを知ることが出来るすごくいい記事だと思います。

元カレ・ベンも「チャーリーは嫌がってない」とか認知の歪みが酷かった。
さらには自分が抑圧的状況にあるから仕方ないとか、分かってくれとか、自分が被害者であるかのように言い出す始末。その結果レイプ未遂、不同意性交の直前まで行ってしまった。

ここで、この記事で一番重要だと思ったところを抜粋

2)ストレスを受けることで支配性と攻撃性が発動する

ふたつめは「支配性と攻撃性」である。先述した「誤解されやすい4つの事項」でも少し触れたが、性犯罪とは、セクシャルな言動を通じて表現された他者への支配欲である。では、どうして支配したり攻撃したりしたくなるのか。分析にあたっては、もともとの攻撃的なパーソナリティーが関係していたり、過去に加害者自身が受けた被害体験への復讐的な意味合いを含んだ加害行動であったりすることもある。しかし、もっともわかりやすく、そして高い比重を占めているのは、もっと単純な「ストレス解消」であったり、自己の「劣等感や自己評価の低さの反動」であったりする。

これは子どものいじめの構造と類似している。うまくいかないことや不快な体験があったときに、自分よりも弱いものを攻撃してその状況を支配し優位性を実感することで、抑圧された不満や怒りの感情を発散する。これによって平素より感じている劣等感や自己評価の低さから一瞬だけでも目を背けられるからである。だからこそ、加害者は失敗しないように被害となる対象をよく選んでいるし、はじめから意図していなかったとしても、時に暴力的な手段にまで発展してしまうこともあるのである。

ベン自身も隠れゲイ。親はインド系かな?ヒンドゥー教も同性愛を禁止してるんですよね?80年代の名作ゲイ映画「マイ・ビューティフル・ランドレット」でも舞台はイギリス、主人公の一人がパキスタン系だかでゲイであることに苦しんでたような記憶があります。さらに封建的な考えも強く残っている家庭が多い。
そう考えると、絶えず抑圧状態に置かれており、自己の「劣等感や自己評価の低さの反動」「ストレス解消」として他者を支配する性虐待に向かいやすい。ベンのキャラ造形はまさに上記の性加害者の認知の歪み、傾向に合致する典型的なものだったことがわかります。

こういう加害者側の背景ももっと世間に認識してもらうことも大事だと思うんです。そういう意味ではベンはただただ悪者にされてちょっとかわいそうな役回りだとも思います。彼もまだまだ自分のことが分析、理解できていない思春期の少年で、周りに助けてくれる人もいないわけですから。

なので繰り返しになるけど、1~6話で執拗にチャーリー&ニックのイチャコラを描くなら、ベンのバックグラウンドを掘り下げて、その部分の問題にももっと光を当てて欲しかったですね。ベンの性加害を擁護するトーンではなく、あくまでも犯罪心理を世間に啓蒙して、それを未然に防げるシステムを構築することの重要性を広く認知していくために。

トラウマの影響

一方でチャーリーのいじめによる摂食障害については伏線を張りつつ、最終話ではニックと漸くその問題を話せるところまで展開していました。(第3シーズンではその辺りをさらに深堀し、克服までを描くのでしょうかね)

いじめや性被害によるトラウマがどういう形で、一見関係ないように見える形で表出してくるかにスポットライトを当てた点はスゴク評価したい部分です。


ということで、
物語としてはイチャコラが多すぎたり、カミングアウトやるやる詐欺だったり(苦笑)無駄に冗長な部分が目立つわりに、丁寧に描いて欲しい部分が雑だったりで構成に不満が残るシーズン2でした。

主役二人を盛り上げて人気者にしたい、それは理解できるものの、いざ人気が出たら「二人をイチャコラさせてたらファンは喜ぶんだろ」という制作側のイヤらしい下心が垣間見える点も減点要素。人気取りのために物語のメッセージ性を薄めたり歪ませたりはしちゃダメですよね。せっかくシーズン1で評価も高く、注目されるプラットホームは完成したんだから、それを最大限活かさないと。

あとアイザックのアセクシャル問題、先生同士のゲイ展開、イモジェンもレズ展開?といろいろ風呂敷広げすぎて大丈夫なのか?という心配も。特に先生同士のロマンスなんて必要ない気がします。それよりもティーンの子たちの問題にフォーカスすべきでしょう。

トランスジェンダー問題

そうそう、トランスジェンダー問題も触れておきたい。
登場人物の一人、エルはトランスジェンダーという設定。彼女がこのドラマ、特にシーズン2ではトランスという設定は殆ど深堀りされておらず恋愛模様に終始していたのはもったいないというか、何のためにトランス女性を登場させているのかとちょっと残念でした。

彼女はまだ性転換手術は受けてないですよね?(シーズン1でもそこは言及してなかったような?)日本では未成年は確かできなかったような気がします。

コチラの記事によると

第二次性徴前に「性別違和」を感じた子供は、成長を遅らせる”二次性徴抑制剤”を投入して、男らしさ、女らしさが出てくるのを抑える治療をする場合がある。

そして第二次性徴が既に始まっている段階で「性別違和」を感じた子供は、”ホルモン治療”をする選択肢が出てくる。

性別適合手術を受けるのは最終段階で、アメリカでも異例。実施していない小児科も多い。(このドラマはイギリスが舞台だけど、そこまで大きな違いはないと想像)

エルはトランスジェンダーとしてどの段階で、どういう治療を受けたor受けているか、どういうカウンセリングを受けているか、はたまた将来的にどういう選択を望んでいるか…などなどもっと多く語る部分があると思うんですよね。

未成年で適合手術を受けてないのならば、男性的第二次性徴を抑制しているのか、またはホルモン治療を受けているから女性っぽく見える容姿なのか。もしそういう治療を受けているなら副作用等の問題はないのか。

先日亡くなったりゅうちぇる氏も、SNS等のバッシングが原因とかと同時にホルモン治療による精神の不安定、鬱状態の悪化が原因なのでは?という意見も散見されました。それほどホルモン治療はリスクも伴うわけで、警鐘を鳴らしている識者もいます。

勿論トランスジェンダーの恋愛自体も障害がいっぱいあり、そこを描くこと、スポットライトを当てることも大事なんですが、それと同時進行でトランスジェンダーであるための苦労、難しさ等も無視せずに描いて行って欲しいです。そういうことが社会のトランスジェンダーへの理解を深め、より受け入れることが出来る社会の形成に貢献するはずですから。


ついでにダーシーとタラのレズカップルも。二人のレズとしてのセクシャル・アイデンティティの問題はシーズン1でサラッと描いて、シーズン2では単なる主役二人のアライ、応援隊的な役回りしかなかったんだけど、何か悩み、深みのあるキャラにしなきゃと思ったのか、急にダーシーの親がホモフォビアという設定を後付けで出してきた感が否めない。あの設定はシーズン1からあるべきでしょう。

なんだか多様性てんこ盛りにしている割に雑なんですよね。色々と。

こういう感じでちょっと不安な要素も散見されますが、第3シーズンはどう展開していくのか?楽しみに待ちたいと思います。

と、ちょっと厳しめの評価になってしまいましたね。期待の裏返しということでご勘弁(;^_^A。

ではもう一つの作品「Red, White and Royal Blue」に行きましょう。


「Red, White and Royal Blue(赤と白とロイヤルブルー)」

アレックス・クレアモント・ディアスは再選を目指す米国初の女性大統領の息子。英国のロイヤル・ウェディングに出席している際中に、新郎の弟である第2王子のヘンリーとケーキを倒す騒ぎを起こしてしまう。その出来事は両国で報道され、外交問題や大統領再選に関する悪影響を回避するため、両陣営からアレックスとヘンリーは友達である振りをするように命じられる。時が経つにつれ、二人の仲は親密になっていき、まずは体の関係へ、そしてついには恋に落ちてしまう。

「Red, White and Royal Blue」wiki から雑訳

コチラは2019年Casey McQuistonケイシー・マクキストンによる、ニューヨークタイムズ・ベストセラーになった小説を元に作られたアメリカのロマンティック・コメディ。

マクキストンは、2016年の大統領選、ヒラリー・クリントンの自伝「A Woman in Charge」、米コメディドラマ「Veep」、ヘザー・コックスによる小説「The Royal We」(米国人女性が英大学オックスフォードに入り英国王位継承者と恋に落ちる物語)などからインスピレーションを受けて、自分なりの物語を書こうと思ったんだそう。

小説と映画とでは登場人物や設定も微妙に改変されている模様。
小説では米大統領の息子アレックスには双子の妹(姉かも?)がいたり、母親である大統領は離婚してシングルマザーだったりするようです。

私は英国王子役がヘンリーという名前、米国大統領の息子が有色人種っぽい褐色の肌をしているという点からハリー&メーガンを意図して書かれてるんだと思ってましたが、敢えてそこは触れないようにしている感じなんですかね。色々と訴訟起こされても困りますもんねwww。
でも絶対意識して書かれてる、最低でもドラマは意識して作られたと思います。ヘンリーが父親の死にトラウマを持ってるというのなんか、ハリーがダイアナ妃の死を引きずってる点を想起させますし。

テンポ良し、深み無し、ラブコメの王道的作品

とにかくテンポが良い!!場面展開もサクサク進む!!
まあちょっと早すぎる感も否めないけど、最近の早送りや2倍速で動画等を見る若い世代にはこれくらいスピーディーに展開しないと受け入れられないんだろうなと。個人的にはもう少し余韻、間が欲しい場面はいっぱいありましたけどね。

基本コメディなので、いちいち話に深みを持たすよりも、いかにクスっと笑わせるかに力を入れてる感じ。
勿論王室問題、移民問題もちょっと掠めた大統領選とかは扱ってはいるものの、まあ真剣に掘り下げる気はサラサラない感じ。

特に英国王子がゲイだからってあんなに反対する?
反対していた英国王が、映画「オスカー・ワイルド」でガッツリゲイの役していた、自身もゲイのスティーヴン・フライってのが皮肉効いてて好きでしたけどもw。

王子がゲイという問題なんか所詮個人の問題。それも第2王子ですし。
それより現・英王室アンドリュー王子のジェフリー・エプスタイン関係の未成年性的虐待問題とかの方がよっぽど犯罪で人権侵害であるヤバイ問題なわけで、そんなにゲイを大きな障壁扱いしてグダグダせずにサッサと民衆にカミングアウトしたらいいのに、現在の英国民ならガッツリ受け入れてくれる度量はあるでしょうよ…と、そこは設定の甘さと冗長さにイライラしましたw。

個人的には兄王子はクソ野郎のままで良いけど、国王は度量があって時代の流れも理解しており、すんなりゲイであることを認め、民衆も理解してくれるはずだと二人がバルコニーに出る後押しをする…という展開を期待してましたけどね。スティーヴン・フライもホモフォーブなままの役回りで嫌だったろうなと。

あとコチラは「Heartstopper」とは違い、ルッキズムの権化!www
大統領の息子と英国王子があんなにイケメンなわけない(苦笑)。
さらに顔だけじゃなくスタイルも良くてセクシーなんてね。
そこはBLの世界線。登場人物は美しくあれ!!万歳!!って感じでしたね。
まあそれを普通に楽しんでる自分がいたので、私もルッキズムの奴隷なんですが(;^_^A。

ゲイ版「ノッティング・ヒルの恋人」

まあ全体的な印象はゲイ版の「ノッティング・ヒルの恋人」を作ろうとした感じだなと。身分の違いからくる秘密の恋愛というメインテーマが同じですし。
ゲイなんて単に今風である記号、ゲイ、腐女子、多様性受けを狙うためのゲイ・ベイティング的な撒き餌とも感じられるくらい(;^_^A。

アレックスの別荘で二人が静かでゆったりした時間を過ごしたり、寝そべって…とか、ノッティング・ヒルでのプライベート公園のベンチで主役二人が過ごす時間と似ているな~と思ったり、
最後のアレックスのスピーチとかも、記者会見でのウィリアム(ヒュー・グラント)の質問と被ったり、なんだかんだ王道ラブコメだから最後もハッピーエンドは確定。それがどういう流れでなるのかを見守る感じ。まあ安心して観られる映画です。

とにかく重いテーマじゃなくて軽い感じでサラッと観れて、
イケメンがイチャイチャして目の保養になって、
悩むことなくハッピーエンドでヨカッタヨカッタ!!
…となりたい気分の時にはピッタリの映画。

そんな何もかも深みはいらない。こんな単純なのでイイんだよと。
「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」も単純明快で人気出てましたしね。世間はエンタメにそこまで深く考えることは求めてるわけではないって言うね…(;^_^A

この勢いで持って、ゲイに対するポジティブ・エナジーを振り撒く感じがこの映画の一番の評価点かもしれません。
強靭なホモフォーブは何かしらケチ付けるだろうけど、中道の視聴者にはこういうコメディを普通に楽しんでいいんだという空気を醸成して広めることに貢献してくれるでしょうから。

一抹の抵抗

この「Red, White and Royal Blue」にしても「Heartstopper」にしても、より男っぽい方、性的役割だとタチ、TOP、男役だと思われる方、「Red, White and Royal Blue」だとアレックス、「Heartstopper」だとニックがバイセクシュアルなんですよね。(ニックはまだTOPかBOTTOMかVERSATILE(リバ)かハッキリしてませんが)

これは偶然なんでしょうか?
ことさらバイであることを両キャラ共に強調するんですよね。
別にTOPがガッツリゲイでもいいし、BOTTOM、ネコ、受け側がバイでもいいのに。
この挿入する側に、なんとかまだ男女二元論の男性性を残したい意図がある気がするんですけど…考えすぎ?(;^_^A
多様性を謳うのなら、もっとそこも多様な組み合わせも打ち出していかないと!

そもそも挿入されてるから女性っぽいと捉えがちだけど、実際タチとウケならフィジカル的なダメージはウケの方が絶対大きいわけで、度量も含めて男らしくないと中々できないロールだと思うわけです。

その昔、アメリカのゲイポルノでタチがウケに言うのを何度か聞いたセリフに「Take it like a man」というのがあるんだけど、「男らしく受け入れろ!」と言ってるわけです。「Take it like a bi*ch」みたいに女のようにとは言わないんですよね。まあそうは言いつつも、アメリカゲイポルノ界は大きくて筋骨隆々、巨根がTOPで、小さかったり、細かったり、金髪美少年風がBOTTOMというステレオタイプは長年メインの役回りでした。最近は役回りも随分崩れて多様化してきているとは思うけど、まだまだこの傾向は残ってる。

アッ、なんか話がズレてきましたけど(;^_^A、この一抹の抵抗、未だにゲイ作品に残る男性優位性の影響、これがもっと無くなって、フラットに語られるようになるメジャー作品が出てくるには、まだもう少し時間が掛かりそうかな~ということでした。


勝敗は!?

ということで、「Heartstopper」と「Red, White and Royal Blue」の2作品の個人的勝敗は…

ドルルルルルルルルルル…(ドラムロールですw)

ジャン!!
「Heartstopper」☆7.5点
「Red, White and Royal Blue」☆7点

「Heartstopper」の勝利👑!!

やはり「Heartstopper」のほうがメッセージ性と可能性、ポテンシャルの高さから評価が高くなりました。それでもいつもの私の星評価では厳しめ。理由は先述した通り。

ぶっちゃけ「Red, White and Royal Blue」の方が好きの度合いは高いです。ラブコメは基本好きなんです。ただまあメッセージ性は弱いというかほぼ無いに等しい(;^_^A。そもそも普通の男女物でいいストーリーですからね。メーガンの黒人要素を別のタブーのゲイ要素に置き換えたけれど、今の時代そこまでタブーにもならないでしょ…っていう感じ。
(仮に今のジョージ王子とかルイ王子がゲイであるとカミングアウトしても全然OKでしょ。今のイギリスはそれぐらいの度量あるはず。よっぽどハリーみたいに性格的に問題があって拗らせ無ければ、逆に人気が高くなる可能性もあるんじゃない?セクシャル・アイデンティティより人間性の方が大事。ただ後継者問題が関わってくるとまた面倒ですけどね。日本の皇室のあの少年はどうなることやら…。)

あと軽く楽しめるし、2時間以内という長さも「Heartstopper」の冗長さに比べれば高得点。無駄がなかった。

ということで僅差の結果になりました。

どちらも面白い、興味深い作品ですし、どちらも視聴後感はスッキリ・ハッピー系なので未見の方は是非~!!

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